2026/09/25/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
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目次
低い木々に覆われた山が左側に見える。山の手間には、野生のサボテンが群生していた。荒野といえば荒野にも見える。きっとこれがメキシコの原風景なのだろうと、長距離バスの窓越しに感じた。
お腹を下しながら乗車する長距離バスはスリリングだったが、それ以上に緊張することはバスの中で寝られないことだ。
「中米のバスで寝るとスリに遭う」
そんな記事をネットで読んでしまったから、眠ってしまわないように気を張っていた。
それにもかかわらず、窓の風景を眺めながら3時間くらい揺られていると、こちらから睡魔に身を委ねるかたちとなり、しっかり寝てしまった。
誰かに肩を叩かれて気づいたときには、目的地のオアハカのバス停に着いていた。慌ててパスポートがなくなっていないか確認する。いつもの場所にパスポートだと分かる長方形の感触を確かめることができると、思わずため息が出た。
オアハカはメキシコ南部にある都市で、コロニアル建築が立ち並ぶカラフルな街並みが有名だ。メキシコに行くならば数都市を巡りたいと考えていた。治安もほかの街に比べて悪くなく、観光地としても良さそうに思えた。
17時過ぎに宿に着くと、階段を上って部屋に案内された。ゴミ箱をずらすとアリが列を作っていること以外は、とても清潔な部屋だった。屋上に上ってみると、街全体が山に囲まれた盆地のような場所にあることが分かった。秋口だからか、気候は穏やかで晴れていた。
さらに標高も1,550mと今までより低くなったこともあり、階段を上っても息切れしなかった。たったそれだけのことなのに自由を手に入れた気になって、オアハカの街自体が輝いて見えた。
今回、中南米への旅を始める前にランニングする習慣ができていた。継続して旅先でも走ろうと決めていたのだが、息切れと天気の悪さが重なってまだ一度も走れていなかった。しかし、このコンディションなら走ることができそうだと思い、滞在中のどこかで走ることにした。

翌日、早速走ってみた。日本の道と違って路面がゴツゴツしていて、石が角ばっていることが分かる。歩いているときには気づかなかったことを感じられ、なんだか嬉しくなる。油断していると石につまずいてしまい、大きく転ぶ。こんな風に転んだのはいつぶりだろうか。手にできた擦り傷からは少量の出血があったが、痛みはなかった。
走っていると公園に行き着いた。時刻は朝7時。公園にはたくさんの人がいた。朝市でもやっているのかとみていると、ある建物の前に人が集まっていることが分かる。その中に包帯を巻いている人を見つけた。実は朝早くからみんな診療所を受診するために並んでいたのだった。
宿に帰って調べてみると、Unidad de Medicina Familiar N1という診療所だと分かった。日本語に訳すと「家庭医療ユニット1」。プライマリ・ケアを提供する場所で、メキシコ社会保険(IMSS)の加入者が利用する。開院時間は6時から。中には待合室があるのだろうが、なぜあんなにも溢れかえっていたのかと不思議に思う。
IMSSが提供するメキシコのプライマリ・ケアでは、ヨーロッパの多くの国と同様に、担当する家庭医があらかじめ決まっている。しかし診療所の診察能力をはるかに超える需要があるのだろう。日本の診療所の前に、人気飲食店のように長蛇の列ができていたとしたら、きっと何事かと思うはずだ。
実際、IMSSが加入者を対象として行った満足度調査では60%がプライマリ・ケアに満足と回答し、不満足の理由として長い待ち時間(69%)、医療従事者の不足(66%)が挙げられていた1)。
日本にも混雑や待ち時間はあるが、原因は少し違う。メキシコのIMSSでは多数の加入者が登録された家庭医療ユニットに集中するのに対し、日本では患者が医療機関を比較的自由に選べる。そして、日本の病院は非常に多くの外来患者を短時間で診察することでアクセスを維持している。
私がさっき転んだ時に大きな怪我をしていたら、病院を受診するのにいったいどのくらいの時間がかかったのだろうか。もしかしたら後ろの旅程を全て変更しなくてはいけなかったかもしれない。手を擦ったくらいで済んでラッキーだったと感じた。

街を散策したり、遠出して遺跡に行ったりしてみたが、1番の思い出は市場で助けてもらったことだ。
オアハカに来てから名物のモレネグロなどは一通り食べたけれど、個人的には味が薄くて満足感が得られる味わいではなかった。それならばやはりローカルな場所でみんなが食べているものを食べるべきだと考えて「11月20日通り((Avenida 20 de Noviembre)」にある市場までやってきたのだった。
熱気と活気が立ち込める市場の中には、切り出された動物の肉が剥き出しで売られていた。日本のスーパーとは違って、動物を食べているんだと強く実感させられる。ただ、そんな光景を目の前にしても私の食欲はちっとも衰えることはなく、何を食べようかと散策を続けた。
なんとなく人が多そうな辺りで、この店にしようと決めた。スペイン語で注文しないといけないが、話すことができないので写真のないメニューの文字を指さすと、席に案内された。全ての席が相席のようだ。
座ってしばらく待っていても、全く食べ物がやってこない。本当に来るのだろうかと思い、注文した店員のところまで行って確認してみると、「今、行くから待ってろ」といった雰囲気だ。席に戻ってさらに待っていると、注文したらしき商品が運ばれてきた。しかし、それが自分の注文したものかどうかが分からない。はっきりと分かったのは、注文した品数より受け取った数が少ないことだった。
これでいいのかと訝しんでいると、向かいに座っていた客が英語で話しかけてくれた。事情を話すと、スペイン語で店員に確認をしてくれたらしかった。どうやら忘れていたようだ。きっとよくあることなのだろう。このことがきっかけとなって、相席していた人達と話すことになった。
彼らはチリ出身で、今はカナダで生活をしている老夫婦だった。確かにラテン系の雰囲気で、英語にも少しアクセントがあるけれど、私よりはるかに上手だった。働くためにカナダに渡ってずっと住み続けているようだ。
アメリカ大陸だと、バイリンガルなどの多言語話者は日本より多いのだろうか。陸続きだと交流しやすかったり、英語を習得できれば働けるという希望を持ちやすいのだろうか。少なくともこの大陸では、英語とスペイン語が話せれば、ほとんどの国で生活ができそうだ。自分の生活範囲が広がりやすい環境にあることは羨ましい。
ちなみに、中南米の人はアメリカ合衆国のことを「アメリカ」とは呼ばない。なぜなら「アメリカ」は国の名前ではなく大陸の名前と捉えているからだ。代わりに英語でいうところの「United States」を使用する。物事をどのように捉えているかが言葉に現れている。以前、旅の途中で「中国と日本ってどう違うの?」と聞かれたことを思いだした。こちらとしては全然違うが、遠くにある国の地理を正確に説明できるかといえば、実際は難しい。
人と話すことで、少しずつアメリカ大陸に馴染んでいく。この旅が終わるときに中南米のイメージはどのように変わっているのか。メキシコに出会った人々の親切さが、「危険な場所」という先入観を徐々にほぐしていった。

次回は10月9日(金)ベリーズ編となります。
【参考文献】
1)Primary Health Care for Resilient Health Systems in Latin America. (2022). OECD Health Policy Studies. https://doi.org/10.1787/743E6228-EN
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