2026/03/13/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

目次
ニースからマルセイユまでやってきた。この辺りはプロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏と呼ばれ、その首府がマルセイユだ。フランスの第2の都市にして2024年は同国内で3番目に危険なエリアだ1)。軽犯罪から殺人までが多いらしい。ちなみにこのランキングでパリが7位であることを考えると、何かひとつは擦られてもおかしくはないのだろうなと思う。なぜそんなに犯罪が多いのかといえば港湾都市で麻薬が流通しギャングとの争いがあるらしい。
危険だと思って街を歩くと、やはり緊張する。宿までの道のりもなんとなく怖い。荷物はそんなに多くはないけど、チャックのある場所へ貴重品を閉まって行動する。正直楽しく観光できそうにない。宿にはテラスがあって、なぜだか宿泊していない人も入れてしまうセキュリティ。「〇〇くれ」と物乞いされるが、フランス語なので何が欲しいのか分からない。こういうシステムなのはマルセイユでは一般的なのだろうか。
洗濯物が溜まっていたのでコインランドリーに出向く。出来上がるまで時間があるので外に出てストレッチをすると、何も持たない女性が1人店内に入っていく。何も持たずに出て行った。それも来た方向とは逆の方向に。店内に戻って洗濯機が私の一つしか回っていないことに気づいて、「あれスリだったんだ、ヤバ」ということにも気づく。幸い回っていたので何も盗られてはいなかったけど、身近なところに危うさが潜んでいる。
せっかくの歴史がありそうな建造物にもスプレーで落書きがされている。日が当たらない通りは怖くて歩きたくなくなるほど、空気が変わっている。携帯すら手に持って歩かない方がいいのではないかという雰囲気だ。比較的安全とされているリベラシオン通り付近もなんとなく暗く映ってしまう。ネパールのカトマンドゥと何が違うのか言われれば、そんなに変わりがないようにも思えるが、ヨーロッパでは、今まで比較的安全なように思っていたから、余計に危なく感じる。できるだけ早く移動しよう。そんな気持ちになった。
そもそもなぜ、ここに来たのか。地中海では医学史を中心に旅をしてきたが、それならばモンペリエに行った方がいいだろうと思われたかもしれない。なぜなら医学史において重要なモンペリエ大学があるからだ。旅程的にはモンペリエとマルセイユの2択だったが、その中でマルセイユを選んだ理由はただひとつ。本場のブイヤベースを食べてみたかったから。南仏の港町で魚介たっぷりのスープを飲み、ワインを口に入れてマリアージュすることがこの旅の最大の目的だ。選択する時点では恐怖に食欲が勝った。
旧港周辺にレストランがたくさんあることが検索結果をみるとすぐに分かった。旧港と言ってもクルーザーがひしめく港であることには変わりなく、少し歩けば街を見下ろすようにノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院が丘の上にある。マルセイユと検索すれば画像の最初に出てくる南仏らしい景色が広がっている。実際に寺院まで丘を登って行ってみると海岸線が一望できる。確かにこの景色をみるためにこの土地を訪れる人もいることだろう。

お土産屋さんでなぜか仲良くなったフランス人夫婦。今は仕事を辞めて、ドーバー海峡あたりの都市からヨットでぐるっと地中海まで回ってきたらしい。このあとはコルシカ島に移動して数泊するらしい。「なぜそんな暮らしができるのですか?」と尋ねると「若い時に頑張ったからかな」と笑っていた。日本で医師を頑張ってしていたら仕事を辞めて、自前のヨットで海を周遊する日は訪れるのだろうか。そもそもジブラルタル海峡も回ってきたのかなと思うと、ものすごい日数をかけていることが想像できる。海外の高齢者の過ごし方には驚かされる。なんとも港街らしい観光客だなと思いながら、坂を下ってブイヤベースを食べにいく。
狙いを定めたレストランは旧港ではなく、ヴァン・デ・ゾフェル港という少し離れた場所にある。橋のかかる港は夜はムーディーな雰囲気となる。流石に距離があったので電動スクーターに乗って街を駆け抜ける。着いたのは20時前で店は満席だ。「これは今日は入れないかも」と思いながら、「予約なし1人です」というと無理だと言われる。それならばと「明日はどうですか」と聞くと「明日も満席だ」という。
アジア系フランス語を話せない髭面だからなのか、スウェットで高級店に来ようとしているからなのか門前払いの様相。「明後日にはこの町を離れるのです。マルセイユで最高の思い出を作りたいので、お願いします」と懇願してみるも「席がないものはない」と英語でピシャリと言われる。仕方なく、再度スクーターに乗って旧港へ戻る。ブイヤベースへの道のりは長く険しい。
たどり着いたのは港の横にあるローカルなブイヤベース店だ。注文すると魚介とジャガイモが鍋いっぱいに運ばれてくる。旅館で汁物を温める燃料の上に静置され温度を保ったまま食べるようだ。見た目は茶色い。イメージは赤いスープだったのでトマトが少なめなのかもしれない。3組くらいしか入れなさそうな店内では誕生日を祝っている。観光地店というよりは地元に愛される店で「こっちで良かったのでは」と安心させてくれる。
ただ味は特別驚くものではなかった。食べたことある味。感動を伝えようにも「まぁこんなもんだよな」と想像は超えてこなかった。だけどマルセイユでブイヤベースを食べたという思い出は特別なものとなって自分の中に残った。旅をしているととんでもなく美味しいものもあれば日本のものが美味しいこともある。その味覚の振れ幅を味わうことも、また旅の粋な部分だなと思う。

