2026/08/12/水
医療政策・制度を読み解く
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【執筆者】
シニアマネージャー草野 康弘
東京都出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学時は医療者と一般市民が相互理解を得るためのヘルスコミュニケーションについてフィールドワークを中心に研究を行う。 大学卒業後、外資系医療機器メーカーでの新規市場開拓営業に従事した後、2014年1月よりメディヴァに参画。病院の経営企画職等の現場実務を経て、医療機関の事業再生を専門としてプロジェクトマネジメントに従事。現在は患者視点の医療を実現すべく、全国の中小病院をコミュニティ・ホスピタルに変革することをミッションとして取り組んでいる。
目次
厚生労働省は2026年8月5日、第1回「厚生労働省ヘルスケアAX・DX推進本部」を開催しました。
同本部は、これまでの「医療DX令和ビジョン2030厚生労働省推進チーム」を改組したもので、厚生労働大臣を本部長とし、医政局、保険局、医薬局、老健局、障害保健福祉部、情報政策、サイバーセキュリティなどの関係部局が参加します。ヘルスケア分野におけるAI利活用とDXを戦略的、総合的に推進するための「司令塔」と位置付けられています。
従来の医療DXは、マイナ保険証、電子処方箋、電子カルテ情報共有サービス、医療情報の二次利用など、情報基盤の整備を中心に進められてきました。今回、政府は「AIトランスフォーメーション(AX)」をその名称に加え、AIの導入にとどまらず、AIを前提として意思決定や業務の進め方を根本から見直すとしています。
ただ、第1回会合の資料を確認すると、病院分野における具体例として示されたのは、「看護記録等の文書作成」でした。
書類業務の負担軽減は医療現場にとって重要な課題です。一方で、病院の業務や医療提供体制をAIによってどのように変えていくかという観点から見ると、やや限定的な例にも見えます。
本稿では、ヘルスケアAXの例示がなぜ書類作成から始まったのか、これまでの政策経緯を振り返りながら考察します。
AIの利活用をめぐる政府の方針は、日本成長戦略や人工知能基本計画、バーティカルAI領域別戦略の中で示されています。
中でも、医療、介護、金融、物流、製造など、特定の業務領域に特化した「バーティカルAI」の領域別戦略では、医療・介護・福祉を「公共性のある領域」と位置付け、AIによって人手不足を解消し、サービスの供給力を維持することを目指すとしています。
その具体例として示されたのが、看護記録等の文書作成や福祉相談業務を支援するAIの開発・普及でした。これは厚生労働省のヘルスケアAX資料にも掲載されています。
同省は現時点で、病院におけるAI活用の工程表や、診療報酬上の評価、医療安全上の責任分担などを示してはおらず、書類作成が病院AXの最終的な対象として決まったわけではありません。ただ、少なくとも政府が早期の普及を想定する代表的なユースケースとしていることは分かります。
今回の政策経緯を理解するうえで確認しておきたいのが、2025年に策定された「省力化投資促進プラン―医療―」です。
同プランは、医療従事者の不足が深刻になるなかで、デジタル技術や機器への投資を通じて医療現場の生産性を高めることを目的としています。具体的には、院内用スマートフォン、モニタリング機器、搬送ロボット、電子カルテへの音声入力などと並び、AIによる診断書や退院時サマリーの作成が挙げられました。
ここでの政策課題は、病院の医療提供モデルを再設計することよりも、目の前の業務時間の削減です。導入効果も、作業時間、総労働時間、時間外労働、職員の負担の軽減といった指標が中心になります。
厚生労働省が示した事例では、生成AIの利用によって退院時サマリーの作成時間が1時間から20分になったケースや、診療情報提供書・退院時サマリーの作成時間が平均47%短縮されたケースなどが報告されています。
書類作成は、導入前後の作業時間を比較しやすく、政策効果を定量的に示しやすい業務です。AIが下書きを作り、医師や看護師が最終確認する形であれば、現在の責任分担を大きく変えずに導入できる点も、実装を進めやすい理由と考えられます。
政策資料を読む限りでは、病院のあるべき将来像から書類業務が選ばれたというより、省力化政策のなかですでに実績のあるユースケースが、政府のバーティカルAI戦略を経て、ヘルスケアAXへ接続されたと捉えるのが妥当でしょう。
AIの活用対象は、文書作成だけではありません。
例えば病院では、救急患者の受入れ判断、入院病棟の選定、病床配置、退院可能性の予測、重症化リスクの把握、紹介・逆紹介などにもAIを活用できるでしょう。
ただし、こうした業務にAIを組み込むには、文書作成とは異なる課題があります。
第一に、電子カルテ、検査、画像、看護、リハビリ、病床、退院支援などの情報を、AIが利用できる形で接続する必要があります。現在は電子カルテベンダーごとに仕様が異なり、院内でも情報が複数のシステムに分かれています。医療機関と介護事業所、在宅医療、自治体との情報連携も十分とはいえません。
第二に、AIの提案が患者の診療や処遇に影響する際は、性能評価、継続的な精度管理、患者への説明、誤った提案が行われた場合の責任などを整理する必要があります。AIを医療機器として扱うのか、最終判断者を誰にするのかによって、必要な制度も変わります。
