2025/08/28/木
医療・ヘルスケア事業の現場から
【執筆】コンサルタント奈良/【監修】取締役 小松大介
院長先生は日々の診療の中、ご自身のクリニックが歩む「未来」について、じっくり考える時間を確保できていらっしゃるでしょうか。「まだまだ現役だ」「自分の代で終わりで良い」と、今はお考えかもしれません。
しかし、もし予期せぬ事態で先生が診療を続けられなくなった場合、長年かけて築いた大切なクリニック、患者様、スタッフの皆様、そして先生のご家族の皆様は一体どうなってしまうのでしょうか。
本記事では、決して他人事ではない「事業承継」というテーマについて、一つの事例を交えながらご紹介します。クリニックの未来を考えるきっかけになれば幸いです。
目次
昨今、後継者不在を背景に、あらゆる業界でM&Aによる第三者承継が一般化しています。日本国内のM&A件数は高水準で推移しており、2024年には過去最多を記録しました。もはやM&Aは、地域に根差す個人事業主にとっても、事業を未来へ繋ぐための現実的な選択肢となってきています。
この流れは医療業界も例外ではありません。厚生労働省の統計によれば、診療所開設者の平均年齢は60歳を超えており、多くの先生方がキャリアの集大成を意識される年代にあります。
しかし、実際に第三者への承継を具体的に準備している方はまだ少数派です。「親族に後継者はいないし、誰に相談していいか分からない」「閉院するしかないのか…」と、漠然とした不安を抱えている先生も少なくないのではないでしょうか。
そのような先生にこそ知っていただきたいのが、「第三者承継」という、クリニックの未来を描くための、もう一つの方法です。
これは、過去のいくつかの事例をもとに当社でアレンジしています。
そのクリニックは、地域で評判が良く、経営も順調でした。しかしある日、院長先生が急逝され、クリニックを閉じる事態に陥ってしまったのです。
ご親族に医療関係者はおらず、残されたご家族は「閉院するしかない」と考えていましたが、長年クリニックを見てきた顧問税理士は「このクリニックを無くすのは社会的損失が大きい」と感じ、弊社へ相談が持ち込まれ本事例がはじまりました。
喫緊の課題は、ご家族(売手様)からするとクリニックの家賃です。休診中であっても賃貸であったため、新たな担い手が見つかるまで売手様に費用負担が重くのしかかり続けます。そのためタイムリミットを設け、後継者探しを開始しました。
協業会社との連携やマッチングプラットフォームを駆使して買手候補を募り、約30名の候補と面談しました。その中から詳細を説明の上で検討を継続したい7候補とトップ面談(売手様と買手様が顔を合わせる面談)を実施しましたが、今回は院長ご自身が不在という状況のため、院長の想いを知るご親族と、院長の人柄を知りクリニックを支えてきた元従業員にも同席いただきました。候補者を選定する上で、院長が築いた文化や想いを引き継いでくれる人物か、慎重に見極めました。
最終的に残った4候補について、最終条件提示として承継に関する条件や承継後のクリニック運営についてご記載いただいた上で、その書面をもとにお人柄・医療の実績・地域特性との相性などをご家族・元従業員・弊社メンバーで協議し、全員が納得できる後継者を1候補、選定しました。
後継者候補が決まってからが正念場です。譲渡資産の範囲、賃貸借契約の再締結、リース機器の承継、スタッフの雇用条件、承継前後の家賃、設備修繕費用の負担割合の設定などなど、多岐にわたる条件を一つひとつ整理し、双方の合意を形成しました。
諸条件について双方が合意したところで譲渡契約書を締結し、無事、承継の実行日を迎えました。
この承継が成功するまでに、多岐にわたる調整をしました。下記はその例となります。
本来は院内スタッフ様に依頼していただくものですが、既にクリニックは廃院となっていたため、ご親族の許可をいただいたうえで、レセコンから各種データを抽出し、候補の先生方が検討する上でデータを集めました。
既に廃院しているとはいえ、市場性はすぐに変化するものではありませんので、かつて営業していた時のEBITDA※を元に売手様と協議を重ね譲渡価額を算出しました。なお本件は職員さんが全員復帰できる見込みで、かつて来院いただいていた患者さんも一定数戻ってくださる可能性があり、営業中のEBITDAを参考にすることができました。
