2025/08/22/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

目次
ひとまずのゴールであるグリーンランドへ向かう。オスロで見られなかったフィヨルドも、アイスランドで見なかった氷河も、この時のためにとっておいた。自分は好きなものを最初に食べる派なだけに、期待はどんどん膨らむ。
安定陸塊が削られた盾状地には永久凍土が覆いかぶさり、文字どおり氷の世界が広がっている。そこは世界最大の島だ。面積は日本の5.7倍1)。都市間は陸路ではつながっておらず、基本の移動は船か飛行機である。今回訪れる予定なのは首都ヌーク。帰りの便を考えると、滞在できるのは最大で2泊だった。
国を挙げて観光地としての認知度を高めたい意向があるようだが、往復の航空運賃や国内の物価高の影響で、思うように進んでいない。私が申し込んだアイスフィヨルドツアーも、数時間で4万円と過去最高額を更新した。それでも日本では決して見られない体験で、むしろこのツアーに参加しなければ来た意味がないのでは、と思わせる内容だったので、これだけは押さえねばという気持ちだった。
ケプラヴィークからはプロペラ機でグリーンランドへ向かう予定だったが、天候が悪く、出発を1時間遅らせて離陸した。1時間ほど経ったころ、上空からグリーンランドが見えてきた。街などない。むき出しの雪と岩の大地が広がっている。いよいよだな、と思った矢先、「風が強くて着陸できないのでアイスランドに引き返す」というアナウンスが流れた。
実はグリーンランド便は欠航が多い。それを踏まえても、今回はかなり攻めた日程だった。ある程度は覚悟していた反面、眼下に広がる大地を目の前にしながら「お預け」になってしまったこと、次の便次第ではツアー参加が危ぶまれることがつらかった。もちろん機内では代替便がいつになるかは分からない。
そもそも宿もないし、どういう対応になるのかも分からなかった。これはかなり不安で、目的地にも行けず、交通費やツアー代金も返ってこないかもしれない。何より、あの地に降り立てないことだけは避けたかった。
不安を胸いっぱいに抱え、ケプラヴィークに舞い戻った。航空会社のスタッフが説明をしている。どうやらホテル代はかからず、指定の宿に泊めてくれるらしい。しかも送迎バス付きだ。とりあえず今夜は凌げる。ただ、飛行機は明朝発なので、ツアー開始には間に合わないことが確定した。だからといって諦められないので、ツアー会社に事情をメールで説明し、何とかならないかお願いしてみた(そのアドレスが合っているかも分からなかったが)。しかし返事はなく、レイキャビクのホテルで待つしかなかった。
翌朝早くにバスが来る。乗り込むメンバーは皆、昨日と同じだ。まるで航空券代に欠航時の宿泊費や交通費が含まれているかのように、動線はスムーズだった。空港に到着し、「今日は行けるだろうか」と祈るような気持ちで出発時刻を待つ。するとメールの着信音。ツアーが午後2時からに変更になったようだ。到着予定は13時。急げば間に合うだろう。これはツイている。あとは無事に着陸するだけだ。
機内から見たグリーンランドは、確実に昨日よりも見通しが良かった。雲は少なく、おそらく風も弱い。窓側の人に携帯を渡して、順番に景色を撮ってもらう。危機的状況を越え、ある種の結束が生まれていた。
滑走路に入り、タイヤが地面に着くと、機内に拍手が沸き起こる。最初に出発しようとしてから27時間。ようやく地図でしか見たことのない土地に着いたのだ。数年前の自分には想像できない場所に立っているという高揚感に心が躍る。数年後を想像しても、おそらく別の景色を見ているはずだ。そう強く感じさせる体験だった。

