2024/12/13/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
▼前回はこちら
https://mediva.co.jp/report/backpacker/15688/
目次
飛行機の窓から眺めたおそらくカンボジアだろうと思う場所は、まっさらな模造紙を広げたような何も描かれていない乾いた土地だった。高度が下がって着陸体制に入ってもその光景は変わらず、やっぱりここがカンボジアなんだなという確信に変わった。大抵こういう場所は街があったとしても小さくて、ビルは望めない。ヴィエンチャンのように何もないのではないかという先行き不安な気持ちだ。その気持ちは空港から乗ったタクシーから見る景色によってさらに増幅されていく。
飛行機からみたシェムリアップ
タクシー運転手は「あれがカシューナッツの木だ」と解説してくれているが、その輸出用の樹木以外はラピュタの主題歌に出てきそうな地平線しか見えない。「この国の医療はどうか」と聞いてみると「悪くない、病院に行ったら診療してくれる」と多分こちらの質問が悪いこともあってざっくりした答えが帰ってきた。東南アジアでたまにこの質問をしてみるけど、タクシーの運転手は大体このように返してくる。そもそも他国との医療の比較を市民ができるのだろうか。私自身でさえも海外で医療を受けたことがないから、こう聞かれたら同じように答えるかもしれない。
そもそもアンコールワットとポル・ポト政権以外のイメージをカンボジアに対して持っていないことに気が付く。「結構、野晒しな国なのかも」というざっくりした感想しか頭に浮かばない。なぜならカンボジア第2の都市があると言われているシェムリアップを目指しているのに空港から都市までの間、景色が全く変わらないからだ。このタクシーが目的地に着かなかった場合、文字通り途方にくれてしまいそうな場所だった。
そうは言ってもしばらく乗っていると堰を切ったように市街地が姿を現す。実際に乗車していた時間は15分くらいだったのにとても長く感じた。ようやく建物が見えてきて少し安心する。もちろん携帯で地図を確認しているので、到着できそうかどうかは見張ってはいたけど、実際に目で街を確認できると正しい実感が湧いてくる。市内とアンコールワットを結ぶプレアー・シアヌーク・アベニュー沿いのホテルにたどり着いた時にはこれがこの旅のクライマックスであるかのような疲労感があった。
疲労感をさらに強めたのは外気温だ。4月末のシェムリアップは41℃でさらに乾季ということもあり、水も干上がっていて公衆トイレでも水がでないらしい。ベンメリア遺跡という場所に行った際にツアーガイドにトイレに行きたいというというと「小なら木陰で、大なら乾季だから使えない」と言われた。「あなたは大がしたくなったらどうするのか」と尋ねれば、「車で家へ帰る」と言っていた。そんなに干上がっているのか。
ホテルにはそんな中でもプールがあったけど、天然の温水プールになっていて泳ぎたい感じではなかった。さらに部屋のエアコンの調子が悪く、黙ってくつろいでいるだけで汗が止まらない。初日は耐えてみたが、やっぱり難しくて部屋を変えてもらった。初めて来たシェムリアップは熱くて平らな鉄のような場所だった。
シェムリアップは英語で書くとSHEM REAPとなる。そのためかみんな「シェムリープ」と呼んでいるように聞こえる。私は他の日本人バックパッカーが「シェムリ」と呼んでいたいのに倣って日本人に話す時にはシェムリを使っている。なんかマシェリみたいで可愛い。
宿泊したホテルには英語学校が併設されていて、そこで英語を習ったスタッフが高いホスピタリティを持って接客をしてくれた。地政学的には中国との関係が強いカンボジアだが、シェムリアップの印象は中国というよりアメリカだ1)。基本的に支払いはUSドルで行われ、お釣りとしてリエルという独自通貨が返ってくる。しかし、リエルで支払おうとすると「ドルはないのか」と言われてしまう。さらにドルも新ドルでないと少し嫌な顔をされる。
どんなお店に入っても簡単な英語が通じる。これはかなり私としては助かる。昔、バイト先にクメール語専攻の女の子がいたから、みんなクメール語を話すものだと思っていたが有名観光地だけあって英語、さらには通貨までもUSドル。市街地のレストランやカフェはどことなく欧米風なものが多かった。これもなんとなく自分のイメージと違うこの国の特徴だった。
