2026/06/26/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
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目次
アムステルダムからフランクフルト、ルクセンブルクを経由してチューリッヒまで移動した。誤算だったのはルクセンブルクのバスターミナルだった。裕福な国の国際線バスターミナルがまさか野ざらしだとは、そこで夜ご飯を食べようとしていた私にとっては想定外だった。
夜中の乗り継ぎバスが来るまでの3時間、外気温1℃の中を、アイラ島のツアーでもらったラムカスクのボウモアを飲んでしのいだ。朝7時に着いたチューリッヒのバス停の鼻の先のスターバックスが目に入ったときには、自分の体はすでに店内にいた。
そこでバニラドーナツとホットのブレンドコーヒーを口にした時、生きているなと自覚した。「ありがとう、スターバックス。世界中に君がいてくれて本当に良かった」そう思わせる、深煎りの温かいブラックコーヒーだった。
当然、朝早すぎてチェックインなどできるはずもないと思いながらドミトリーに行くと、荷物を預けさせてくれるとのことで、肩からリュックを下ろして、中央駅に向かった。
人生でスイスに行くことがあれば、目的地は名峰マッターホルンのあるツェルマットだと思っていた。しかし、今回来たのは最大都市のチューリッヒ。人生で旅行で訪れることのなさそうな、リヒテンシュタインというスイスとオーストリアに挟まれた小国に行くことが目的の一つで、電車で向かってみたのだが、恐ろしく小さな国で、小一時間でとんぼ返りしてしまうほど静かな国だった。なので、ここで何かを書くほど膨らませることは、今の私にはひどく難しい。
もう一つの目的は、チーズフォンデュを食べること。人生を振り返った時に、これを食べたことがない。動画では見たことがあったが、果たして本当に美味しいのだろうか。美味しいなら、なんで美味しいのだろうか。
街中を一通り歩き回ったあと、予約した人気店に出かけた。店内は数席だけで、大勢をさばくためのレストランではない。自分たちが提供できる最高の質のものを出せる、1日の最低限の席数。そんなやりくりを感じる。最初は店内には私の他にもうひと組だけだったが、数分のうちに満席になった。
30代後半になると、初めて食べるものが減ってくる。少しの変化はあるかもしれないが、毎日食べたものを帳簿につけたのなら、1年間で食べたものの中に、初めて食べるものはどのくらい含まれているのだろうか。
とにかく初めて食べる。鍋に煮え立ったチーズがぽこぽこしている。パンか茹でたジャガイモをつけるらしい。偏ったPFCバランス*ではある。試しにパンにチーズをつけてみると、チーズはサラサラしていた。どうやら白ワインで延ばしているみたいだ。火傷しそうに思えるが、口に入れると絶妙な温度調節がされていることが分かった。

確かに美味しい。ただチーズが溶けているだけではない。白ワインとチーズが合わさって、出汁みたいな味わいになっている。スイスの人にとっては味噌汁みたいなものなのだろうか。でも、味噌汁だけ出す店もないか。
外に出ると寒い夜。温泉に入った後のように、体の温かさが長続きしているような気がする。ふと、味噌汁じゃなくて「おでんかもな」と思う。内陸の寒い日を、昔からチーズで温めていたのだなと思った。
バックパッカーにとって一番の恐怖は、荷物が増えることなのではないかと思う。使っているリュックは32L。荷物を詰めるたびに、「次は40Lにしよう」と誓うのだが、結局は「まだ使えるか」と同じものを使ってしまう。次第に湧いた愛着は強力な慣性力となって、同じものを使わせようとする。
そして帰国が近づくにつれて、お土産問題が浮上する。あんまり詰め込めないから、私はエアメールで知人に手紙を出すことにしている。国によっては普通にお土産を買ったほうが安いときもあるのだが、この人にはこの街が似合うと決めた場所から送るのが、私は結構好きだ。
だが、「さすがに家族くらいには何か買っておくか」という感覚が出てきた。できれば小物が良いなと街をぶらつくと、文房具屋さんを見つけた。そういえば昔、父親がスイスに行った時にペンを買ってきてくれたな。全然使っていなかった思い出が、急に思い出された。
ペン、ちょうどいいなと思い、店内をぶらつく。背筋がピンと伸びた品のある女性店員が、どことなく品のある英語で接客してくれる。発音というよりも、その音量から品性を感じた。大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい音量の英語だった。
なんだか、その文具店だけは日本のサービス店のような接客を感じた。流れる空気を、この品のある店員さんが作り出している。ものすごい高級店というわけではないと思う。でも、人との距離感が絶妙に取られている。
調べてみると、スイス人は礼儀正しくフォーマルだが、距離を置き、プライベートには踏み込ませない。時間をかけて信頼を築き、一度殻を割って内側に入ると、非常に親密で長期的な関係を築くらしい。
確かにそんな感じだった。どことなく距離が保たれているが、威圧も干渉もしない。スイス人の距離感。ちょっとした文房具屋さんだからこそ、もっともスイス人らしい人に会えたのかもしれない。ボールペンを買って、宿に帰る。ドミトリーの下のバーでOBANというビールを飲んでいたら、店員と客が口論を始めた。殻が割れるとこうなるのかもしれない。

