2024/11/15/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
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https://mediva.co.jp/report/backpacker/15418/
目次
ブルネイってどんな国かなかなか想像が付かない。場所はボルネオ島の北側に位置し、三重県くらいの面積の国だ1)。陸地はマレーシアに囲まれていて、宗教はイスラム教らしい。産油国でASEANの中では一人当たりのGDPは2位でシンガポールに次ぐ2)。確かに三重県で石油が採掘されたらエラいことだ。
そもそも何が私をブルネイに向かわせたか。それは「東南アジアの全ての国に行く」という目標があったからだ。この目標がなければおそらくクアラルンプール経由でどこか他の場所に行っていたに違いない。人が行かないところに行くというのも旅に集中しているからできることだろうし、マニラから1万円以内で行けてしまうのでますます行かない理由がなくなった。
有名なブルネイのニューモスク
セブからマニラで乗り継ぎをして23時にブルネイ国際空港に着いた。空港はとても静かで、パスポートには14日間のVISAが青いインクで押されていた。街に何もなさそうな気配があり、現金だけでも空港で下ろしておこうと思いキャッシングをATMでしてみたが、どの機械からも下ろせなかった。ブルネイは独自の通貨のブルネイドルなので現金がないとかなり辛い。そもそも空港から宿までのタクシーが現金だったので、手持ちのペソをドルに変えてもらってなんとか宿に着くことができた。
宿に着いたのは0時前。肌がよく焼けた40代夫婦がやりくりしているドミトリーだった。アプリで予約をしていたので気が付かなかったが現地払いだったらしく、現金がないことを伝えると、パスポートを質として押さえられ、ATMの場所を説明された。これは是が非でも現金を下ろさなければならない。大きなショッピングモールの中にあるATMに辿り着くまでにも苦労したが、時間も深夜なので閉まらないかどうかも気持ちをかなり焦らせた。
複数台あるATMを順番に試し、3回目で100ブルネイドルを引き出すことができた。とりあえず、海外で行動する上で一番大切なものは戻ってきそうだ。そもそもパスポートって携帯義務があるから質として取っていいのかという疑問もあったけど、現金で宿代を払えば解などどうでもよくなりそうな話だった。
翌日、首都のバンダル・スリ・ブガワンに向かうことにした。所要時間は徒歩1時間、これなら行けるかなと思い歩いて行くことにした。土地をどれだけ知っているかはその土地をどのくらい歩いたかで決まると私は思う。だから歩いてみることにしたのだがこれが失敗で、春先のブルネイはこれでもかというくらい日差しが強かった。タオルを頭に巻いて歩いてみる。なんとなく和らいだ感じはある。気温が高いことも辛いが、人が全く歩いていないのだ。みんな車に乗って移動している。みんな車を持っているのだ。単車とかも走っていない。物価がものすごい高いこともないのに所得が保たれているのだろう。
街に着くと少し街らしい様子はあるが、栄えているとは言えない。私はブルネイ川を小舟で渡って水上集落であるカンポン・アイールに向かった。この集落は東南アジアで最大の水上集落で、ブルネイの国家遺産になっている。かつては貿易の中心の一部であり、将来的には世界遺産になるかもしれないこの場所には、木製の道と高床式住居が立ち並んでいて歩くたびに狭い道から軋む音がする。東洋のベネチアと呼ばれることもあるみたいだが、観光地というよりは住宅地という感じだ。こんな場所にも病院があるらしく、せっかくならどんな雰囲気なのか見ていこうと思い訪ねてみることにした。Google mapには表示はされないため歩いて探してみるしかない。でも歩けど、歩けどそれらしきものが見つからなかった。町を端から端まで歩いてみたがどうにもこうにも見つからなかった。
しばらく集落を歩いてみた。よくみると高床式の床の部分で鶏を育てたりしている。自給自足でできることはしていそうだ。でもこの鳥たちは水位が上がったらどうなってしまうのだろうか。さらに水面にはゴミがかなり浮かんでいる。「母なるブルネイ」としてみんなここに流してしまっていそうな色合いだった。
