RECRUIT BLOG
2025/05/21/水
寄稿:メディヴァの歴史
ここまで2年間、47回にわたって、メディヴァ、プラタナス、シーズ・ワンの人々が、患者視点の医療や介護、社会の健康づくりに奮闘している現場を訪ね歩いた。連載を締めくくるにあたり、四半世紀にわたる挑戦の数々を見守ってきた方たちから、これまでの活動への評価や次の25年に向けての注文、激励を伺うことにした。今回は「外から見た無人島」の前編となる。
まず登場いただいたのは亀田信介先生だ。兄弟で運営してきた亀田総合病院(千葉県鴨川市)に大石さんが訪ねたのは、メディヴァ創設の2年前、1998年のことである。そこからメディヴァ、プラタナス草創期までの経緯は、そこからメディヴァ、プラタナス草創期までの経緯は、大石さんの表現を借りれば『It All Started in Kamogawa(全ては鴨川で始まった)』、育ての親といっても過言でない面倒見の良さで無鉄砲な若者たちの挑戦を応援してくださった。
患者のためのクリニックを作りたいという意欲に満ち溢れていた大石さんを前にした亀田先生は、これからは家庭医や総合診療医が重要になること、そして米国で始まっていたPPM(Physician Practice Management)の将来性を初歩から説明した。特定の病気だけを診るのでなく患者や家族に向き合う医師が存分に実力を発揮することが求められ、そのためには経理・労務・経営全般をアウトソースする支援機能は欠かせない。これまでの医療に欠けていた視点だった。
目を輝かせて話を聞いた大石さんは「やりたいです」。意気投合した亀田先生は用賀アーバンクリニックの場所探しや設計、内装工事などを全面的に応援した。さらに、後に用賀、桜新町両アーバンの院長になる野間口、遠矢両医師には鴨川で家庭医の研修を、大石さんと小松さんには事務研修の機会を用意してくれた。まだ幼児だった晟嶺君(大石さんのご子息)は院内の保育施設「亀の子」が預かってくれたことで、心置きなく勉強ができた。
さらに「これからは患者が医療情報を持つ時代」という亀田先生の理念を学んだ用賀アーバンは、2000年の開院当初から電子カルテを導入し、経済産業省の補助金を得て、オープンカルテのシステムを作った。用賀アーバンが多くのメディアから好意的に報じられ、円滑なスタートを切れた背景には、こうした先進的な取り組みに挑んでいることを知り合いの医療記者に紹介してくれた亀田先生の心遣いも大きかった。
開業前に米国での家庭医の状況を見ようと、大石さんと一緒にエコノミークラスで米フィラデルフィアまでとんぼ返りの旅をしたこともある。亀田先生は「思い出は最初の1年に詰まっている」と振り返る。確かに濃厚な日々を共有されたのは間違いない。
それから25年余り、メディヴァやプラタナスの今の姿は大恩人の目にはどう映っているのだろうか。まず挙げたのは、積極的な人の集団になったことだ。動きの敏捷な面々が集まり、つねに新しいことに取り組む姿勢は変わっていない。大石さんは政府の規制改革推進会議や審議会のメンバーに重用されるようになったが、偉ぶるわけでもない。最初は師弟関係から始まり、今ではWIN-WINの関係に成長して「逆にお世話になっている」と笑顔を浮かべる。
現在は双子の弟省吾さんとともに拠点を館山市の安房地域医療センターに移し、ベトナム・ダナンでの健診センターづくりにも取り組んでいる。日本式の人間ドックを始め、そこで積み上げたデータや知見を活かしてアセアン諸国への横展開を考えている。すでにベトナムやミャンマーなどで事業を手掛け、海外との壁が低いメディヴァは心強い支援者だ。
これからの期待は、メディヴァが医療分野にととまらず社会システムに挑戦することだ。少子化、人口減少に対処するための道筋を示し、外国人の受け入れも進めてほしい、という。少々荷が重い注文のようにも響くが、大石さんや小松さんらで旗揚げした時に描いた理想図は今や社会に受け入れられ、政府が推進している事例も少なくない。グローバルとダイバーシティの知見を活かせるのはメディヴァだと見ている。
「ナンバーワンは物差し次第だが、オンリーワンならはっきりしている。それに取り組んできた」と自負する亀田先生にとって、同じような足跡を残してきたメディヴァはいつまでも気になる教え子のようである。
2000年10月に東急不動産の子会社として小室さんが中心となってイーウェルを立ち上げたのが、出会いのきっかけだった。福利厚生や健康支援サービスを通じて、健康で豊かな企業社会と地域社会の実現をサポートするという創業の理念は、設立間もないメディヴァと共鳴するものだった。
用賀アーバンの開院時にいた田中伸明医師が設立を新聞で見て、大石さんを伴って訪ねてきたという。それまで東急電鉄とは縁があったが、東急不動産とのコンタクトは初めてだった。これから医療の世界に踏み出す女性社長への印象は「小さな可愛い、大阪のおばちゃんがやってきた」だった。
