RECRUIT BLOG
2023/05/29/月
寄稿:メディヴァの歴史
大石さんにとって、マッキンゼーは水が合っていたようだ。
マネージャーになって任されたのは消費財グループ。食品、衣料や生活用品など幅広い分野をカバーしたが、際立ったのは「ゼロイチ(01)」を取る腕前だった。それまで取引の無かったグローバル企業を開拓し、信頼を得て顧客としてしっかりとつなぎとめることである。当時グローバル大手にとって、日本は無視できないマーケットだが難しい。クライアントのそんな思い込みを軽やかに打ち破った。
新入りのコンサルタントからエンゲージメントマネジャー、シニアマネジャー、そして経営の一翼を担うパートナーへ。たった5年でのパートナーへの昇進は、当時の最速記録だった。「アップ(昇進)orアウト(退社)」といわれるほどの厳しい競争も気にならなかったそうだ。先方が求めるものを短時間で探り当てて解決し、部下が面白い提案を持ち込めばすかさず取り込む。それはクライアントからも歓迎され、最短距離でプロジェクトをまとめあげることができた。現に仕事での徹夜は1度しかない。当人が「天才的に向いていた」というのも大げさではなさそうだ。
ただ、この仕事にも漠然とした疑問が湧いてきた。仕事は向いているし、相当面白い。待遇も良い。希望すれば、どの国にも転勤できる。でも、「口と紙だけ」のコンサルティングでは実行までを責任をもって見届けることはできないし、現場にいる実感も乏しい。本当に請求額に見合った価値を提供しているのだろうか。気になりだしたら疑問が頭を離れなくなった。
その頃、人生において一二を争う大きな出来事が待ち構えていた。妊娠、そして出産である。仕事が忙しいなかで通いやすさを第一に、自宅近くの開業医に通うことしたという。高齢なのが気になるが優しそうな男性医である。出産は専門病院を紹介してもらうということで、定期的な診察に通った。エコーによる検査など一通りのチェックをしてもらい、「生まれてくるのは女の子」と教えてくれた。
そこで用意したのは白地のフリルの付いた籐のゆりかご、そして白磁色に青のアクセントが入ったベビー布団。かわいい娘とお揃いのローラアシュレイのドレスで街に出たら、さぞや心が浮き立つだろうと胸が弾んだ。気になったのは、診察中の先生が一度エコー診断の教則本らしきものを手元から落としたことだった。
出産が近づき紹介された大病院の産科に行くと担当医は女性だった。エコー検査であっさりと「男の子」と断定し、「はぁーっ?これが、どうして分からないのかしら」と言い捨てた。こちらは答えようもない。
もう一つ忘れない体験がある。次の診察スケジュールを決める際に、先生が指定した日に大阪出張が入っていて日延べを頼んだ時のことだ。「それじゃ、担当は私じゃなくなるわよ」とカルテを投げつけられた。担当医の出勤シフトに患者が予定を合わせられないことなどあり得ない、というのである。「すでに30代半ば。世界のCEOと渡り合って、いろんなことを経験してきたつもりだけど、泣きそうになった」と大石さんは振り返る。出産時にこの医師が当直だったらどうしよう、と怯えている自分に驚いたそうだ。
1998年2月26日午前3時15分。体重2960グラムの元気な赤ちゃんが産声を上げた。大きな泣き声、浅黒い肌。もちろん立派な男の子だった。いま25歳、大学を出て社会人となった晟嶺(あきみね)君である。時折メディヴァの仕事の手伝いにも駆り出されていた若者だ。
今になると、医療技術の進歩に必死で追いつこうとしている老医師、当時は許されていた機嫌と態度の悪い女医さんでしかないと分かるが、診てもらう側にとって医師は絶対的な存在である。患者視点は無いんだ、という失望と、医師も必ずしも幸せではないという事実。そこには新たなビジネスの芽がある。コンサルティング業務で研ぎ澄ませた嗅覚が働いたのは当然かもしれない。
マッキンゼーの仕事を通じて、医療ビジネスの可能性を探るようになる。同時に伝手を頼って医療関係者ら80人ほどに聞いて回った。
国が仕切っている診療報酬制度のもとにあり、受け身になりがちのため、現場に創意工夫は生まれにくい。患者さんのためにこんなことをしてあげたい、と考えても簡単には収益につながらないのも確かだ。個々の医療関係者が二の足を踏むのは致し方ない。ならば、自分たちでビジネスモデルを開拓して成功させれば、後に続く人が増えて日本の医療は間違いなく改善することだろう。
後にメディヴァの立ち上げに集まったマッキンゼーの部下や後輩たちもこの世界に関心を持っていた。クリニックのチェーン展開、病院の経営支援、患者本位の医療サービスなど、多くの構想が浮かび上がった。さらに理念に共鳴し、医療の現場を変革しようと意気込むお医者さんたちも現れる。
海図になかった無人島がぼんやりと形を現したのは1999年のことだった。メディヴァ、用賀アーバンクリニックの設立まで1年ほどである。
(続く)