長い時間、感動に浸っているわけにもいかず、急いで移動しなくてはならない。慌ててタクシーに乗り込み、目的地の港へ。「Tide Water Stepsに向かってください」と伝え、道を走る。ヌークの街は雪に覆われてはいない。高層ビルもない。アパートがぽつぽつと並び、遠くに海が見える。まるで瀬戸内沿いの町のようだ。
目的地で降ろしてもらい、ツアーの集合場所へ向かう。だが、それらしい場所も、ひとりの人影さえ見当たらない。「あれ、間違えたかな」と思い、携帯で調べようとするが電波がない。近くに開いている店もない。eSIMの対象国にグリーンランドが含まれていることは確認したが、つながらないものはつながらない。来た道の途中にホテルがあったことを思い出し、走って向かった。
さも宿泊客のように振る舞う。すると、同じ便だった人に出会い、少し心強くなった。フロントに掲示されたWi-Fiのパスワードを使い、恐縮しつつ回線をお借りする。「やはりさっきの場所だ」と分かり、12kgのリュックを背負い直して坂道を下った。
数分すると、黄色い船が港に入ってきた。観光客もぽつぽつと集まってくる。焦りすぎていたのかもしれない。自分の“観光地”のイメージと、この街の静けさがかけ離れていたのだ。観光地といえばもう少し人がいるもの―そんな固定観念を自分の中に見つける。ばらばらに船に乗り込み、燃料が補充されると、念願のツアーが始まった。
ツアーの内容は至って単純。フィヨルドを進み、氷河の近くまで行き、流氷でウイスキーをロックで飲む。ただそれだけなのだが、進路を形づくる岩肌と流氷が、素晴らしい景観をつくっていた。港から奥まった水面には、波ひとつない。まっすぐに張った水面を、船がかき分けて立つ波だけが動かしていた。
2時間ほどで折り返し地点の氷河の近くまで来た。「前日は風が強く、流氷が岸へ押し流されたおかげで、いつもより奥まで進めた。こんなに奥まで来たのは初めてだ」とキャプテン。とはいえ、触れられるほど近いわけではない。肉眼で確かに捉えられる距離だ。流氷の中には岩粉が付着しているものもあり、実際に岩を削って流れてきたことが分かる。
その流氷の一つを網ですくい、水で洗い流し、アイスピックで砕いてくれる。プラスチック製のテイスティンググラスにそれを入れ、バランタインのファイネストを注ぐ。ここまで来た者だけが味わえる、流氷ロック。おそらく味そのものは普段と変わらないのだろう。けれど、どこか奥行きが加わった気がする。
数千年前にできた氷かもしれない。そう思うと、「今、私は歴史を飲んでいる」と感じる。そんな年数を熟成させたウイスキーなど聞いたことがない。これを上回るヴィンテージはないだろう。ここまで来るのに余裕はあまりなかったし、この地にいられるのも1泊きりだが、やはり来て良かったと思わせるツアーだった。

船は宿に近い港に着けてくれた。辺りは明るいが、もうすぐ20時になろうとしている。ドミトリーで荷を下ろす。幸運にも個室で、羽を伸ばして休めそうだ。朝からお菓子以外、何も食べていなかったので、夜だけはちゃんとしたものを食べたいと思い調べてみるが、時間のせいか開いている店がない。何でもいいから温かいものを、と営業中のタイ料理店に向かった。
本当にタイ人が経営するその店には、たくさんの客がいた。何かのお祝いをしている人たちもいる。「移民として来るには遠すぎる場所なのに」と思うが、店主いわく「気に入って移ってきた」とのことだった。グリーンカレーを注文する。辛いもので体を温めたかったし、「グリーンランドでグリーンカレー」という語感が、きっと記憶に残ると思ったからだ。以前、ストックホルムで食べたグリーンカレーはシチューのような味だったので、「現地っぽい、辛いものをお願いします」とひと言添えた。
「どうせまたシチュー寄りだろう」と思っていたが、運ばれてきたポットのカレーを味見すると、とんでもなく辛い、正真正銘のグリーンカレー。むしろ、知っているものよりはるかに辛い。一口ごとに汗が滴る。価格は3,000円だったが、こんなに遠方で本格の味に出会えるとは思わなかった。とはいえ、これだけ高くて現地の人はよく食べに来られるな、と平均月収を調べてみると、世界8位で68万円とのこと。漁業や鉱業による収入があるらしい。ちなみに日本は29位で37万円。およそ倍の収入で、外食が日本の3倍の値段だとすれば、生活は苦しいのかもしれない2)。
都市間が道路でつながっていない広大な土地、そして厳しい自然の中でも、人々が営みを続けている。その一端を垣間見た。夜にはひと筋のオーロラ。フィンランドのそれよりも、緑が濃く見えた。

次回は9月12日(金)、アイラ島編です。
【参考文献】
1)意外に大きい日本の国土. (n.d.). Retrieved August 18, 2025, from https://www.jice.or.jp/knowledge/japan/commentary02
2)世界の給料ランキングTOP10【2024年版】 | Izanauのコラム. (n.d.). Retrieved August 18, 2025, from https://izanau.com/ja/article/view/salary-ranking-2024
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