2026/02/27/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

目次
フランスといえばパリなのではないかという気持ちを抱きながら、パリに行かずにニースへ向かうことにした。地中海沿いを東から西へ進むという自分のテーマから外れてしまうし、スリに遭ったという話もよく聞く。もっというと今の自分はルーブル美術館やエッフェル塔を見ても、とてつもなく感動できる気がしなかった。むしろ南仏のリゾートである、日本でも名前だけはお馴染みの「コート・ダジュール」や、そこから電車で1時間くらいのところにあるモナコに興味があった。
空港からはトラムに乗って宿のあるMassenaという駅に向かった。車中、向かいのイギリス人老夫婦が話しかけてくれた。若干のスコットランド訛りがあったので、スコットランドが美しかったという話や、シングルモルトはラガブーリンが一番という話をしながら、目的地に無事到着した。この道中ではまだフランスらしさみたいなものは全く感じることはなく、ただ宿にチェックインをした。そういえばヨーロッパにおける保養地としてニースが有名になったのも、スコットランド人医師の推奨らしく、温暖で乾燥した気候が呼吸器疾患に良いと言い始めたことに端を発している。
部屋に荷物を下ろすと、相部屋はロシアから旅行をしているという50代くらいの女性だった。「戦争をしているから、ここまで乗り継いでこなきゃいけなくて3カ国またいだわよ」とロシア語っぽい英語で話してくれた。確かに日本からヨーロッパに来るときもロシア上空を飛ばずに黒海の方を回って来た。ロシアの方は逆に私が通った辺りを移動できないとのことらしく、ルートを見ると確かに厄介な遠回りをしていた。たまたま読んでいた『スプートニクの恋人』の「スプートニク」がロシア語だったことを思い出し、発音を教えてもらった。「プ」の後に小さい「ゥ」が入るらしく、何度も訂正してくれた。こういうのって旅らしくて嬉しい。
発音できるようになったのでお礼を言って、外に出てみる。地中海に秋が訪れていると感じさせる小雨が降っていた。夏は暖かく乾燥しているが、冬になるにつれて雨が降るのが地中海性気候の特徴らしい。羽が折れている折りたたみ傘を広げて、目的の1つであるコート・ダジュールの方へ歩いた。海の青色が空の色だとすれば、曇りなわけだから当然、名前にふさわしい青さはない。とりあえず、観光地にある「I LOVE NICE」のモニュメントの前で写真を撮って、食事をすることにした。

ところがレストランに入って英語が通じないことに気が付く。自分の手持ちは「ボンジュール」と「オレンジ」だけだ。相手が言っていることも分からない。スマートフォンでメニューを読み取り、なんとか注文にこぎつけるが、これはフランス滞在中は苦労しそうだなとここで初めて文化の違いを感じる。イタリア語はそのままローマ字読みでよかったのに、ルールが変わってしまったようで、そもそも読むことができない。アルバニアやギリシャでも言葉は通じなかったけれど、なぜだかフランスではそのショックが大きかった。
パリに憧れを抱く外国人が、期待と違ったり、現地の文化に馴染めずに鬱っぽくなってしまうことを、パリ在住の日本人精神科医である太田博昭医師が「パリ症候群」と提唱したとされるが、心のどこかで先進国だし、英語は通じるだろうという期待があったに違いない1)。そもそもアルバニアで英語が通じるなんて思っていなかったから、むしろ通じた時はラッキーだとさえ感じた。自分がどのような期待をもっているか、普段隠れている潜在的な気持ちを異文化は浮き彫りにしてくれた。
試しにモナコの公用語を調べてみる。フランス語だ。大丈夫だろうかと心配になるが、なるようにしかならないと考える。こうすることで、がっかりする気持ちを回避する。普通の基準を下げておけば、何事も異常にはならない。
モナコといえばお金持ちが集まる小さな国というイメージがある。モナコの医師の給与を調べてみる。調べて出てきたのはモナコの給与ランキングトップ10。中に医療系の職種は2つあって、外科専門医(心臓、腫瘍)、美容外科で概ね中央値で2700万円、最大で5400万円の年俸のようだ2)。家賃はフランスの約10倍、ニューヨークの約2.5倍で、4人家族の生活費は月320万円程度とのことだ。中央値だと家族が養えない計算になる(320万円×12ヶ月で3840万円必要)。インアウトのバランスを考えると、日本で暮らす方が自分には合っている気がする。
医療者の収入が高いということは診療費もとてつもなく高くなるのではないかと調べてみると普通の診察は€34.4(6283円)or€41.28(7539円)*と海外にしてはそこまで高くない印象だが、心臓専門医の診察だと3倍以上になる3)。一応、公的保険があるようで、全額払った後に保険で80or100%が返金される制度のようだ3)。収入と家族構成の2つによって支払い料金が決定される。面白いのはその決定方法が年齢で一律ではなく保険加入者全体でピンク:黄色:緑が1:1:2(緑が一番安い)の比率で毎年分類され、その色に応じて料金が変わる点だ4)。毎年大勢の色が変わる訳ではないと思うが、境界線にいる人はビクビクして過ごしているのだろうか。それとも保険が何色かで自慢したりする世界線でもあるのだろうか。