道を軋ませながら広場に出てきて休んでいるとヒシャブを身につけた女性と目があった。この熱帯の国の人とは思えないくらい色が白い人だった。ブルネイ人はブルネイ出身と言われないと外見からは分からないなと思う。きっと私も向こうからすると何人なのか分からないのだろうなと思う。何せ私は日本人には見られないらしく、最近はインド人からカザフスタン人がこんなところで何しているんだと絡まれた。何を持って認識をしているのだろうか。
街と水上タクシー
小学校6年生のころ、金曜日23時15分になるとテレビ朝日を付けてTRICKというドラマを見ていた。正確にはTRICK2だ。その中で生瀬勝久さんという俳優が冴えないエンタメ警察として出演している。このドラマが好きだった影響で生瀬さんが他のドラマに出ているとなんとなく嬉しい感じがあった。そして同部屋に(もちろん本人ではなく)
生瀬さんに似たブルネイ人のおっちゃんが泊まっていた。当然のように私は生瀬さんとあだ名をつけた。生瀬さんは文法がめちゃくちゃな英語でしっかりコミュニケーションを取ろうとする、とても面倒見がいい人だった。なんとなく事業で一発当てたか、余命が短いかで残りの時間を人のために使っていそうな趣がある。
どこに行くにも生瀬さんは車を出してくれようとして、その度に年季の入ったBMWの助手席に乗せてくれた。もちろん何かせびろうとかそういうことはしない。マーケットに一緒にご飯を食べに行った時にはご馳走してくれたりもした。最終日には空港まで丁寧に送ってくれたりもした。宿で生瀬さんに「お前、仕事は何をしてたんだ?」と聞かれたことがある。「医者でした」と答えるとだったら「ブルネイで働けばいいじゃないか!」と言っていた。ブルネイの大きな病院は私立1つと公立4つしかないらしい。私立病院が近くにあるから、そこで働けと言っている。なんとなく難しい感じがしたのでお茶を濁すように笑って誤魔化したが、すごく推してきた。でも一体何が私がブルネイで働く上で難しいことなのだろうか。
生瀬さんが連れて行ってくれたマーケット
まず一つは宗教的にお酒が飲みにくいこと、あとは言葉。ここで働くならばマレー語を覚えなくてはならない。診察もかなり大変そうで、男性は臍から膝を隠し、女性は顔と手足以外を隠すらしい。皮膚の診察はどうやって行うのだろうか。あとは同性の医師がいないことを説明する必要があるそうだ3)。日本にいる時にイスラム教徒の患者さんは診療したことがないなと思う。
そして何よりもう少し都会がいい。イスラム教の国だからあらゆるものが整頓されているのだと生瀬さんは言っていた。ただ整理されすぎていて、掃除した後の机のように閑散として見えるのだ。だから何かに集中して取り組むならばすごくいい環境だと思うけど、どうにも私はもう少しこちゃこちゃしている場所の方が好きなようだ。
「自分探しの旅」に出て自分を見つけられた人はほとんどいない気がする。そんなに旅は便利なものではない。でもたくさんのインプットとアウトプットの機会には恵まれていると思う。その辺り旅はかなり公平だ。だから自分の気づかなかった感情が見えてくることがある。そういった感情が後から振り返った時に繋がって意味を持ってくるんだろうと思う。
更新は毎月第2、4(金)12時、次回は11月29日となります。次回もお楽しみに
【参考文献】
1)世界の医療事情 ブルネイ | 外務省. (n.d.). Retrieved November 5, 2024, from https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/asia/brunei.html
2)アジア大洋州局地域政策参事官室. (2023, December). 目で見るASEAN -ASEAN経済統計基礎資料-. https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000127169.pdf
3)イスラム教徒に対する基本的な診察はどのようにして行えばよいか? |Web医事新報|日本医事新報社. (n.d.). Retrieved November 5, 2024, from https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=12317
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