マルセイユを調べてみると1から16のエリアに区画整備されているようだ。南北で貧富の差がくっきりあるみたいだ。特に貧困な人々は廃墟を寝床としている。そこに住む人のうち39%が温水を使えず、19%が電気を使えない。単親が多く、雇用形態もパートタイムが多く、不安定な状態が続いているらしい。
貧困地区のうち14区では医師の50%が60歳を超えている。理由は治安が不安定な場所で、かつ支払い能力が低い住民が多い場所で働こうとする若い医師がいないためだ。至ってシンプルだが、モナコとはかなり条件が違う。低所得者向けの保険はC2Sと呼ばれ、月額30ユーロ以下で自己負担分が全額免除となるが、この保険の情報が届いていなくて利用できていないものもいる。そもそも説明を受けても理解できるのだろうか。元々病院に行くという行為がなんなのか知っているのかさえ怪しい。
そんな14区では単に疾患を治療するのではなく、不安定な環境や女性・子どものための健康やメンタルヘルスに焦点を当てる医療施設を建設した。マルセイユ自体が公衆衛生政策に関して熱心であり、そのことが後押しになっている。治療や教育目的の庭園もあるようで、どう使うのかわからないが、サイトによるとワークショップなどが催されるようだ。マルセイユ版のコミュニティホスピタルのような存在だ2)。
日本のコミュニティホスピタルとは出現した文脈は違うかもしれないが、何かの問題を解決するためにはアップストリームを攻めるというのは正攻法のように感じる。健康問題は時に川の流れに例えられる。病気になった状態が川の下流だとすれば、上流で予防などをして下流に流れ着くことを防ぐ意味合いで使われる。医療において難しいのは上流に対応するシステムを作ろうとする間にも下流に流れ着く人がいる点と、上流で何をしたから下流に流れつかなかったかを評価することだ。
下流の人の方が病状として重たいのは明らかなので、お金は差し迫る危機に対して払われる構造となりやすいが、マルセイユ市は3年でこの施設に対して最大580万ユーロ(日本円換算で約10億円)を資金提供する。同市の本気度が窺い知れる。しかし人々が健康になることと、貧富の差を埋めることを両輪を考えるべきではないだろうか。人々が生きるということをマネジメントするためにはバランスを取りながら進む自転車のようなムーブが求められる気がする。いつかただ川の水が流れつく港湾都市ではない、治安が落ち着いたマルセイユの橋の元でブイヤベースを食べに行こう。今度はしっかりフランス語で予約できるようにして。

次回は3月27日(金)、内容はアンドラ公国編となります。
【参考文献】
1)Lille en tête des villes les plus dangereuses de France, selon ce classement – Nord-Pas-de-Calais. (n.d.). Retrieved March 9, 2026, from https://www.nordlittoral.fr/220815/article/2024-09-04/lille-en-tete-des-villes-les-plus-dangereuses-de-france-selon-ce-classement
2)La bastide Massenet accueille un tiers-lieu de santé | Ville de Marseille. (n.d.). Retrieved March 9, 2026, from https://www.marseille.fr/sante/actualites/la-bastide-massenet-accueille-un-tiers-lieu-de-sante
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