モナコといえば後はカジノとF1が有名だ。カジノに行くつもりは元々ないから、F1のコースを歩いてみることを目的にしてモナコへ向かった。駅に着いてから、自分のeSIMが使えなくなっていることに気が付く。「対応範囲に含まれていたはずなのに」と感じつつ、電波の通じない状況を打破すべく、とりあえずカフェに入ろうと決意する。しかし、駅から出られない。着いてから知ることになったが、モナコは崖を切り崩したような立地に国がある。そのためエスカレーターやエレベーターが街に配備されていて、それを使用して移動を行う。ぱっと見で目の前の開けた場所に行こうとしても、階層が違うとすぐには辿り着けない。
階段を登り降りして迷いながら、なんとか1軒のカフェに入ることができた。注文が英語でできることがありがたい。きっと世界中から富裕層が集まっているからだろう。さっそくWi-Fiに接続させてもらい、地図でサーキットの全体像を把握する。おそらくこのカフェの前あたりがスタート地点なのだろう。サーキットは全長約3.3kmで、コーナーは19個あるようだ。試しに1周何分で歩けるのかやってみるが、最初にいた場所に辿り着けない。
どうやら途中で間違ったトンネルに入ってしまったようだった。間違ったトンネルは歩行者通路がなく、高級車と体がかなり近いところですれ違っていく。結局スタート地点まで戻ってやり直す。今度は正しいトンネルを通過し、1周することができた。かかった時間は52分。宿に戻ってからスマートフォンでレースでかかる時間を調べてみると異次元の1分台。体をもってF1の速度を知るのに十分な体験だった。
最近はサンマリノ、ヴァチカンと小国を回ることが多かった。今までとの違いは明らかに人の生活感を感じることだ。モナコの面積は約2km2で、皇居の2倍ほど。南部は海に面していて、それ以外は山に囲まれている。住宅地はかなりあるし、小さな遊園地のようなものもある。レストラン街やスーパー、商店街もある。日本にあったら高級住宅地という感じのエリアだ。フランスの端にぽつんとあるこの国がフランスの一部であると言われても、なんら不思議ではない。
モナコは外国籍住民が多数を占め、フランス人とイタリア人が多い。長期居住には銀行への多額の預託や雇用契約など、充分な資金力の証明が必要とされている。とてもじゃないがバックパッカーが住むことはできない。ちなみにニースからモナコへ通勤する人も多く、モナコで働いた方が手取りや手当が良いらしい。高額な家賃を考えると、その方がもちろんいい。
ふと立ち寄ったフードコートで日本人が寿司屋を営んでいた。「日本人です!モナコでどんな感じで働いているんですか」と聞いてみたい気持ちもあったが、そもそも仕事で忙しそうな時にわざわざ声をかけることでもないように感じた。でもこんな異国の小国で寿司を握っている日本人がいることを知れて嬉しい気持ちになった。きっと経済的なこと以外も大変だろう。もし“モナコ症候群”に陥ってしまってもおかしくはない環境で、きっと戦っているのだ。
コート・ダジュールに隣接する2つの都市、ニースとモナコ。青い海に面した都市は昔も今も人々の憧れの都市なのだろう。目には見えない大きな経済がきっとこの都市間には流れている。おそらくそれは、ここに住む人にとって都合のいい仕組みでなくてはならないものなのだろう。それは地区でもよかったし、市でもよかったはず。だけど国という形がきっと一番なのだ。名前だけは知っていた小国を離れ、南仏の中心へ移動する。

次回は3月13日(金)、マルセイユ編となります。
【注釈】
* 2026/02/24時点での円換算で示しています。
【参考文献】
1)日本人がなりやすいパリ症候群、「あこがれ」が「がっかり」に変わると体調を崩す | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン). (n.d.). Retrieved February 24, 2026, from https://forbesjapan.com/articles/detail/72377
2)What is the highest paid job in Monaco? (n.d.). Retrieved February 23, 2026, from https://www.petrini.mc/en/highest-paying-job-in-monaco.html
3)Actes pratiqués par les médecins, sages-femmes et biologistes. (n.d.). Retrieved February 24, 2026, from https://www.caisses-sociales.mc/accueil/salarie/salarie/prestations-medicales/assurance-maladie/frais-medicaux/actes-pratiques-par-les-medecins-sages-femmes-et-biologistes
4)CCSS Insured 2024 Card Colours. (n.d.). Retrieved February 24, 2026, from https://www.en.caisses-sociales.mc/home/employee/employee/ccss-insured-2024-card-colours
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