RECRUIT BLOG
2025/10/03/金
コラム
「気づいたらネットサーフィンで1時間経ってた」
「SNSを見てるとなんだか気分が沈む」
「何が正しいか分からないニュースばかり」
そんな経験はありませんか?
私たちは一昔前とは比べ物にならないほどの情報にアクセスできる時代に生きています。便利である反面、「疲れる」「混乱する」「不安になる」など、情報がストレスの原因になることも増えています。採用チームメンバーからも、仕事やプライベートで溢れる情報、正しいかどうかわからない情報への対処に悩むことがあるという声を聞きます。
私もこれらの悩みをもれなく経験してきましたが、これまで身をもって試行錯誤してきたことをもとに、どうすれば情報に振り回されず、うまく付き合い、情報を「活用」していると言えるかを考えてみたいと思います。
情報がもたらす4つの「害」
情報に接することで起こり得る害にはどのようなものがあるのかを改めて列挙してみます。
・時間を食い潰されてしまう
調べ物のはずが気づけば別の話題を追ってしまい、気づいたら数時間が経っていた。情報は際限なく広がっているので、「目的がないまま集める」とキリがありません。費やした時間に対して「何を得られたんだろう?」と落ち込む経験をした人も多いと思います。
・メンタルに悪影響を与える
不安なニュース、悲惨なニュース、誰かの成功体験、自分より“うまくやっている”ように見える他人…。普通に情報を得ているつもりが、だんだんと落ち込んだり自信をなくしてしまうことがありませんか。何かの役に立つべきである情報収集がこのようなマイナスの影響をもたらすことは皮肉な現実だと思います。
・「知らないこと」が怖くなる
時間を食いつぶされず、メンタルに悪影響を受けたくないので、情報を遮断したとしても「あのニュース知らないの?」と言われたくない。流行に乗り遅れたくない。「あの人はどうしているか?」そんな気持ちに駆られててしまうことがあります。結果的に必要以上に情報を追い続けてしまうこともあります。
・正しく判断するのが難しくなる
手軽に得られる情報は多いですが、正しいかどうかは別問題です。間違った情報に引っかかって判断を誤ることも、詐欺などのリスクもあります。情報を得れば得るほど、持て余してしまって考えることが難しいと感じることもあると思います。
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それらに対してどのように対処すれば良いでしょうか?これまでの体験と知識から私が有効だと思うことを5つにまとめてみました。
1:情報は「意思決定するための材料」と考える
こうした害は、情報の使い方を間違っているときに起きます。本来、情報は「意思決定するための材料」として使うべきものです。
たとえば仕事で何かを決めるときのプロセスとして、以下を想定してみます。
(1)何を目指すのか?(GOAL)
(2)判断するために、どんな事実があるのか?(FACT)
(3)事実からどう判断するのが妥当なのか?(LOGIC)
(4)判断の選択肢を比較して最終的な決定を下す。(DECISION)
この流れに当てはめたときに、いま求めている情報は何であるのかを把握している限り、情報の迷路の中で迷うことは少なくできるのではないでしょうか。
この流れの中で必要となる情報の多くは(2)か(3)であるはずです。(2)では判断のためのインプットを得ること、(3)ではインプットを処理する方法を収集することです。
(1)と(4)は本当のところはいくらネット検索をしても出てこないはずです。(1)は自分で決めるか、仕事の場面では既に決まっていることが多いと思いますし、(4)は自分の力で(2)(3)をもとに導き出すものだと思います。
こう考えると、最終決定にふさわしいと思える決定に行き着くために、本当に必要な情報はそれほど多くないはずなのですが、自分で考えて決めるべき(1)(GOAL)や(4)(DECISION)を求めて、目移りしたり迷ったり、と彷徨うことが害の原因になると思いますし、(4)DECISIONを下すというアクションを抜きにすると、延々と材料を集めることも起こりかねません。
まずは情報を探しているときに、自分が求めているものは(1)ー(4)のどれなのか?を意識するだけで無駄はかなり回避できるでしょう。もちろん、完全に先を見通せるわけではないので、多少は無駄な情報収集をしたり、考える道筋の中での寄り道などはありますが、際限なく情報を集め続けるようなことは起こりにくくなるでしょう。
2:知識よりも考える力を鍛える
「知識の量」と「判断の精度」は必ずしも比例しないという研究結果があるそうです。大事なのは「知っていること」ではなく、「どう考えるか」ということだと思います。
上の項目では、最終決定にふさわしいかどうかは自分で判断するものだという前提を置いています。結局、それができないといつまでも誰かが発信した情報に振り回されることになってしまいます。
自分のなかで「正しいだろう」と言い切るのはとても難しいことで、例えれば、高校で数学の難解な文章題に解答している時、最後に「この答えであっているか?」を自分で判断して答案を提出できるか?、というときの心境に近いのではないかと思います。
どうすれば判断できるのかは簡単に表現すれば、
「すべてのFACTを正しいLOGICで関連付けてGOALに到達する形になっているか?」
ということです。「言うは易し行うは難し」ですが、自分で判断、決断できるようになることは非常に価値の高いことだと思うので、諦めずにコツコツ続けていくことだと思います。考えてみれば、上記が厳密に満たされているかどうかは、客観的に定まっていることなので、訓練によって習得可能だと思います。
また、客観的に定まるということは、自分以外の誰かが考えても同じ結論に辿り着くということでもあり、「これで理屈に合っている?」と誰かに確認してもらうことが助けになります。実務の場面で人に判断を助けてもらうことも有益ですし、助けを得ながら、自分の考える力を伸ばすことも出来ると思います。
