2026/08/10/月
医療・ヘルスケア事業の現場から
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【執筆】コンサルタント田中/【監修】取締役 小松大介
目次
精神科病院の入院患者数が減少するなか、安定した経営を続けるには、地域で求められる診療機能を強化し、診療報酬上の評価につなげることが重要です。
本稿では、支援先病院が「精神科急性期医師配置加算1」の取得を見据え、クロザピンの導入体制を整備した事例をもとに、院内外の課題を解決し、診療機能と増収を見込める体制を整えた過程を解説します。
精神科病院を取り巻く経営環境は厳しさを増しています。その背景の一つには、入院患者数の減少があります。なかでも、これまで入院患者の大きな割合を占めてきた統合失調症患者の減少が、全体を押し下げる主な要因となっています。
厚生労働省の患者調査によると、精神疾患による入院患者数のうち、「統合失調症、統合失調症型障害及び妄想性障害」の患者数は1996年時点で約22万人でしたが、2023年には約13万人と約40%減少しており、今後もこの傾向が続くと見込まれています。この背景には、精神疾患が重症化する前に治療介入したり、長期入院から地域での生活へ移行できるよう医療・福祉体制が整備されてきたことや、抗精神病薬の進歩などがあると考えられます。

こうした環境の中でも医療を安定して提供し続けるには、それに対応した経営戦略が欠かせません。精神科医療は一般科と比べて高額な医療機器や診療用材料を使用する場面が少なく、材料費は相対的に抑えられています。一方、人件費を過度に抑制すると、医療の質や病院機能の低下、職員の意欲低下や離職を招くおそれがあります。したがって、単純な費用削減だけでなく、患者数や診療単価の向上にも目を向け、収益を伸ばす必要があります。地域で求められる診療機能を強化し、診療報酬上の評価を得ることは、その有力な方法の一つです。
支援先病院では、厳しい経営環境のなかで、診療単価を向上させる方法を模索していました。その中で着目したのが、「精神科急性期医師配置加算1」です。算定にあたり、支援先病院が新たに満たすべき要件として、治療抵抗性統合失調症患者に対するクロザピンの新規導入実績がありました。クロザピンの導入は、加算取得に必要な要件への対応であると同時に、精神科病院として提供できる治療の幅を広げ、診療機能を一段高めることにもつながります。そこで、診療単価の向上と、地域の期待に応える診療機能の強化を両立する取り組みとして、クロザピンの導入体制整備に着手しました。
クロザピンは、治療抵抗性統合失調症に対する適応を有する唯一の抗精神病薬であり、既存の薬物療法で十分な改善が得られなかった患者に新たな可能性を提供します。一方、無顆粒球症や耐糖能異常などの重篤な副作用が生じる可能性があるため、導入・継続にあたってはCPMS※に基づく検査と副作用管理が義務付けられるなど、ハードルは決して低くありません。実際に、支援先病院がクロザピンを導入するまでには、院内外の体制整備をはじめ、満たすべき要件や解決すべき課題が数多くありました。
※CPMS(クロザリル患者モニタリングサービス):クロザピン投与中の無顆粒球症や耐糖能異常の早期発見・対応を目的に、医療機関、医療従事者、患者などを登録し、血液・血糖検査の実施と処方判断を支援する仕組みです。詳細は最新のCPMS運用手順(https://www.clozaril-tekisei.jp/operation-procedure)をご確認ください。
クロザピン導入に至るまでに直面した課題について、CPMS登録前後に分けてご紹介します。
クロザピンを導入するには、CPMS登録医療機関として承認される必要があります。そのためには、関係する医療従事者のCPMS登録が必要で、登録医、クロザリル管理薬剤師、CPMSコーディネート業務担当者をそれぞれ2名以上配置することが求められます。しかし、必要最低限の人数を確保するだけでは、休暇や勤務状況によって対応できない時間帯が生じるおそれがあります。
そこで支援先病院では、薬剤師全員と、導入病棟の師長・リーダークラスの看護師全員がWeb講習を受講し、それぞれクロザリル管理薬剤師、CPMSコーディネート業務担当者として登録しました。クロザリル管理薬剤師とCPMSコーディネート業務担当者の業務には、検査結果の確認など密接に関係する部分があります。役割が曖昧なままでは、業務の重複や対応漏れが生じるおそれがあるため、看護部長と薬剤部長を交えて協議し、検査スケジュールの管理、結果の入力・確認、調剤前の確認、関係者への連絡など、具体的な業務ごとに役割を整理しました。
医師についても、導入の背景と臨床的意義、整備する安全管理体制を説明し、主治医に加えて、診療を補完する複数の医師に登録を依頼しました。
CPMSでは、重篤な副作用に備え、専門医から速やかに助言を得るとともに、緊急時に患者を受け入れて治療できる医療機関との連携が求められます。
支援先病院は一般科病院とのつながりが乏しく、連携先の確保が課題でしたが、同院に精神科医を派遣している大学病院に依頼し、協力を得ることができました。有害事象発生時の相談・助言や緊急時の患者受け入れについて覚書を交わし、血液内科医、糖尿病内科医とも連携できる体制を整えました。
CPMSの登録要件として、患者の状態によっては休日を含め毎日の血液検査および結果の報告が可能であることが求められています。支援先病院では夜間・休日に臨床検査技師が勤務しておらず、従来の委託先も時間外の緊急検査には対応できませんでした。そこで、検体の緊急検査ラボへの搬送を含め、夜間・休日にも結果を得られる検査会社へ変更しました。
