2025/12/26/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

目次
ドブロヴニクからヴェネチアに行くために選んだのは夜行バスだった。きっと飛行機も飛んでいることだろう。だが、なるべく多くの国を足で踏むという目的のためにはこの選択肢が良さそうに思えた。というのもバスだとスロベニアに立ち寄れるからだ。
翌朝に同国の首都であるリュブリャナで乗り換えて、夕方には夢にまでみた水の都に着いているはずだ。所要時間は21時間。往復じゃなくて本当に良かったと思う。飛行機と違ってバス移動は途中で休憩時間があるから時間ほどはキツくはない。
さらに夜行だと宿代も浮いて、寝ている間に体が輸送されている。電車よりも乗り降りも少ないからスリの話も聞かない。ヨーロッパにも日本でいう青春18切符のようなものがあるが、移動時間があまり変わらないどころかバスの方が早くて安いことすらあって、基本移動手段を選ぶ時もいつからかバスvs飛行機にしかならなくなっていた。
良いことしかなさそうだが1つだけ欠点がある。それはバス停が正しいかかどうか心配しなくてはいけないことだろう。リトアニアの時にも書いたけど、ここであってるのかという心配が付きまとう。
リュブリャナでも同じ現象が起きて、朝も少し寒々しい空の下、両脇を道で挟まれたバス停でバスを待った。だけど想像しているような長距離バスは時間になってもやってこない。言われた場所には銀色のワゴン車が遅れて入場してきた。「ヤバいな、どれになるんだろうか。」という不安感が出てくる。
よく見てみるとワゴンにはヴェネチアと書いてあることに気がつく。長距離バスのサイトで予約していたからてっきり東京・八重洲駅に停まっていそうな大型バスを想像していたが、どうやらこれに乗って行くらしかった。乗客は全部で3人。このルートのマイナーさを知るには充分な数だった。
ヴェネチアがどこにあってどんな場所か調べたことはあるだろうか。宿を取るまでは長靴の形をした半島の一角にあると思っていたが、実際には大きな島になっている。これは厳島が本州にくっついていないことを知った大学1年以来の衝撃だった。島にはどうやって行くかと言えば全長3.85kmのリベルタ橋をバスか電車で渡るのが一般的。当然のように島の宿はお高いので半島側のメストレのドミトリーに2泊して島に1泊だけすることにした。すなわち水の都は今日は堪能できず、到着翌日からが本番となった。
翌朝、メストレ駅から電車に乗ってヴェネチアの玄関口であるサンタルシア駅で降りた。初日はヴェネチアの離島的存在であるトルチェッロ島を目指し、いくつかの島を回った後で本島をぐるぐるしようと試みた。駅で降りた瞬間に目の前に運河と美しいサン・シメオン・ピッコロ教会が出迎えてくれた。「ヤバい本当に来てしまった。」想像はしていたし、東洋のヴェネチアやそれを模したテーマパークにも行ったことがある。
でも全く迫力が違った。それはテーマパークとは違って何の特別感もなく、ただいつも通りに水の上で生活を営んでいる様子がかえって不自然さと文化の違いをありありと伝えてきた。
活気よく船の上で商売をしている人もいれば、公共交通機関としてーまるで地下鉄に乗るようにー水上バスで通勤している人もいる。何よりゴンドラがあんまりない。みんなゴンドラで移動しているものだとばかり思っていたからそれも意外だった。タクシーはスピードボートで救急車はクルーザー。初めて自分の目で見たヴェネチアは想像以上に水の都であった。

