2025/10/24/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

目次
世界で一番単語数の多い言語はギリシャ語らしい。考えの数だけ言葉が生まれるとすれば、きっと他の土地よりも思考された回数が多い土地なのだろう。有名な哲学者を頭に浮かべれば、ギリシャ人(プラトンとかアリストテレス)が出てくる。後世に影響を与えた医師として有名なヒポクラテスもギリシャ出身だ。「きっと医学と結びつきが深そうなアテネで感じることは多いだろう」。そう思いながらアテネに向かった。
自分の中に唯一あるアテネの思い出といえば、同級生の両親の新婚旅行先だったことくらいだ。小学生ながらに「なぜアテネ、なぜギリシャ」と訝しんだが、「とても良かった」と興奮気味に仰っていた姿から、自分には想像できないほど素晴らしいところに違いないと思ったのを覚えている。だから自分にとってアテネはポジティブなイメージがある。飛行機の窓から、眼下のおそらくエーゲ海であろう海に浮かぶ島々を眺めながら、夕方のアテネ国際空港に着いた。
空港から電車に乗ってモナスティラキという駅に向かおうとするが、モナスティラキがどれか分からない。携帯は英語表示だが、駅はギリシャ語表記。一見ギリシャ文字はアルファベットに似ているけれど、一文字ずつ解読しないと読むことが難しい。だから単語レベルで頭が認識していかない。似て非なるとはこのことだと思う。そういえば行きの飛行機で、ギリシャ人のおじちゃんが僕の席に座っていた。インドではよくあることだけど、さすがにギリシャ行きの飛行機なので間違えているんだろうなと思い、「あ、ここ僕の席です。ほらD席」と伝えてみると、「英語は読めん」と簡単な英語で言っていた。
Δ(デルタ)は読めるけどDは読めない。そんなことが世界にはあるのかと思っていたが、空港の駅でそうなっている自分にすぐに出会った。「ごめんよ、おじちゃん。あなたは正しかった。」そんな気持ちが心に湧き出てきた。
なんとかモナスティラキを解読し、多分これだろうという電車に乗った。途中の駅で売り子が乗ってくる。こちらの注意を引くためにアコーディオンを演奏しているおじちゃんも乗ってきた。結構なんでもありな国なのかもしれない。それとも、文明が発達した土地ではその時のスタイルが残っているのかもしれない。きっと電車なんかなくて、街の中で同じものを見かけたら何の違和感も持たないだろうから。
ようやく目的地に到着して駅の外に出ると、暑さが込み上げてきた。9月だというのにアテネは猛暑らしい。ふと振り返ってみると、アクロポリスが丘の上からこちらを見下ろしていた。駅前は商店で賑わい、ここがアテネの中心地の一つであることがすぐに分かった。黄色の街灯が周囲を照らして旧市街を彩る。なんとなくハノイに似た空気があって、安心感が出てきた。言葉以外は大丈夫かもしれない。そう思いながら宿に辿り着いた。

病院に行った時に、蛇が巻きついた杖を見たことはあるだろうか。この杖には名前がある。アスクレピウスの杖。医療系のマークに使われることが多い。世界保健機関(WHO)のシンボルマークなんかにも使われている。この杖の持ち主であるアスクレピウスは医療の神様とされている。彼を祀った建物をアスクレピオンといい、治療の場所になっていたらしい。本当に実在していたのかは分からない医療の神様。
一方で、実在していたヒポクラテスは実はアスクレピウスの子孫とされているらしい¹。日本で言えば、天照大御神の子孫が神武天皇みたいなことだろうか。慣れ親しんでいたヒポクラテスとアスクレピウスに繋がりがあったのは、個人的には驚きだ。
ヒポクラテスはコス島というギリシャの島で生まれ、人生の前半をそこで過ごしたのち、テッサリア地方(世界遺産のメテオラがある)で後半を過ごしていたらしい1)。医療従事者にとって有名なのはヒポクラテスの誓いだが、実は超自然的な病因や魔術的な治療をされていた中で、科学的に医学を体系化して現代医学の礎を作っている1)2)。
コス島まで行けば「ヒポクラテス博物館」という、医療関係者以外で誰が行くのかというマニアックな施設もあるが、飛行機かフェリーで行かないと行けないため、今回の旅程には残念ながら入っていない。
そもそも市内でアスクレピウスやヒポクラテスは人気ではなさそうだ。キプロスで見たヒポクラテス像のようなものも薬局では見かけなかった。では何が人気かといえば、ソクラテスでもなく、アリストテレスでもなく、ワンピースのルフィーだ。宿のオーナーはワンピースのタトゥーが入っていた。お土産屋でも日本人と気づくなり、日本語でワンピースの話をされた。「なんでそんなに人気なの?」と聞くと「ネットで見れるから」というが、ネットで見れるからといって日本語がペラペラになったり、タトゥーを入れたりはしないだろう。極められた文明と文化との交差点は意外にも日本のアニメ。でも医療従事者のあなたは入れたいですか?「アスクレピウスのタトゥー」

