2024/11/29/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
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▼前回はこちら
https://mediva.co.jp/report/backpacker/15615/
目次
シンガポールに対して予備知識がすごくある訳でもなく、何かの視察をするような崇高な目的もないため、個人的にはマーライオンとマリーナ・ベイサンズをみることができればいいかなくらいに思ってシンガポールへ向かった。
ブルネイからクアラルンプール(KL)経由でシンガポールの玄関口であるチャンギ国際空港へ向かう。乗り継ぎ時間は2時間45分で、チェックインもしなければならない。ちょっと時間が足りない感じもするが、アプリで取っているのである程度時間の担保はされているのだろうと思う。18時35分に人生2度目のKLに到着すると、既視感から生じる安堵感がなんとなく心に広がってきた。チェックインを済ませてセキュリティーエリア内へ入るために列に並ぶ。日本だったら1時間は待ちそうな列なのに15分くらいで手荷物検査までたどり着いた。パッと見た感じオペレーションに変わったことはなさそうで、あえて言うなら不必要な丁寧さみたいなものをなくすことで時短しているようだ。
22時30分に空港に到着するとSuicaで改札口を出るようにパスポートを処理して入国となった。最近はいろんなものがDXされていて20年前に比べれば味気ない旅になっている部分があるんだろうなと思う。入国スタンプがない国もチラホラあるし、その日暮らしで宿を確保しようものならばアプリを通じて満室であることが告げられる。だから最近は2週間前に宿だけは予約してある。日本にいるよりもスケジューリングが上手なのは実生活により影響しているからなのだろう。空港から宿のある場所まで行くためのイースト・ウェスト・ラインは23時が市内への終電のため、タナ・メラ駅で降りてバスに乗ってビクトリア・ストリート近くのサルタン・モスクを目指した。
到着したドミトリーは他の国で泊まった場所に比べると恐ろしく品があった。セキュリティーも共有スペースと自室に入るために2回通過することが求められる。乗ってきた飛行機のCAさんがしばらくしてからタクシーでやってきた。なんとなく「乗ってましたよ〜」と雰囲気でアピールしてみるけど、構ってくれるなという圧が感じられたのでしっぽり部屋に戻った。
この国、この部屋の品格はどこからくるのだろうか。部屋の照度なのか、設計なのか、人当たりなのか。自分のベッドでゴロついていると不意に日本らしさを感じていることに気が付く。思えば空港からここに来るまでの間、気を張る瞬間がなかった。
シンガポールが日本と似ている感じがするなんて観光地の写真を見ているだけでは分からなかったので、やはり現地に来てみる意味は大きい。ちなみにこのドミトリーは2泊で1万円の相部屋で日本のドミトリーであれば半額で宿泊できるだろう。コメント欄には「リーズナブルな料金でとてもよかった」と記載されている。そもそも商売における商人と客の関係性が日本とは異なっているように思われる。日本は多くの場合、サービスを受ける側に優位性があるように感じられ、他方海外は店側に優位性がある。そう考えると人を文字通り「おもてなし」する心みたいなものが文化として染み込んでいて、それが建物、UX、治安を通して品となって感じられたのかもしれない。もちろんその分支払わなくてはならない訳だけど。
宿の近くのサルタン・モスク
地球儀でシンガポールの位置を見ているとなんとなくマレー半島の先にある国だと思ってしまうけど、実際には小さな島になっている。面積は720km2で東京23区より少し大きいくらい1)のこの国には陸続きにマレーシアから入境することもできるけど、その場合にはジョホール水道と呼ばれる河のような海峡を橋で超えることとなるらしい。国名はサンスクリット語のシンガプーラ(獅子の町)が由来で14世紀頃からその名前で呼ばれていた。1819年にイギリス人のトーマス・ラッフルズと言う人がシンガポールに上陸し、そこからシンガポールという英語名が付けられ、6年後にはイギリス植民地となったようだ。ラッフルズという名前はシンガポールのいくつかの建物や道に残っている。
街を歩いてみると確かにイギリスっぽい建物や街灯が目に入る。一方で食べ物は中華料理っぽいものが多い。文化が混ざるというよりは共存しているような感じである。海が近いためシーフードが有名なのかと思えばそうではなさそうで、ラクサという麺類やチキンライスなどが名物のようだ。この辺りはマレーからの流れを組んでいそうである。唯一の有名シーフードはチリクラブというカニを丸ごと殻付きで茹でた後トマトベースのチリソースに和えて食べる料理だ。
JUMBO SEAFOODのチリ・クラブ
シンガポール川沿いのボート・キーという通りを歩いていると美味しそうなチリ・クラブの店があった。調べてみると有名店らしいので入ってみることにした。価格1杯5000円で少し高い。コースでみんなで食べるともう少しお手頃のようだが、この辺りは1人旅の難しいところの1つだと思う。味は言うまでもなく抜群に美味しい。がっついていたら隣のヨーロッパ人が私を肴にビールを飲んでいた。私はシーフードではない。