第三に、病院の業務フローを大きく変える場合には、職種間の役割や診療報酬上の評価も関係します。書類の下書きをAIへ置き換えるだけであれば現在の組織を維持できますが、入退院支援や病床管理を再設計する場合は、医師、看護師、事務職、地域連携部門などの責任と業務分担を見直さなければなりません。
これらは単にAI製品を導入しただけでは解決できず、データ基盤、制度、技術、財源を組み合わせて検討する必要があります。書類作成は、こうした制度改革を待たずに着手できる領域でもあります。
一方、推進本部が参考資料の1つとする「AI駆動型の健康・医療基盤への構造転換に向けた提言」では、AIを局所的な診断支援ツールとして導入するのではなく、予防、診断、治療、服薬、介護、リハビリ、在宅支援、事務、経営、創薬、臨床研究までを含め、ヘルスケア全体の業務フローを再設計する必要があるとし、書類作成にとどまらない幅広い構想が示されています。
具体的な検討項目としては、次のような内容が挙げられています。
病院の業務や医療提供体制を根本から見直すという意味では、こちらがヘルスケアAXの本体に近い内容です。
ただし、この提言は自由民主党のプロジェクトチームがまとめたもので、政府として決定した政策や工程表ではありません。厚生労働省の今後の検討事項に影響する可能性はありますが、実施時期、予算、制度改正の内容が決まっているわけではありません。
現時点では、幅広い構想が「参考」として示される一方で、実際の普及施策は文書作成などの実装しやすい領域から始まっている段階と考えられます。
生成AIによって書類作成にかかる時間を削減することは、省力化として一定の効果があります。しかし、それだけで病院の業務全体が変わるわけではありません。
例えば、AIが退院時サマリーの下書きを作成しても、医師が原記録とひとつずつ照合し、別の職員が他のシステムへ転記し、紙で出力して承認する工程が残れば、削減できる業務量は限定的です。
また、退院時サマリーの作成が10分短縮されても、退院支援の開始が遅い、介護サービスとの調整に時間がかかる、家族への説明が進んでいないといった問題が残れば、患者の退院時期や病床稼働には影響しません。
AXとして考える場合には、文書作成単体ではなく、その前後の業務まで考慮する必要があります。
入院時点から退院後の生活を見通し、必要なリハビリ、介護申請、家族面談、在宅医療との調整を早めに動かす。その過程で入力された情報を、院内の多職種が共有し、退院時には診療情報提供書や在宅・介護への連絡文書へ再利用する。こうした一連の流れにつながれば、文書作成の自動化は、入退院支援全体の再設計に貢献します。
AIを導入するかどうかではなく、AIを導入することでどの業務を廃止し、どの判断を早め、空いた時間を何に振り向けるかまで確認する必要があります。
ヘルスケアAXの具体的な政策は現時点でまだ固まっていません。病院経営者にとって、特定のAI製品や補助制度を前提に中長期の計画を立てる段階ではないでしょう。
ただ、今後の政策を見るうえでは、いくつか注目すべきポイントがあります。
まず、AIと電子カルテを接続する標準的な仕様が示されるかどうかです。文書を外部のAIへ入力するだけでは、院内業務全体の再設計には限界があります。
次に、AIの性能評価、医療安全上の管理、医療者とAIの責任分担がどのように整理されるかです。人が最終責任を負うとしても、全ての生成物を一から確認する運用では、十分な効率化につながらない可能性があります。
診療報酬、補助金、基金などとの接続も重要です。AIの導入件数ではなく、AIの導入によってもたらされた労働時間、医療安全、患者の待ち時間、救急受け入れ、退院支援などにおける成果をどのように評価するかによって、病院側の取り組み方も変わります。
さらに、中小病院にとっては、初期費用だけでなく、電子カルテとの接続費用、サブスクリプション費用、セキュリティ対策、運用を担う人材の確保も課題になります。補助期間が終了した後も継続できる仕組みかどうかを確認する必要があります。
ヘルスケアAX・DX推進本部の設置によって、厚生労働省は、医療、介護、福祉、医薬品、情報政策などに分かれていたAI・DX政策を横断的に扱う体制を整えました。従来の医療DXから対象を広げ、AIを前提とした業務や制度の見直しまで扱おうとしている点は、今後の医療政策を考えるうえで重要な変化です。
病院経営者にとっては、ヘルスケアAXをめぐる政府の構想が今後、どのように工程表や予算、データ標準、責任ルール、診療報酬などに具体的に落とし込まれていくかが注目ポイントになるでしょう。
推進本部会議が病院分野の具体例に挙げた看護記録などの文書作成を入口として、その先の医療提供体制の見直しまで進められるかどうかが問われます。
メディヴァでは、自社開発の業務量調査アプリ「MIERU」を活用し、医療機関における業務時間や時間帯別・勤務シフト別の業務量を可視化する「業務量調査・測定結果提供サービス」を提供しています。
AI・DX導入前の実態把握、改善対象業務の検討、導入前後の効果測定などにご利用いただけます。
サービスの内容、利用の流れ、料金等については、業務量調査・測定結果提供サービスのご案内をご覧ください。
主な出典