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2025/07/10/木

寄稿:メディヴァの歴史

無人島に街をつくれー 先駆者列伝50:(大石さん未来を語る) 4手先を見すえて

少子高齢化や保険財政の悪化、病院の経営難、過疎化といくつもの大波が荒れ狂う医療・介護の海原に漕ぎ出し、絶海の孤島に街を築き続けた人々の物語も最終回を迎えた。足掛け3年、50回に及んだ連載の最後は、陣頭指揮で荒野を切り開いてきた大石佳能子さんに縦横に語ってもらおう。
四半世紀にわたった無人島での街づくりは社会に何をもたらし、これかの医療界をどう変えていこうとしているのだろうか。

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—取材を続けるなかで、メディヴァやプラタナスが本当に多くのチャレンジを重ねてきたことを実感しました。まずは連載への感想を。創業時ここまで来られる確信はありましたか。

「内容は一つ一つ知っていることなので意外なものありません。ただ、こんなことをやってきたんだという感慨はあります。創業時にこうなるという確信はありませんでした。やっていたら、今の所に着いたという感じでしょうか」

—25年の成果を取り上げる企画でしたが、薄氷を踏む思いもあったことを知りました。「こりゃヤバイ」と思ったことは何度ぐらいありましたか。

「業界の特性として診療報酬改定の度に大きな影響を受けています。24年も大規模な改革がありました。大波をかぶって沈み込んでもそこで持ちこたえ、再び浮上することが大切。運営の在り方は常に考えていかなければならないし、今後、事業を見直して整理する分野も出るかもしれない。24年の改訂は4回目の大波です」

「ヤバイの1回目は用賀アーバンが発足してからの赤字の時期。これは診療報酬改定とは関係なく、医療を知らない素人的経営が原因です。岩崎さんや私が入って立て直しに当たりました(連載3回23回)。2回目は看護師が入っている施設については、有料老人ホームも含めて訪問診療を認めないという厚労省のミスに揺さぶられたとき。ここでは皆で厚労省に働きかけて制度が見直されました(連載43回)。3回目は施設在宅の報酬が4分の1にカットされたときです。この時の厚労省は確信犯だったので、翻ることはありませんでした。立て直せたのは飯塚さんのおかげです(連載34回)。昨年は施設、外来の報酬の見直しに渋谷イークの開設投資が重なった」

「外から見ていると難なく乗り切ったように見えるかもしれませんが、その度にどうやるかが問われました。基本的には担当している部門が自律的に動いて対応します。ただ、その手に余ったり、動きが緩かったりすると担当者に方向性を示しています。私の役割は先駆けとしんがりなので、そうした仕事も嫌ではない」

—前職のマッキンゼーでの知見はどこまで役立ったのでしょう。

「マッキンゼー出身の起業家で、役に立たないと言っている人もいますが、私の感覚ではかなり役立ちました。悪いことでも良いことでも、まず本質的なイシューは何かを突き止めます。直面している問題を把握できる規模にまで分解して、それに対応するという思考方法は極めて重要です」

—過去を振り返って、達成感は。

「過去はあまり振り返りません。ここまで達成した、とは思っていません。これからだと思っていますから。始まった当初、用賀アーバンに多くの見学者が来ましたが、この業界では目立ち過ぎていいことはない。実力を持つまで不用意な発言はしないように心がけました。元々医療者ではないものが入ってくることに警戒心を持つ業界ですから。でも本心では、力をためておいて、ここぞという時にはダッと行かないとならないとずっと思っていました。実力や評判、ポジションを高めていくことです。いま一気に、例えばCCHに向かっています。土台を固めたら次をどうするかが大切です。連載のなかで私をいつも回遊しているマグロに例えた人がいました(連載48回)が、同じようなマグロ体質の人と仲がいい」

