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2024/03/04/月

寄稿:メディヴァの歴史

無人島に街をつくれ ー 先駆者列伝21:カントリーリスクと向き合って

メディヴァの海外での舞台はミャンマーのほか中国、ベトナム、ロシア、サウジアラビア、インドなどに広がる。急速に進む高齢化に向き合う日本の医療や介護の取り組みに、各国は強い関心を見せている。その一つが昨年末に人口が1億人を突破したベトナムである。

平均年齢は30歳ほどと、日本からはまぶしく見える伸び盛りの国だが、暮らしの変化に伴い生活習慣病やガンの患者が増え始めている。ベトナム政府は医療環境の改善を急ぎ、メディヴァの蓄積が求められる場が生まれている。

2016年に首都ハノイの国立バックマイ病院と覚書を取り交わし、共同事業に向けた協力を確認した。健診施設を作りたいとの要望が以前よりあった。具体的な進展は見られなかったのだが、メディヴァ側から病院を訪問したことで動き出した。

広大なバイクの駐輪場だった病院の横の土地に新棟が建つことになっていた。そのワンフロアに健診センターを開設し、さらに第2病院でも健診事業を開発することなどが覚書に盛り込まれた。ただ、新棟は建ったものの、ベトナム保健省で起きた汚職事件で関係する人たちが全員追放されたうえ、新型コロナもあって一旦頓挫している。そこで、最近は複数の公的病院への健診施設の開設支援などの新プロジェクトに、メディヴァは関わっている。

並行して進めたのが、自前の医療機関の開設だった。2019年、南部の大都会ホーチミン市の北部に隣接し、260万人が住むビンズン省に直営の「ビンズン・アーバンクリニック」を開業した。ビンズンには東急電鉄が新都市を建設中で、同社とベトナムの公営企業からの誘致に応えた。用賀で旗揚げしたアーバンクリニックは20年足らずで海を越えた。

ベトナムは日本と異なり医療機関は株式会社でも運営が可能だ。そのため、ビンズン・アーバンはメディヴァの子会社である。一方で、一つ一つの医療行為、例えば予防接種にも免許が求められるなど、日本にはない規制が沢山ある。

ビンズン・アーバンは19年1月に週3の診療日でプレオープンし、翌月には本格開業にこぎつけた。その準備に追われた海外事業部の小倉昭弘マネージャーや小池依於奈さんらにとっては未知への挑戦が続いた。

日本ならメーカーや専門卸と事前に打ち合わせ、発注すれば必要な医療機器や用品は揃うが、ここではそうはいかない。大きな機器を設置する予定はなかったが、まずは注射器や消毒綿、包帯などをどこで、どう調達したらいいのか。現地の医療関係者やスタッフなどに聞き、卸業者や卸売市場に足を運んでなんとか開業までに必要な物を揃えることができた。

小池さんは開業前にホーチミン市の日系やシンガポール資本の医療機関を手当たり次第に回った。処方箋の書式や医療保険手続きなどオペレーションのノウハウを知るのが狙いで、スタッフに話が聞けるところでは詳しいことも聞き出した。日本のノウハウはメディヴァに蓄積されているし、保健師の資格を持つ小池さんは大学院時代をタイで過ごし、近年も経産省から受託した医療調査でベトナムを何度も訪れていた。しかし、事務手続きなど実務のノウハウは体当たりで学ぶしかない。

ありがたかったのは、新都市開発の推進役が東急グループと現地で有力な都市開発を担うベカメックスIDCの合弁会社、ベカメックス東急であったことだ。ベカメックスIDCの協力もあり役所での申請手続きは比較的スムーズに進んだ。1、2年かかる場合もあると聞いていたが、すんなりと開設許可が下りた。

ただ、ベトナムの役所仕事は担当者の裁量が大きく、当方は翻弄される。8月に保健省から4人の検査官が抜き打ち調査に入り、院長が常駐しているのか、所定の設備は整っているか、冷蔵庫の温度管理は十分か、などをチェックし、厳しい指導を受けた。この時は東急電鉄の方にも間に入ってもらってどうにか乗り切った。

今思い出しても冷や汗が出るのは、薬局の確保だった。ベトナムでは外資での薬局運営は認められておらず、クリニックが薬を出すことはできない。患者はもらった処方箋を近くの薬局に持ち込む必要があるのだが、周辺に肝心の薬局がなかった。クリニックの隣に30㎡ほどのスペースを用意して誘致したものの、ようやく入ったのは旧市街にある小さな薬屋。それも数カ月で出て行ってしまう。当時の新都市は開発が始まったばかりで、近くにあるのはタワーマンションとフードコート、それにアーバンも入るビルぐらい。少し行くと牛がいるような環境では、とても採算が見込めないというのだ。

後釜が見つかるまでは、遠くの薬局に出前を頼んだり、小池さんたちスタッフが街の薬局に買いに行き、患者に届けたりして凌いだ。院内の一室に小さな薬局スペースを作り、現地の薬局チェーンの協力を取り付けて薬剤師を置いたのは、11月のことだった。