スイスの生活費はとても高い。日本と比較すると食費は4倍、家賃は3倍とかなり高い。旅人としてはコインランドリーが3,000円なのが、一番懐を寒くした。これまでの旅で物価が一番高いところはどこだったかと言えば、ダントツでアイスランドだった。しかし、スイスも引けをとらない。給与も高いから、みんなこれで暮らせてしまう。コーラ800円もかなり寒い1)。
医療はどうなっているのかと言えば、他のヨーロッパ諸国とは少し違う印象をもつ。まず、日本のような公的保険者が前面に出る制度ではない。スイスに居住する者は全員、法律で定められた基本医療保険に加入しなければならないのだが、その加入先はおよそ35の保険者から選ぶことになる。
基本保険でカバーされる内容は法律で定められているが、保険料は地域や年齢、保険モデル、自己負担額の設定によって変わる。2026年の平均月額保険料は393.30フランとされている。また、成人は年間自己負担額を標準の300フランから2500フラン(約6から50万円)まで選ぶことができ、自己負担額を高くすると保険料は下がる。
日本の場合も、前年所得が高ければ医療保険料は相応に高くなるため、単純にスイスだけが高いとは言い切れない。
プランはいくつか存在し、大まかに最初の窓口をどこにするかによって値段が異なる。自由に医師を選べる標準モデルは高くなりやすく、Telmed(遠隔診療)、薬局相談、HMO(グループ診療)、家庭医への受診などがあり、最初の相談先を限定するモデルでは保険料が下がりやすい2)。
医療費自体は高くなる傾向にあるらしいが、2028年から新たな施策であるEFAS(Einheitliche Finanzierung der ambulanten und stationären Leistungen:外来・入院サービスの単一財源化)という仕組みが開始予定だ。これにより、入院よりも外来を重視する方向に制度を整えようとしている3)。
今までスイスでは、外来診療費用は主に保険料で賄われ、入院診療では保険会社と州が費用を分担するという制度になっていた。入院では州が最低55%を負担し、保険者の負担は最大45%にとどまる一方、外来では保険者の負担がほぼ全額になる4)。
そのため、外来診療の方が社会全体としては安かったとしても、保険会社から見ると支払いが多く感じられてしまう構造があった。結果として、外来で済む治療を入院から外来へ移すインセンティブが弱くなり、医療費を押し上げる一因になっていた。
EFASでは、外来と入院で財源をそろえ、州と保険者の負担比率が治療の場によって変わらないようにする。つまり、安い診療はどちらにとっても安くなる状況を作り出すことで外来化を促し、国全体として医療費を抑えていくことが狙いだ。
どことなく、入院から在宅へ促している日本の現場に似ている気がする。世界の医療の流れは、病院に来る患者をプールさせない方向に動いているのかもしれない。生活費が高いスイスでは高級志向の医療がなされているのかと思いきや、問題は切実であった。なんでもかんでも高くすればいいわけではない。
生きていくのに必要なこと、それを最適化させていく医療。なんとなく、文房具屋さんの女性店員の品性を思い出す。外来と入院の最適な距離感を取るために、この国は動き出している。私は再びバス停の横のスターバックスでホットコーヒーを買う。今度は夜行バスでウィーンに向かうために。

次回は7月10日(金)、ウィーン編となります。
【注釈】
* 食事のたんぱく質(Protein)、脂質(Fat)、炭水化物(Carbon)のバランスのこと
【参考文献】
1)Cost of Living Comparison between Japan and Switzerland. (n.d.). Retrieved June 21, 2026, from https://www.numbeo.com/cost-of-living/compare_countries_result.jsp?country1=Japan&country2=Switzerland
2)Swiss health insurance models — Hausarzt, HMO, Telmed, Pharmed. (n.d.). Retrieved June 21, 2026, from https://expat-savvy.ch/blog/health-insurance-models-switzerland/
3)Analyses. (n.d.). Retrieved June 21, 2026, from https://eurohealthobservatory.who.int/monitors/health-systems-monitor/analyses/hspm/switzerland-2015/the-efas-reform-introduces-uniform-financing-of-outpatient-and-inpatient-services
4)KVG-Änderung: Einheitliche Finanzierung der Leistungen. (n.d.). Retrieved June 21, 2026, from https://www.bag.admin.ch/de/kvg-anderung-einheitliche-finanzierung-der-leistungen?utm_source=chatgpt.com
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