3:「正しさのネットワーク」に注目する
世の中には“正しそうに見えるけど、裏がある”情報がたくさんあります。そんな中で本当に使える情報を見極めるには、「どんなネットワーク(情報の連鎖)の中にあるか?」を見るのもポイントです。
たとえば、学術論文のように、
• 根拠が示されている
• 複数の専門家の目を通っている/実証されている
• 既に実証された知見を引用して新しい知見を導いている
という条件を満たしている信頼できる情報のネットワーク、「正しさのネットワーク」とも呼ぶべきものが世の中にはいくつも形成されています。製品の安全性や、医療の安全性などもこのような情報のネットワークによって成り立っており、例えば、私たちが日々口にする食べ物、利用するサービス、使う製品などが安全で機能を果たしてくれることに疑いを持たずに生活できるのはなぜなのか?と考えてみると、これらを土台にしなければ現代の生活はほぼ成り立たないことは確かです。
もちろん、学問や科学は完璧でも万能でもないので、盲信するべきではないと思いますが、完璧を求める心理のあまりなのか、少しでもアラ(粗)があると全てが信用できないと断じられるような場合があります。例えば、医学的なエビデンスに基づいた医療よりも、根拠の怪しい(が魅力的に見える)民間療法が信じられてしまうようなケースですが、それはとても危険なことだと考えます。
正しさへの視点を持つのと逆方向に、明らかに怪しいものを見極めるという視点も重要です。出典が不明、根拠が示されていない、感情的、意図が透けて見える情報は、判断の材料にするには適していません。こういった感覚を磨くことも心がけるべきでしょう。
4:発信者の意図をもとに情報を吟味する
どんな情報にも「その情報ごとに目的がある」と考え、「これは誰が何の目的で発信しているんだろう?」と常に問いかけて、それを想像してみることも有効です。
「ただほど高いものはない」という諺はまさに物事の芯を突いていると感じます。情報にお金を払うのを嫌がる人が多いと感じますが、私は、情報の価値でお金を取ろうという意図は、情報の持つ目的の中では、かなり純粋で信用できるものではないかと思っています。逆に無料のものは、だんだんと深みに引き込むことで最終的には取り返しがつかないほど大きなものを得ようと思っているのでは?と警戒感を持ちます。
ただ、情報を売ろうと思った時に、受け手が情報を欲するようになる”仕掛け”が入っていることが多々あります。分かりやすいところでは、不安を煽る、不公平や不公正への感情を煽る、といったことです。それらについては警戒が必要だと思います。
ここでは深入りしませんが、政治的な意図を持った情報もかなり多くあると感じます。社会や政治のことに100%の正しさがあるとは思えないので、これらについては少し醒めた目で、それぞれ勢力争いをしているのだと思い、内容に対してあまり入り込まないようにしています。
5:情報との距離を保ち、主体性を持つ
情報との付き合いでは「全部追わなくていい」と割り切ることもとても大切です。すべてを知ることはできません。まして、他人よりも「知っていなきゃ」と焦ったり、誰かが発信した内容と比較して自分を評価する必要もないと思います。
むしろ、知らないことを怖がらず、「知らなくても当たり前」「自分に必要なものだけ拾う」というスタンスの方が、結果的に判断力が向上すると思われます。まさに”無知の知”ですね。
もう一つ気をつけなければいけないのは、その情報が正しいとしても、どこまで重く認識するか?ということです。仮に、何かの危険について正しく書いてある情報であっても、滅多に起きないものであれば、それほど重く受け止める必要はないかもしれません。少なくとも自身のメンタルを保つためには起きる頻度(確率)に応じた軽さで認識することも重要だろうと思います。
個人が発信する情報にもそれぞれの目的があると思います。
・困っている人に教えてあげたい
・自分をアピールしたい
・ストレスを解消したい
、、様々あるでしょうが、誰かが(それぞれの勝手な意図で)発信した情報を自分の評価に直結させてしまうと、「必要ない苦しみ」を抱えることになります。やはり誰が何のために発信しているかを考え、必要としているものであるか、そこに真面目に付き合うべきかどうかを吟味すると、適切な位置付けに収められると思います。大事なのは、「情報が自分にとってどんな意味を持つか」を自分で決めることだと思います。
おわりに
ここまで、情報は本来は意思決定に用いるものだということや、害を受けずに情報を活用する方法について私の考えを書いてきました。
もしかしたら、情報の本来の用い方以外は認めないかのような硬い印象を持たれた方もおられると思いますが、そうではなく、世の中に溢れる情報には娯楽や癒しの手段として楽しめるものも多くあると考えています。
逆に、情報の本来の用い方を意識することで、娯楽としての情報も適切な位置付けを得て、より楽しめるようになるし、誰かが(邪悪な?)意図をもって発信した情報すら楽しむ材料となり得るのではないでしょうか。
最後に言っておく必要があるのは、ここに書いたこと(情報)について私の意図は何か?ですが、
・誰かの役に立てば良いと思っていること50%
・自分の考えを発信したいという自己満足が20%
・メディヴァの採用にプラスになれば良いということが30%
です。邪悪な意図はないつもりですが、それぞれご自身の判断で内容を吟味していただき、少しでも役に立てれば幸いです。(岩崎克治)
筆者プロフィール
岩崎克治 Katsuji Iwasaki 株式会社メディヴァ取締役
大阪大学大学院 情報工学分野 修士課程修了。
マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントを経て、1997年に(株)インクス入社。ITによる高速金型事業の立上げ、クライアント企業の製品開発プロセス改革等に従事。2002年メディヴァに参画。
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