アテネで何をするか、それは神殿巡りに尽きると思う。有名なアクロポリスの入場券は、他に6つの神殿的な場所に行けるお得なチケットとなっていた。しかも48時間有効。チケット売り場の列は30分くらいは待ちそうだが、購入しないわけにはいかない。入場はさらに時間指定されていて、1時間後の入場のようだが、もっとも買わない理由にはならない。購入後に知ったことだが、実は携帯でも購入できるらしく、前日までに購入しておいて、入場時間の30分後くらいに入れば待たなくて済みそうだった(入場時間が1時間区切りのため)。
もし次行くなら携帯で購入しておくだろう。列で待っている間、暑さで携帯電話もへばっていて、電波はおろか「もう無理です」と言わんばかりに動けないという表示が出た。水を購入してカバンに一緒に入れて冷やしておかないと、すぐに熱中症を起こしてしまうようだった。
時間が来たのでアクロポリスを観光した。「ポリス」というのは都市国家のことで、神々を祀った神殿がある。実はいろんなところにあるらしいが、アテネのアクロポリスには有名なパルテノン神殿があった。暑い中、丘を登るのは大変なのだが、目の前に観光名所というお宝があると足が勝手に進んだ。たどり着いた神殿は、遠くからは分からなかったが工事中であった。「おい、マジかよ」と思うが、こういう定期的な保全があるからこそ、今こうして見られているのだろうなと感謝の言葉に入れ替わった。
思ったよりもはるかに大きい建築に目を見張る。丘の上からはアテネ全体を見渡すことができた。南にはエーゲ海が広がり、街は写真ではうまく撮れないが、日光を反射してキラキラ輝いていた。その後もいくつかの神殿を巡って気づいたことがある。それは、実際に自分が見ているのは「石」だということだ。もちろん遺跡としての面影は残っている。だけど、基本的には日本の寺社仏閣のようにきちんと建物が残っていることは珍しい。少なからず頭のイメージで補う必要があった。
ここで言いたいことは決して「石を見るのにお金を払っているなんてくだらない」とかそういうことではない。どの程度の石が積み上がると意味を持ち始めるのか、自分自身が建物として認識し始めるのか、ということだ。きっと自分が知っている家や建物に近い形であれば、肉体労働のみによって創造された目の前の遺産に感動できるのは分かる。より高度になれば、自分に遺跡の知識があれば頭で補ったり、石の見え方に意味を持たせることができる。
でも、大抵の人はそんなに知識があるわけではない。では観光から何を見ているかというと、多分2つある。それは「過去」と「未来」だ。もう少し砕くと、「自分自身」と「将来のつながり」だ。過去に自分が経験したものの集合体が自分自身だとするならば、その時点でどうやって神殿を見るかは、自分の中の経験と照らし合わせるしかない。「これ、どこどこの柱に似てる」とか「〇〇のチャンネルで見た」とか。そうやって自分自身と目の前のものを結びつけながら、頭を刺激しているんだと思う。
将来とのつながりは、遺跡を見ているその瞬間には見えていない。ただ、将来的にその時見たものが何かとつながる―そんな瞬間のために今見ている。あるいは、見ているからつながってくるのだと思う。観光をしていること、それ自体がやはり教養なのだと、神殿巡りは気づかせてくれた。最後にヒポクラテスの言葉を紹介する。
病人のそばにいて、その症状の現在と過去と未来の様子をあらかじめ知り予言して、患者がつい言いもらしていることまですっかり説明してやれば、病人のことをよく知っているといっそう信頼されるようになり、こうして人々はあえて自分の体を医者に委ねる気になるものである1)
自分自身より自分を知っている存在に人は訪れる。読めない言葉と時間が重なった石。自分とは何なのか知るために人は旅をするのかもしれない。

次回は11月14日(金)ドゥラス編です。
【参考文献】
1)坂井建雄. (2020). 医学全史ー西洋から東洋・日本まで (喜入冬子, Ed.; 初版). 株式会社筑摩書房.
2)東西の古医書に見られる病と治療 - 附属図書館の貴重書コレクションより. (n.d.). Retrieved October 15, 2025, from https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/igaku/exhibitions/2007/exhib1.htm
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