—とは言っても、25年もやっていたら、さまざまな話があるはずですが。最も印象的な光景、忘れられない思い出は。

「強いて言うなら、こんな光景が浮かびます。
▽用賀アーバンが始まった時、オープンカルテ用の補助金を経産省からもらうために結構大変な提案書を書いていて、煮詰まってしまい、夜中に小松さんと一緒に246号線沿いを延々と歩いて、ディスカッションしながら考えをまとめたこと(連載3回)。あの補助金を落としていたら今のメディヴァは無かったです。
▽メディヴァの初期、自転車通勤していました。当時は中目黒に住んで、晟嶺は恵比寿の保育園に預けていました。帰りは自転車で恵比寿まで行って晟嶺を拾い、シートを半分分けして座る、というスリリングな乗り方で中目黒の自宅まで帰りました。息子は曲芸みたいな乗り方を喜んでいました。お迎えのない日は、何が忙しかったか今となっては忘れましたが、夜遅くに用賀から中目黒まで自転車で帰って風が気持ちよかったこと。
▽施設在宅を始めた時、小松さんに「そんなものは誰もやりたくない、儲からない」と言われたので岩崎さんと白根さんとで「じゃ、絶対儲かるわ」と言ってスタートしました(連載4回)。メディヴァは小さく、スタッフもいなかったので、自分たちで同行事務や処方箋の転記を担いました。処方箋など扱ったことなかったから薬局からは「疑義照会」の嵐だったこと。
▽初期は施設在宅の同行運転手もやりました。在宅医療は素人なので「看取りはどう考える?」とか医師に怒られながら運転していたら、交差点で横から発進してきた原付に後ろからぶつかって、乗っていたじいちゃんがひっくり返りました。「あ、人生終わった」と思ったら、じいちゃんはすっくと立ち上がって「ごめんごめん」という感じで、手を振って去って行ったこと。やれやれ。
▽イーウェルと一緒に健保向けの事業を始めた時、小室明義さんと安宅雅美さんと一緒にイーウェルに半分泊まりこんで提案書を書いたこと(連載48回)。なかなか契約が取れなくて、皆で半分泣きながら作成しました」

—思い出したら、いくつも出てきますね。新型コロナ禍も波瀾万丈だったように聞いています連載16回17回

「そうですね。新型コロナの時、ワクチン接種に活路を見出すべく、自宅からオンライン会議で各方面に指示を飛ばしまくりました。林佑樹さん、永尾嘉康さん、浅野悠さんたちが拾って走ってくれたのは本当にありがたかった。他の患者の迷惑になるのを気遣ったクリニック側から『コロナ患者は診たくない』という反発が出た時、現場に乗り込んで『コロナ診ないと、クリニックは潰れます!』と檄を飛ばしたら、皆が動き出したこともありました」

「晟嶺も職域接種の現場監督として戦力となりました。東急不動産での開始日に偉い方が全員接種に来られました。私も初日だから現場にいましたが、最初に来てくれた社長が接種券を忘れたのに対し、晟嶺が『忘れたらダメです。接種できません』とか説教を垂れまくり、後ろで秘書がひたすらペコペコしたのも忘れられません。私を始めメディヴァメンバーは皆凍っていました」

—新型コロナはメディヴァやプラタナスにとって大きな試練だったということでしょうか。

「いいこと、悪いことがありましたが、逆風のなかでもやる気になったら大層なことができました。ワクチンは合計5万人に打ち、世田谷区のバックアップも一手に引き受けました。私たちの活動が地域に及ぼすインパクトの大きさが実感できたし、実現したことも少なくない。ただ、一部の医療機関のようにPCR検査を最初から大々的にやるようなことはしませんでした。医療者としての倫理観はありましたが、風評を恐れてやらなかった面もある。PCRを受けられないので不安を持った人はいたし、その中で何かできなかったのか。業界の文化に反しない形でやりようはあったかもしれないという反省はあります」