ヴェネチア本島は竹富島と同じようなサイズの島だ。本島の真ん中にはカナル・グランデという大きなS字の運河があり、街の中心地を形成している。さらに周辺には118の島と400本の橋、そして無数の運河が繋いでいる。しかも島それぞれに文化があるとのことだ。なお車道はないため、船か歩きで移動する。
この土地自体は5世紀頃、内陸からの異民族侵略を逃れた人々が干潟に数百万本の杭を打ち、街を築いたことに由来する。その人々が最初に辿り着いた場所が本島の北側に位置するトルチェッロと呼ばれる場所だ。そこからどんどん規模を大きくし、中世地中海で名を馳せ、栄華を極めたヴェネチア共和国が築き上げられた。
ということでまず、始まりの島トルチェッロに向かうことにした。移動の水上バスはヴァポレットと呼ばれている。当然のように乗船券が必要なのだが、よく分からない時はワンデーパスを購入するのが良いと思う。と宿の人の助言もありその通りにした。なぜかコンビニはTabacchi(タバコ屋という意味)と呼ばれていて、そこでシティーパスを買って行った。
初ヴァポレット、ソワソワしながら停泊場に並び数分置きに来る乗るべき路線を待った。船がやってくると船員が慣れた手つきでロープを駅に結び付けて、船体が止まった。みんな当たり前のように乗り込んでいく。こっちとしては全然当たり前ではないのでワクワクしながら乗り換え駅まで向かった。分かりやすく何線か船体に番号が書かれているのでスムーズに乗れる。
帯の色だけで電車を判断するような高等技術は必要ない。というか日本の電車も帯にYAMANOTEとか書いた方が分かりやすいのではなかろうか。でも乗り入れがあるからそんなに単純な話でもないのかもしれない。
とにかくトルチェッロにやってきた。なんだか殺風景というか、本島と比べると静かで活気がない。とりあえず川沿いを歩き、年代が確定しているもので最古であるサンタ・マリア・アッスンタ教会に向かった。
オレンジ色のレンガはところどころ剥がれていて、年代を感じさせる。逆にいうとよくこの状態で残っているなという感じだった。ヴェネチアのイメージである煌びやかさとはかけ離れた造りからは本当に原初の「祈るための場所」という感じが滲み出ている。目的だけがすっと具現化した教会だった。

一方で、本島のサンマルコ大聖堂に行くと豪華絢爛な金ピカの天井や飾りをみることができる。その様子からこの国がスタートアップから世界的大企業にまで上り詰めた軌跡を直に見ることができた。
もしトルチェッロの教会の規模でヴェネチアが大きくなることなく、細く長く続いていても世界遺産にはなっていただろうが、こんなにもたくさんの観光客が訪れていたかどうかは分からない。というか本島に比べるとこの島には全然人がいないから多分集まってなかっただろう。
普段の診療(問診)は、患者の過去の出来事という「点」をつなぎ合わせ、ひとつのストーリーを組み立てていく作業である。しかし、どれだけ話を聴いても、それはあくまで想像であり、患者が見た景色そのものを私が見ることはできない。
旅はそれとは違う。時代は変わっても、かつての人々が見ていたものと同じものを、いま自分の目で見ることができる。時を超えて、昔の人とダイレクトに同じ目線に立つことができる。そんな「形に残る遺産の強さ」を少し離れた場所にある古い教会が教えてくれた。
島から戻ってくるとフォンダメンタ・ヌオーヴェという停泊場、本島の北側に着いた。河岸に一隻の救急船が停まっている。その内陸側には救急通路があって建物に繋がっていた。当然その先には病院があるということになる。すこしの不謹慎さを抱えながら、立ち寄ってみることにした。入ってみるとびっくり。そこは病の人が体を癒すというより、元気な人が舞踏会でもしようとせんばかりの場所であった。

どうやら博物館も兼ねていて、いくつかの展示がされていた。すぐ横には外科博物館というのもあり、この辺りがヴェネチアの医学史の重要拠点らしい。ヴェネチアの医学が凄まじかっただろうことは展示や図書から伺い知れた。薬草園を作らせたり、さまざまな医学書が発行されていたみたいだ1)。特にペスト関連のものや解剖学に関しては進んでいたことが分かった。
さらに院内を進めば何か見られるかもしれない。そう思い、先に進もうとすると「あんた何者だい?」という意味っぽいイタリア語で施設スタッフに尋ねられる。思い切り日本の医者だと言ってみたけど、関係者以外は入れないと門前払い。医学史を深めるための道は甘くない。いや、ただ単に病院のセキュリティーの問題か。でも確かに病棟がそこにはあってこの島の中で治療が行われていた。
水の都ヴェネチア。行くことで初めて分かる本当の意味で水の上で暮らすということ。限られたコミュニティで限られた移動手段で生活する人々から習慣の違いがもたらす迫力を感じることができた。地球上できっとここにしかないと言い切れる場所だった。
次回は1月9日(金)ボローニャ・サンマリノ編になります。
【参考文献】
1)坂井建雄. (2020). 医学全史ー西洋から東洋・日本まで (喜入冬子, Ed.; 初版). 株式会社筑摩書房.
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