一方、結果が出るまでの日数が従来より長くなる検査が一部出てきたり、付帯して委託していた健診サービスの見直しも必要になりました。変更の目的、各部署への影響、不具合と対応策を整理し、診療や検査に関わる医局や臨床検査室に加え、健診を担当する総務課など、関連する全ての部署に説明し、協力を仰ぎました。すべての不利益は解消できないものの、代替手段や診療への影響、患者と病院にもたらすメリットを説明し、一定の不便も受け入れることを前提に病院全体として合意を形成しました。
こうして、人員配置と役割分担、連携医療機関、検査体制を整え、支援先病院はCPMS登録施設として承認されました。
施設登録後は、CPMSの基準を支援先病院の実務に落とし込みました。患者の選定から導入、定期検査、処方・投薬、副作用発生時までの業務と各部署の役割を整理し、「誰が、いつ、何をするのか」を明確にした院内運用マニュアルを作成しました。あわせて、導入対象患者がCPMSの基準を満たしているかを確認するチェックリストも整備しました。マニュアルの作成に当たっては、重要な論点が漏れないよう、支援先病院の主要な医師、薬剤部長、看護部長に加え、クロザピンの使用経験が豊富な他施設の医師にもヒアリングを行い、その内容を反映しました。
マニュアルやチェックリストの整備後は、クロザピンの製造販売業者と協力して全職員向けの説明会を開き、患者への対応や運用上の注意点を周知しました。発熱時や緊急検査時の対応はマニュアルから抜粋し、フローチャートに整理することで、迅速に対応できるようにしました。あわせて、必要な検査を漏れなく簡便にオーダーできるよう、医師や臨床検査技師と検査項目を協議し、電子カルテに検査オーダーセットを作成しました。
上記の取り組みを通じ、CPMSの基準や院内運用マニュアルを作成・周知するだけでなく、各部署が実際に運用できる段階まで浸透させることができました。
こうした体制面の整備と並行して、クロザピン導入に対する現場スタッフの不安や懸念にも向き合い、院内の合意を形成していく必要がありました。
今回のプロジェクトは、最初から順調に進んだわけではありませんでした。クロザピン導入に向けて動き始めた当初から、「当院には導入のハードルが高すぎるのではないか」「クロザピン対応の経験者がほとんどいないのに、求められる副作用対策を実現できるのか」といった、導入に反対する意見や、その実現可能性を懸念する声がありました。
対話を重ねるなかで、これらは単に新しいことを避けたいのではなく、患者の安全を守り、医療者としての責任を果たせるのか、という不安から生じていることが分かりました。そこで、反対意見を押し切るのではなく、何が導入の障壁になっているのかを一つずつ確認し、安心してクロザピン治療にあたるための対応策を検討しました。
ただし、各部署、各スタッフの部分最適を優先するあまり、病院の全体最適が損なわれては本末転倒です。懸念に対応しつつ、患者の安全、実行可能性、経営への影響を総合的に判断し、必要な負担や不便は受け入れてもらうことも必要でした。
こうした調整は、こちらが協力を求めるときだけ関係者に連絡しても進みません。日頃から関係者のもとへ足を運び、業務上の困りごとや課題を把握し、必要に応じてその解決にも関わりながら、継続的にコミュニケーションを取ることが重要でした。
一連の体制整備を経て、支援先病院ではクロザピンによる治療を開始しました。導入患者数は順調に増えており、精神科急性期医師配置加算1の取得が視野に入っています。同加算を算定できるようになれば、対象病棟の患者一人当たりの診療単価が約6%上昇する見込みです。
また、クロザピンを導入したことで、既存の薬物療法では十分な効果が得られなかった患者に、治療抵抗性統合失調症に対する唯一の適応薬を提供できるようになりました。診療単価向上の方策として始めた取り組みは、精神科病院として提供できる治療の幅を広げ、地域の期待に応える診療機能の強化にもつながりました。
精神科病院の入院患者数、とりわけ統合失調症の入院患者数が減少するなか、安定した経営を続けるには、病床稼働率だけでなく、診療単価を向上させる方法を具体的に検討する必要があります。支援先病院では、その選択肢として精神科急性期医師配置加算1に着目し、新たに満たすべき要件であったクロザピンの新規導入実績への対応を進めました。
クロザピン導入体制の整備は、制度やマニュアルを作成するだけでは十分に機能しません。病院全体で運用が成立するよう、現場に寄り添い、課題と向き合い、根気強く解決する必要があります。その積み重ねが、病院経営の改善と、患者にとってより良い医療の提供につながると考えます。
監修者
小松 大介
神奈川県出身。東京大学教養学部卒業/総合文化研究科広域科学専攻修了。 人工知能やカオスの分野を手がける。マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントとしてデータベース・マーケティングとビジネス・プロセス・リデザインを専門とした後、(株)メディヴァを創業。取締役就任。 コンサルティング事業部長。200箇所以上のクリニック新規開業・経営支援、300箇以上の病院コンサルティング、50箇所以上の介護施設のコンサルティング経験を生かし、コンサルティング部門のリーダーをつとめる。近年は、病院の経営再生をテーマに、医療機関(大規模病院から中小規模病院、急性期・回復期・療養・精神各種)の再生実務にも取り組んでいる。主な著書に、「診療所経営の教科書」「病院経営の教科書」「医業承継の教科書」(医事新報社)、「医業経営を“最適化“させる38メソッド」(医学通信社)他