※EBITDA:院長所得+減価償却費
医療機器・医薬品在庫から待合の椅子・看板等まで、何を譲渡対象とし、何を廃棄するかを明確にリスト化し、また廃棄物品についてはその費用負担もどうするか協議を重ね、譲渡資産の範囲を設定しました。特に看板等は注意が必要で、ロゴマークが入っており商標権や著作権が発生しますので売手様ご親族の総意を確認した上で譲渡資産としました。
急な廃院で職を失うことになり、収入含め不安を抱える元従業員と定期的に電話、メール等でコミュニケーション取りながら現状共有し、後継者が確定した際には新クリニックを支えてもらうよう働くモチベーションを維持しました。クリニックの無形の価値を守る上で不可欠な作業です。後継者が決まった後は、不利な雇用条件にならないよう協議しました。
当初、契約者(院長)が急逝された時点でリース契約も終了と言われておりましたが、買手様は継続して使用したい意向があったのでリース会社と交渉し、契約者は交代するがリース契約を継続できるよう調整しました。
承継前後の家賃負担割合の調整、新たに賃貸借契約を締結するための調整などオーナー、ご家族、新院長の三者間に入り、賃貸借契約の締結や修繕負担割合の設定、家賃の日割り計算などを整理しました。加えて水道、光熱費、NHK等も整理し双方の合意形成を図りました。
院長先生が急逝された時点で廃止届を出しておりましたので、買手様の新規開業にまつわる厚生局、保健所など行政手続きのスケジュールを含めた見える化や開業直前の内覧会のご支援、事業計画を作成した上で資金調達のご支援など、新院長がスムーズに開業し軌道に乗れるよう包括的にサポートしました。
これら様々な交通整理を弊社メンバーが担うことで、結果として売手様(院長のご家族)は思いがつまったクリニックを地域に残すことができ、買手様(新院長)は新たに個人事業主として新規開業することができました。
今回の事例は、院長先生が突然診療できなくなってから約8ヶ月で、クロージングし後継者を見つけることができました。
しかし、もし後継者探しに失敗していたらご家族は、毎月数十万の家賃負担も払い続けていた上に、最終的に賃貸物件の原状回復費用として、一千万近くにもなる重い経済的負担がのしかかっていた可能性がありました。
この記事をお読みくださった先生方にお伝えしたいのは、「万が一の時に、様々な関係者(ご家族、患者、従業員等)にご負担をかけないための準備が、非常に大切である」ということです。
事業承継は、先生ご自身が元気なうちに、時間的・精神的に余裕をもって準備を始めることで、ご自身が納得できる形で次世代に繋ぐことができる可能性が高くなります。
「まだ引退は先のことだ」「何から手をつければいいのか分からない」と感じていらっしゃる先生こそ、ぜひ一度、弊社にお声をかけていただけると幸いです。まずは、先生のクリニックが持つ価値や事業承継の可能性について、客観的な視点から話を聞いてみる。それだけでも、きっと新たな気付きがあるはずです。
先生が大切に育んでこられたクリニックという「物語」を、最も良い形で次の世代へ繋ぐ。そのための準備を始めるのに、早すぎるということは決してありません。
監修者
小松 大介
神奈川県出身。東京大学教養学部卒業/総合文化研究科広域科学専攻修了。 人工知能やカオスの分野を手がける。マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントとしてデータベース・マーケティングとビジネス・プロセス・リデザインを専門とした後、(株)メディヴァを創業。取締役就任。 コンサルティング事業部長。200箇所以上のクリニック新規開業・経営支援、300箇以上の病院コンサルティング、50箇所以上の介護施設のコンサルティング経験を生かし、コンサルティング部門のリーダーをつとめる。近年は、病院の経営再生をテーマに、医療機関(大規模病院から中小規模病院、急性期・回復期・療養・精神各種)の再生実務にも取り組んでいる。主な著書に、「診療所経営の教科書」「病院経営の教科書」「医業承継の教科書」(医事新報社)、「医業経営を“最適化“させる38メソッド」(医学通信社)他