ほぼ同じ頃にスタートした両社は、創業から暫く経つと仕事を通じてのつながりを持つようになる。「福利厚生施設の予約代行はいずれ頭打ちになる。これからはヘルスケアの時代だ」と小室さんは考え、メディヴァにヘルスケア事業のパートナーとして声を掛けた。健診業務の代行やデータの保管などのサービスに乗り出したときがそうだ。政府がメタボ対策に乗り出した時期にあたり、大石さんや安宅さん(現 執行役員保健事業部長)と一緒に共同営業をしたのは2004年頃だった。「事業の方針について議論をして、喧々諤々、喧嘩をした時期もある」と振り返る。大石さんとは共に大阪出身で、高校で大石さんの弟と同期だった縁もあり、互いにメンターとして協力しあった。
プラタナスが運営する健診センター・イークでも、東急不動産とイーウェルが事業パートナーだった時期がある。メディヴァには大きな資金を集めるとか融資で事業を拡大するということは好まない面があり、キャッシュフローの中でやっていく手堅さでここまで来た。創業期に加わったコアメンバーがその基本方針を支えてきたと見る。
ずっとメディヴァやプラタナスの活動を見てきての評は「個性的で時にはわがままでもある有能な人を束ねている芸能事務所の大石社長とタレントたち」。最初こそ不安定だったが、みんなメディヴァが大好きでリーダーを中心に信頼しあっている集団。そうした意義を理解する有能な人材が残っている。
これからのさらなる成長に向けての助言は、「まず伸びている事業を大切に続けていくとともに、種から芽を出した事業を大切にすること」。CCHも海外事業もこれからで、存在価値のあるヘルスケア集団に進化していくことを期待している。
求心力の源泉である大石さんについては、世代交代が進んでからも外周部で仕事をやっていくとみている。小室さんの見立ては「回遊を続けるマグロ」である。
最後に「みんながファンになる会社であり、相手を裏切らない組織風土をこれからも大切にしてほしい」とエールを送ってくれた。
2012年、当時の勤務先である福岡・頴田病院が在宅連携拠点事業に手を挙げた。その際に、多職種連携を実現している遠矢さんの取り組みを知り、早速、桜新町アーバンクリニックを訪れた。その時のことは連載㊻にも紹介したが、患者さんや家族のために医師、看護師にとどまらず介護職、栄養士、リハビリ職、ケアマネジャーらが力を合わせる仕組みや円滑に進めるためのアプリなどの開発に感銘を受けただけではない。お昼ご飯まで作って歓待してもらい、「こんなアットホームなところがあるんだ」と感心した。
14年ごろに勉強会で中小病院の再生モデルについて講演をした。同じく講師だったのが大石さんで、2週連続で一緒に登壇した。初対面だったが、「専門職でない社長さんなのに、医療について極めて真っ当なことを話している」のが印象的だったという。
これがきっかけとなり、CCHに実を結ぶ事業構想の原型が生まれた。本格的に検討が始まったのは19年9月15日。池袋で大石さんや小松さん、椎野さん(コンサルティング事業部・マネージャー)らと飲んで意気投合した。中小病院の案件が増える中、これだと思い、一緒にやろうということになった。
双方が共有しているのは、全国5800の中小病院がコミュニティホスピタルに変わると日本の医療が変わるという確信だ。大杉先生は08年の頴田病院から始めて、3院をコミュニティホスピタルに生まれ変わらせたが、独力では限界がある。CCH協会が生まれ、23年4月に同善会で事業が始まり、大杉先生のもとからエースである小笠原雅彦医師を送り込んだ。
期待が大きいだけに注文は厳しい。
中小病院を再定義するCCHだが、メディヴァがそれまで手掛けてきた病院再生がマイナスをゼロにするものだとしたら、ゼロを100にする必要がある。病院は医師で決まり、ダメな医師を切り、いい医師を入れれば勝てるという。
東京ではフリーランスでもいい人がつかまるかもしれないが、それでもコミュニティホスピタルを支える人材は100人はいないはず。首都圏外には一人もいないといっても過言ではないと言い切る。幸いメディヴァは遠矢さんのようないい人材に出遭えたが、しっかりと人材を育成する仕組みが欠かせないと力説する。
これまで医師を育ててきたのは、毀誉褒貶はあるものの大学病院の医局だった。古い体質の組織だが、人材の育成や配置では大きな実績があるのも事実だ。CCHではそれに代わるものを作らないとならない。それなりに金はかかるし、人材も投入しないとならない。メディヴァから法人事務局長として草野さんも加わり、同善会で医師育成が本格的に始まっているが、スピードはまだまだ物足りない。
キャリアを重視する医師にとって、そこでしか学べない機会が提供されれば大きな魅力となり、採用のポイントになりうる。こうした医師の特性について、メディヴァの「解像度」はまだまだ高くないと指摘する。
どこから資金を持ってくるかという経営的な問題はあるが、病院のMAだけでは限界もある。ボランタリーチェーンのような形にしなければ、とてもCCH100院の目標は実現しない。CCHの話になると熱い言葉が止まらなくなる。
最後にメディヴァの評価について伺うと、「患者のためにいい治療をという理念は1ミリもぶれていない」「試行錯誤でここまでやってきたのは素晴らしい。みんなと話すと大きな夢を一緒にコミットしていることが伝わってくる」「隠し事もない。真似されても結構という姿勢だ」。ここでは優しい口調に変わった。
(続く)