そういえば以前、カンボジアに病院を開院させた方の話を聞きに行ったことがある。クメール語には脳を意味する単語がないそうで、全て「頭」という意味の単語に包括されているらしい。何語で医療がされているか気になり調べてみると、英語か旧宗主国のフランス語だそうだ2)。教科書、カルテ、検査データが英語であるならば医学的な能力よりもまずは言語的な能力が求められる。
そもそも医学部に入学するときに医師としての資質が測られたことはない。予備校でも英語とか数学を教えるけど、医師がどういう職業かどうかを教えられることはなかった。評価に合わせて学習内容が変わる訳だけど、評価を受ける側が18歳くらいで本質を掴んで職業選択を行うためには相当達観している必要があるのではないだろうか。
いずれにしてもカンボジアの現在の知能人は何かを学ぶ時に他言語を使っているとするならば、その努力は凄まじいように思われる。この先東南アジアが発展する時にはカンボジアが強いリーダーシップを見せていくかもしれない。もちろんシェムリアップ自体が観光業で栄える必要がある場所だとは思うが、他国の価値を取り入れていく姿勢は学ぶところが多いようだった。
シェムリアップ市街地のパブ・ストリート 英語が目立つ
ここに来た目的はもちろんアンコール・ワットをみるためだ。どうやら日の出とともに見るのが一般的らしい。アンコールというのは王朝の名前で、ワットは寺院を意味する。その時間に間に合うように寺院巡礼ツアーを予約して、外が暗い4時台に出かけた。目的地についてガイドが「ここがアンコール・ワットだ」というが森に囲まれていて、外からはその姿は拝むことはできない。木々と堀に囲まれた寺院へは橋を渡っていく。このプロセスが今から自分が神聖な場所にいくのだと実感させてくれた。
徐々に日が登ってきていることが周囲の照度と鳥の鳴き声が教えてくれる。橋を渡ると目の前に灰色の岩でできたゴシック建築にも見える3つの三角錐様の建物が広がった。この土地で唯一知っている建物だ。でも自分が知っている建物はやっぱり写真であって、敷地と配置が作る空間は実際に来てみないと知り得ないものだった。ここがRPGの世界だったのなら、あの寺院の中には必ずボスがいて戦わなくてはならないような、場所としての圧倒的な強さみたいものがここにはあった。
当然、観光客もたくさんいて、今か今かと日の出の時間を待っている。一番日の出とアンコール・ワットが綺麗に見える場所はおそらくアンコール・ワットの正面にある池の前なのだろう。この場所だけ人の集まり方が違う。皆が思い思いにスマホを高く上げて写真をとっている。私も前に行こうと頑張ってみるけど、列ができていてなかなか前に入り込むのは難しい。そして池の周りを彷徨いているといつまにかアンコール・ワットの横に来てしまった。これでは日の出とアンコールワットが見えないなと思うと同時に、日の出とアンコールワットに夢中になる観光客の姿が映った。
多分、数十年前からほとんど変わらない光景。観光地になってからいつもきっとこうして人々はアンコール・ワットの前に並んで、その光景をみていたに違いない。私はなぜだか、それが寺院そのものより美しい様に見えてしまった。目的地に向かう途中に、ふと綺麗なお花畑にきて足を止める。そんな感覚に近い。1人ひとりが高揚して、感動している。日の出とアンコール・ワットを見なくてもいいのではないかと思わせる光景ではあったけど、このアツい場所をアンコールする気にはなれないので、再び写真スポットに戻った。
アンコール・ワットで日の出を待つ人々
次回は12月28日(金)内容はホーチミン編です。お楽しみに!!
【参考文献】
1) 奥山真司. (2024). サクッとわかる ビジネス教養 新地政学. 新星出版社.
2)カンボジア人が医師、専門医になる大変さ Sunrise Japan Hospital Phnom Penhからの報告② | ハフポスト NEWS. (n.d.). Retrieved December 10, 2024, from https://www.huffingtonpost.jp/rumiko-tsuboi/sunrise-japan-hospital-ph-1_b_14588268.html
白衣のバックパッカーのSNS: