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人事ブログ

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2023/07/10/月

寄稿:メディヴァの歴史

無人島に街をつくれ ー 先駆者列伝5:ICT化に挑む。「医師の働き方改革」の先駆け

託された老人ホームの主治医という仕事は、運営側のベネッセ、メディヴァ・プラタナスの双方にとって「ウィンウィン」の話として発展していく。まずは遠矢さんと2人のスタッフが担当し、近隣の3施設を任された。これまでの経験を生かした丁寧な対応が評価され、翌年には、あわせると2000人が暮らす東京と神奈川の30施設を診てもらえないかという話に。またベネッセが有床診療所を作るので、プラタナスに運営を任せたいという提案まで示された。

ありがたい話だが、それだけの数の患者を抱え、緊急事態に対応できる24時間態勢を整えるには、当然ながら医師もスタッフも足りない。医師の確保に追われたが、運が向いていたのか短期間に5人ほどの医師が採用できた。それぞれ6ホームを担当してもらうことになる。遠方の神奈川については鎌倉(大船)に拠点を置いた。また有床診療所となった松原アーバンの院長は、近隣病院の院長を務めた梅田耕明さんが引き受けてくれた。頼もしい仲間が増えたことになる。

難題は医師のスキルや振る舞いにばらつきが大きかったこと。楽そうだと思ってやってきたため、「こんなに大変だったとは思わなかった」とぼやく人がいるし、「夜中に電話するな」と言い放つ人まで。アルバイト意識の払拭が何よりも重要だった。

07年に遠矢さんは故郷の鹿児島・鹿屋に戻った。重病の母親を看るためで、それからの2年間はアルバイトで地元の救急外来などに入っていたという。自らが患者家族となったことは、訪問診療の意義を肌で知る貴重な体験となった。

訪問診療の拠点の一つ、桜新町アーバンが生まれたのは05年5月。地主である神社が設立したが行き詰まり、銀行の紹介でプラタナスの一員として再出発することになった。しばらくは以前からの透析クリニックを中心に運営していたが、09年に遠矢さんが復帰して院長に就いたのを機に、外来機能のある「在宅療養支援診療所」に転じた。「自宅で療養をする人のために、その地域で主たる責任をもって診療にあたる診療所」として、厚労省が定めた要件を満たしたというお墨付きである。

現在、訪問診療にあたっているのは、桜新町、松原、鎌倉、青葉のアーバンクリニックで、40ほどの施設のほか自宅で療養する患者も抱えている。総計の患者数は2600人に達する。深夜を問わず対応が求められる担当医の負担をどう軽くするかは当初から取り組んできた難題である。

拠点の一つである松原アーバンが病床を持つ診療所となったことから、その夜間当直医を使った仕組みが、松原アーバン開設から数年後にスタートした。いざという時は急報を受けた当直医が往診に駆け付ける。一方、各クリニックではコール当番も続けた。夜間や週末に患者や家族から届いた連絡は当番の医師か看護師がまず対応し、主治医が必要と判断した時には松原アーバンの当直医に出動を求める。おかげで夜間、週末や祝日の臨時往診の80%が削減できた。この仕組みはイギリスのGP (General Practitioner、かかりつけ医)制度をモデルにしたもので、日本では初の試みだった。

チーム医療に欠かせないのは情報の共有だ。患者情報が共有されていて初めて患者や家族が安心する質の高い医療が提供される。遠矢さんが注目したのは、当時出始めたiPhoneだった。電子カルテの情報がiPhoneで手に入れば、いつでもどこでも誰でも最新の患者情報を元に診療ができる。

またインターネットに接続したり、色々なアプリを活用したりすることで薬の禁忌情報、診療スケジュールなどが即座に把握でき、日常の診療行為の質を効率よく高めることができる。小さくて軽いスマホは「在宅診療のために開発されたのでは」と言いたくなる優れものだった。

桜新町アーバンの取組を中心に、在宅医療のICT化とそれによる働き方改革はどんどん進んだ。たとえばボイスレコーダー機能を使うことにより、夕方クリニックに帰ってからカルテを書く手間を大幅に減らした。移動の途中に情報を吹き込み、そのデータを自宅で勤務する主婦看護師に送る。医療所見、診療報酬算定に必要な項目だけでなく、患者や家族から聞いた話も重要である。患者宅を出たばかりなら、記憶は鮮明で詳細な情報を送ることもできる。吹き込んだ内容は文字に起こし、クリニックに送られる。医師はクリニックで確認し、承認することによりカルテが出来上がる。これらの効率化により、医師の生産性は50%向上した。保育園に子供を迎えに行かなくてはいけない医師は定時に上がることができるし、浮いた時間で地域のセミナーなどを手掛けるメンバーもいた。

カメラで撮った処方箋を薬局に送り、処方した薬が素早く患者宅に届けられるようにする、診療情報提供書をスマホ上で作り外部サービスを使って病院にファクスする、介護士らと情報共有ができる「連携ノート」をネット上に構築する—さまざまな仕組みを構想し、活用することで、外部のパートナーとの連携も効率よく強化できた。

これらの取組は「iPhoneで在宅医療を効率化」(日経メディカル、10年3月号)、「医療・介護分野のiPhone/iPad活用事例」(Visionと戦略、10年11月号)、「iPhoneが変える在宅医療の未来」(Times、12年9月号)など多くのメディアで取り上げられている。新たに出現したスマホが医療現場を変えることへの興奮が当時の専門誌の大見出しから伝わってくる。

松原アーバンが新型コロナ中に病床を閉めたのに合わせ、22年6月からは用賀に医師と事務スタッフそれぞれ一人が詰める当直体制が始まっている。拠点を世田谷区の南部に移したことで、神奈川にある患者宅や老人ホームへの支援がより容易になった。午前9時から午後6時までは主治医、その後は電話も含めて事務スタッフと当直医がカバーする。施設在宅部門を担当する飯塚以和夫シニアマネージャーは「時間外の電話対応の負担が軽くなったことで、いい人材が採れるようになった」と手ごたえを実感している。

政府が「働き方改革実現会議」を設けたのは16年9月である。24時間対応が求められる在宅医療の現場での「働き方改革」をそのはるか前から取り組み、試行錯誤を重ねてきたことになる。

地域に打って出る医療は、社会の変化にあわせて大きく伸びている。メディヴァが進めるホームドクターの普及と訪問診療はコインの裏表のような関係に映る。何でも病院でという時代から、地域にいる多くの専門家と連携しながら自宅や施設でケアする時代へ。それは医療機関の役割を大きく変えつつある。一方で働き方改革を進めながら、医療の質は落とさない工夫は欠かせない。無人島に未来の社会につながる新たな街が生まれている。

(続く)