食事を終えた後、シンガポール川沿いの湾に向かってまた歩いた。すると人の数が少しずつ増えてきてマーライオンが近くにいることが知覚できた。世界3大がっかり名所の1つに数えられているらしく、小さいとかしょぼいとか言われているそうだ。だが私はかなり感動した。立髪の線がとても滑らかで、長い。そのことで胴体を作ることなくスムーズに人魚の尻尾に接続している。だから全体として調和が取れている感じがする。
水を吐かせているのも素晴らしくて、このまま彫刻としてここに鎮座させて置いてもいいものなのにわざわざ水を吐かせることで観光客のあの水を口移しする写真を撮影させている。よくみる角度よりも後ろ側から写真を撮った方がかっこいいと私は思う。そしてその正面にはマリーナベイ・サンズが聳え立ち、圧倒的に作られた景観が広がっていた。これを見るためにここに来たことが分かる。
後ろから見たマーライオン
マーライオンの正面にある湾はマリーナベイと呼ばれているそうだ。湾の周囲をたくさんの多国籍企業のビルが囲んでいるが、日本企業のそれはない。あるのかもしれないが、外からは見て取れない。自分が大企業を創業している訳でもないのになんとなくがっかりした気持ちになった。私が唯一みた日本企業はマリーナベイ・サンズ内のショッピングモールにあったミキモトだけだった。昔は日本の企業がたくさんあった時期があったのだろうか。建てられた時からそこには日本のものが入ることが想定されていない、そんな空気がピカピカの窓ばりのモールにはあった。
シンガポール観光をする時に度々聞く話が「街中でガムを噛んではいけない」というものだ。最近はあまり聞かないけれど大学生の頃まではシンガポールの話と言えばこの話が欠かせなかった。街中にガムや唾が捨てられ衛生上の問題があったらしいが、ある時電車のドアセンサーにガムが付けられて、多数の乗客に被害が出たことがきっかけで法律で禁止されるようになった。ガムは所持しているだけで2年の懲役または最大10万シンガポールドル(日本円で1140万円*1)の罰金があるそうだ。
この法律が出た時に政府に対して反論が起きたが、その際に「ガムが理由でものを考えられないならば、バナナを食べればいい」と言って沈めたのが当時、元そして初代首相のリー・クアン・ユーだ。イニシャルをとってLKYと呼ばれることがあるその人は東南アジア最大の指導者と呼ばれることがある。
リー・クアン・ユーのことを調べるとたくさんの逸話や名言が出てくる。第二次世界大戦をシンガポールで迎えた後、イギリスへ留学し帰国する。そこからシンガポールが生き残るためにマレーシアとの合併を目指し成功するも、マレー人を優遇するブミプトラ政策によって生じたマレー人と華人との間に軋轢が生じ、合併から2年後に分離・独立することとなった。
その後シンガポールの成長に対して様々な政策を実施していった訳で、今のシンガポールがあるのだと思う。独裁者と揶揄する人もいるけれど、強烈なリーダーシップを持ってなければここまで整備された国にはなっていなかったと思う。分離・独立の際に涙ながらにした会見の動画が残っている。その中で彼はシンガポールはマレー人の国でも華人の国でもインド人の国でもない、みんなにとって自分の場所であり、平等である国のようなことを言っている2)。だから私がこの国に着いた時に感じた品はどことも比べることができないシンガポールのものなのだろう。民族をシンプリファイせずにそのままの集合としてどう国として成り立たせるかという彼の熱意と彼が培ってきた品格が街に反映されている国、シンガポール。暑いのもきっとそのせいなのだろう。
次回は12月13日(金)、カンボジア編になります。次回もお楽しみに
C&CH協会(一般社団法人コミュニティ&コミュニティホスピタル協会)から出ているシンガポールの医療の記事。とてもよくまとまっているのでこちらもよければどうぞ。
シンガポール見学記① 国策として推進されるCommunityHospital
https://note.com/cch_a/n/n1d80d1792327
シンガポール見学記② ソーシャルな機能を有す2つのCommunityHospital
https://note.com/cch_a/n/n4dd2f46a8470
シンガポール見学記③ 今後のコミュニティホスピタルの方向性と可能性
https://note.com/cch_a/n/n47fc6a15e50d
【参考文献】
1)シンガポール基礎データ|外務省. (n.d.). Retrieved November 25, 2024, from https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/data.html#section1
2)1965年8月9日 リークアンユー氏による涙の会見 | Singapore Style. (n.d.). Retrieved November 25, 2024, from https://singapore-style.com/12913/
【注釈】
*1 換算レートは2024/11/25のものを参考にしています。
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