—医療という「不思議の国」をどう思いましたか。

「医療以外にも『不思議の国』は沢山見てきました。海外で育って日本に帰ってきた時も、心底『何じゃこれは』と思いました。なので、耐性は高いです。マッキンゼーも初日に出勤したら、机の下で丸くなって寝ている人がゴロゴロ。夜中になっても誰も帰らない。私は帰っちゃいましたが。マッキンゼーではいろいろな業界を見ました。最初は定期的に担当業種が変わるので、機械、金融、不動産、消費財、製薬等々、それぞれ特殊ですが、対応していけるようになりました」

「たしかに医療業界は不思議な世界ですが、そこにいる医療者はむしろマッキンゼーのころと親和性があります。コンサルタントは会社に忠誠は誓ってないんですよ。クライアントへ質の高いアウトプットを出すことと、自分の能力とキャリアの向上が原動力です。医師も組織へのコミットメントは低く、患者へのコミットメントと自分の能力アップとキャリアが仕事の原動力です」

—大石さん自身も晟嶺さんの出産連載2回など、何度か入院患者となった体験がありますが。

「出産した90年代後半よりも病院は良くなっています。私が出産して『何じゃこれは』と思った病院で最近社員が出産しました。すごく患者対応が良くなっていたらしいです。ここは別に私が言ったわけでも、変えたわけではなく、世の中が変わったんだと思います。そこに私たちも間接的には寄与しているという自負はありますが。ちなみに、外来や中待合室を見ると病院経営の良し悪しは大体わかりますよ」

「10年ほど前、どこで手術をするか決めるために、幾つかの病院を巡りました。ある大学病院の外来で、腹腔鏡手術でお願いしたい、と言ったら、『うちは大学病院だ、患者がぐちゃぐちゃ言うんじゃない』と怒鳴られました。その病院からはさっさと逃げました。その後、そこでは色々な不正や医療問題が露見していますよ」

—日本の医療が厳しい局面にあることは度々報じられています。

「25年前との違いは医療業界が圧倒的に困っていることです。ようやく真剣に変える環境になった。中小病院では当方がしっかりした医師とちゃんとした事務方を抱えていれば、先方からやってくる。病院経営が厳しくなる中で激震が襲うのは確かです。物事は有事の時に動くので、しっかりとメディヴァの蓄積を生かさないといけない」

—CCH病院は医療改革の突破口となりうると考え、連載でも力を入れて紹介しました連載46回47回

「CCH病院は在宅医療と地域活動を担い、地域包括ケア実現のカギを握ります。同時に『ビーイクル(乗り物)』でもあります。乗り物なので、上にいろんなものを乗せられるんです。医師の新たなキャリアを形成する場にもなります。新しい形のサ高住の機能を付加することにより介護が変わっていきます。碁盤に石を着実に置いていくように、しっかりと陣地を取っていくことが大切です」

―碁盤に石を置いていくとは。

「CCH活動の肝は総合診療医です。総診医を新人から育てると5年はかかります。それよりは他科からの転向医をどれだけ集められるかを考えるべきです。そのためには、どういう教育プログラムを作るか、どういう指導医を集めるか、CCH協会はどういうブランディングをするか、一歩一歩をどう進めるのか―多くのことを考える必要があります。厚生労働省も、総合診療医やリカレント教育というキーワードを言っています。最近ではコミュニティホスピタルという言葉も徐々に人口に膾炙するようになりました」

「ただ、キーワードを口にするのは簡単でも、実現させるまでが大変です。厚労省の打つ手は3つ、診療報酬、診療報酬支払基金、施設基準です。でも個人として医師も病院経営者も、もはやこれだけでは動きません。ここに何を置くとどう動くか。そのためにはどこに置くのか。3手先、4手先までは見えないといけないのです。自分にはそれが見える気がするので、その判断が私の役割となります」

—規制改革推進会議にはどうやって携わるようになったのですか。活動するなかで思い入れのあるトピックは有りますか。

「メディヴァ、用賀アーバンを始めた頃から、私たちは自分たちの現場で自分たちで実証してきました。実証できなかったもので社会制度に問題があるものは、発信してきました。白書を作ったり、セミナーでしゃべったり。25年前に用賀アーバンでオープンカルテを実施したら経産省の推薦で厚労省の委員会の委員になりました。医療は厚労省の分野ですが、経産省としても関心が高かったんでしょうね。業界外の発想で制度に意見を言える人という位置づけだと思います」