肝心の医師は、当初はホーチミンのクリニックチェーンと提携して派遣してもらい、途中から3人の医師を雇ってローテーションを組む方法に切り替えた。

開業後、小池さんはビンズンに駐在した。まずは日系企業にかかりつけ医として認めてもらわないとならない。毎月のように健康セミナーを開き、地元の日本人向けにレクチャーをした。テーマはベトナムでの感染症の状況、病院の使い方と多岐にわたる。1回目は12人、2回目は30人と多くの人が参加し、終わった後の懇親会は情報を交換する貴重な場となった。患者確保の一環だが、充実した取り組みだった。また台湾人の学校と連携して、医師を派遣することもあった。

ようやく運営にも慣れ1年が過ぎた頃に新型コロナがやってきた。ベトナムでは外出制限措置や県を跨ぐ移動制限などの対策が講じられ、クリニックも診察日を週に3日と制限せざるを得なくなった。開いている時でも他県に住む医師が来られず遠隔診療を強いられたり、建物内部でコロナ患者が発見されると一定期間強制閉鎖されるため、一旦外で抗原検査を実施してからの診療になったり。慣れない対応を強いられたが、スタッフ全員でなんとか乗り切った。

さまざまな苦難を乗り越え、現在では黒字化を果たしている。当初の計画と比較すると利用者数などに物足りなさはあるが、街唯一のインターナショナルクリニックとして、住民や働く人たちの生活を支えることへの充実感はある。引き続き新都市とクリニックの将来を楽しみに運営を続けていく。

もう一つ紹介したいのは、ロシアでの肥満・糖尿病予防プログラムである。2年前のウクライナ侵略で両国の関係は冷え込んでしまったが、それまでは当時の安倍首相が北方領土の回復を目指して、プーチン大統領と何度もトップ会談の機会を持ち、幅広い領域で協力が進められていた。

16年5月の日露首脳会談では8項目の協力プランがまとまった。資源開発や都市環境の整備といった項目の筆頭に挙げられたのが医療協力で、その目玉事業が肥満予防のプロジェクトである。肥満症がロシア国民の健康寿命を縮めていることから、患者に対しての生活習慣改善や予防プログラム開発に日本の知見を提供しようというものだ。

日本では08年に、国が健保組合に対して40歳以上の加入者への「特定健診・特定保健指導」を義務付けている。これを受けて、メディヴァの健保チームが健保組合と連携してメタボ減らしを進めてきたのは第15回で紹介した通りである。

日本の国立循環器病研究センター、愛知県健康づくり振興事業団、滋賀医大がロシア国立予防医療科学研究センター(NRCPM)と組んだプロジェクトに、メディヴァは多くの専門家を束ねて、事業をサポートする事務局役として起用された。

計画には肥満症患者に対する予防プログラムの企画や実証研究、食生活改善プログラム、身体活動プログラムといった事項が並び、さらに日本人の長寿の要因とされる和食をロシアの食文化や国民の嗜好に合わせて普及させるという意欲的な取り組みも加えられていた。国家間の事業だけに一定の期間に成果を出すことが求められているが、両国から集まった多くの専門家の足並みをそろえるのは容易でない。進捗度に目を配り、研究をサポートしながら事業全体をコントロールするのがメディヴァに託された役割だった。

プロジェクトは当初、お互いの取り組みや食文化を知るところから始まった。ロシアの専門家を招いて、特定保健指導など日本の生活習慣病予防プログラムを説明し、指導手法、教材などを共有した。日本食体験では、ひじきの味に感動し、お土産にひじきを買って帰る参加者もいた。逆に日本の専門家が訪問した際には、ロシア側の取り組みや入院食を体験するほか、日本の病院の料理長を帯同させ、現地のキッチンスタジオを借りて日本食試食会を開くなど工夫を凝らした。

プログラム開発のための実証研究の第一弾として、モスクワ在住の10人の被験者に、3か月間にわたり日本の手法を取り入れた指導や教材で生活習慣の改善を支援してみた。すると減量につながり、担当した現地の医師も手ごたえを感じたという。

次の段階はモスクワでの200人規模の調査研究で、「生活習慣の改善をしっかりと指導する」「動機付けをして自分自身で改善するように促す」「とくに指導などはしない」の3グループに分けて調べた。しっかりと守った59名では平均で体重が4.7キロ減り、腹囲は4.6センチ減少し、この成果は論文にもまとめられた。プロジェクト開始当初は、一緒に活動する日露の専門家、事務局のメディヴァの全てが手探りの状態だったが、次第に一つのチームとして纏まっていったと小倉マネージャーは振り返る。

新型コロナの蔓延で当初の計画の見直しを迫られながらも、20年度に1地域、21年度には5地域についてそれぞれ100人を対象とする大型調査に移り、600人の被験者のうち546人がプログラムを最後まで受けている。19年にロシアでも年1回の健康診断の受診が法律で義務付けられたばかりで、今回の結果をもとに全土で保健指導制度が導入されることへの期待が、日本側でも高まっていった。

予想もしなかったウクライナ侵攻が始まったのは、年度最終盤の22年2月。そのまま動きは止まってしまった。「メディヴァにもカントリーリスクがあるなんて…」と大石さんは驚いたという。日本での蓄積がロシア市民の役に立つことは確認できたものの、肝心の交流が実質的に断絶している今、先行きの見通しは立たない。

(つづく)