「こうした政府委員の肩書はメディヴァのブランドにも結果的に役立ちます。これも碁石の一つです。その後、しばしば声が掛かるようになり、次々と碁石を置くようにできるだけ引き受けるようにしています。規制改革推進会議の委員も自主発信の結果です。この会議では、オンライン診療がコロナ特例として解禁されました(連載16回)。特例が外れた後の現行制度の討議にも医療・介護ワーキンググループ座長として加わり、実現させました。個人的にはプログラム医療機器など、医療介護業界にICTやテックを活かすことに思い入れがあります」

—取材していると、大石さんのメディヴァにおける今後に言及される方が少なくありませんでした。

「私ですか?今後もしぶとくいるでしょうし、25年積み上げたので責任をもって自分で刈り取らないといけないという思いもあります。私の役割は、4手先が見えることを活かして目標に走る先駆けと後始末をするしんがりですが、これからは次代の人がその役割を担うようにしなくちゃいけません。メディヴァ、プラタナス、シーズ・ワン、CCH協会以外に新たな法人を増やすことは考えていませんが、それぞれの中身は変わっていくでしょう」

—海外事業はどこまで広げ、深めるのでしょう。

「二つやりたい。まず、日本の介護は国のなかだけでは大きく進化しそうもありません。海外でこれまでの介護とは違ったものを作り、逆輸入すること(連載22回)。またインバウンドを呼び込むことで、大病院を変えることもできると思っています。インバウンド患者は必然的に自由診療になります。これに応えるには、病院のプロセス改革や病院だけでなく医師や看護師も収入が増えるような仕組みも必要でしょう」

「海外事業は個人的には面白い。ただ、ロシアやミャンマーの事業は相手国の事情で吹き飛ばされてしまいました(連載20回21回)。メディヴァにもカントリーリスクがあるんですね。正直、驚きました。海外事業の布石は複数の地域に張っておかないとならないという教訓です」

—人事部を持たないといったメディヴァの特性は維持されるのでしょうか。

「人事の仕組みに対する課題意識はあります。今は部門に人が付いていますが、育成のためや能力を最大限活かすためにはローテーションを考える必要があります。それを差配する部門が必要になるかもしれません。それ用の組織を作るか、例えば採用を担当するスタッフ部門がこの機能を担うか、やり方は今後考えていきます(連載39回40回)。ただ、普通の会社と同じような人事部にはならないと思います」

—子育て経営者としての苦労は大きかったのでしょうか。前回の晟嶺さんへのインタビューでは母親の思い出を語ってくれました。

「母親としての子育ての苦労はありました。地頭(じあたま)は悪くないんだから、もっとまじめに勉強しろよ、とかはどの母親も思うことです。ちゃんと受験して医者になってくれていれば、友達を連れてきてくれてプラタナスやCCHに役に立ったとかも、、、(笑)」

—最後に筆者として伺います。長期連載への率直な印象を。

「採用のときに『読みました』といったポジティブな反応がありましたし、医療界などの偉い人から『載せてくれてありがとう』とも言われました。落ち着きなく動き回っている多動児が会社を作るとこうなるという物語でしたね。現場を知っている社員はさほどの驚きはなかったかな。でも新入社員とか、過去を知らない人に読んでもらいたいので、本の形式にまとめようという意見は出ています」

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書き手としては、どうにか駆け抜けた安堵感があります。社内に大きな驚きを巻き起こせなかったのは残念ですが。四半世紀の試行錯誤のなかで得た実績や知見を足場に、次の25年でこれまで無人島に築き上げた街やコミュニティがどう発展していくのか。日本の医療が大きな曲がり角を迎えている中で、メディヴァやプラタナス、シーズ・ワン、CCH協会の将来をこれからも見守りたいものです。

ご愛読ありがとうございました。