2025/03/28/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
目次
バスを待ち始めて2時間程度したところで徐々に旅人が集まってきた。ヨーロッパにおける長距離バスの定番である2階建のフリックスバスが黄緑色の車体をノソノソと動かして停留した。ようやく来たバスに1人ずつパスポートとバスの予約を提示して乗り込んでいく。バスに乗るためにパスポートをチェックされたのは初めての経験で、EUといえどもパスポートが唯一自分を保証してくれるものであることが分かる。当然のことだけど、絶対になくせない。ショルダーバックの隠しチャックを開けて、赤く少し汚れがついたパスポートを滑りこませた。この場所に入れておいて盗まれたことがないということで謎の自信を持っている。
私の席は2階席だった。日本でもよく見かける長距離バスのシート、USB端子の差込口。この旅での荷物を少しでも減らそうとCタイプが使える携帯に変えて来たのに、結果的に使用できない状況に、まだまだUSBの需要を感じた。そしてバスが10分くらい進んだところでみんながざわつき始める。エアコンが作動せず、車内がサウナのように暑くなっていたからだ。頬を赤くする女性、泣き始める子ども達、周囲など気にならないかのようにパソコンで動画を編集する人、そして唯一の日本人の私。
誰かが運転手に相談にいくと、運転手も予想外の出来事だったようで、仕方ない的なジェスチャーをしている。「後、4時間くらいはありそうだけど、どうするべきか」と考えを巡らせてみるけど「現状に耐える」以外の選択肢が浮かばない。とりあえず子どもたちだけでも涼しい場所に移すことになった。大人は暑さに耐え忍び、バスが停留するたびに外に出てHPを回復しながら移動した。2階席が安かったのはエアコントラブルのリスクが高いからなのかもしれない。これ以降、私はバスを予約する時には1階を取るようになった。
街全体が世界遺産に登録されているプラハは別名「百塔の街」と呼ばれる。街の至る所に歴史を感じる塔が立ち並んでいることが理由だ。バス停から市街地へ向かうにつれて確かに塔が目立ってくる。ゴシックやバロック建築の教会をすぐに見つけることができる。街の西側にはヴァルタヴァ川(モルダウ川)が流れ、プラハ城に繋がるカレル橋が真っ直ぐに伸びて街と城を繋いでいる。ミュンヘンと比較すると急にヨーロッパに来たような気分にさせてくれる。市内の移動はトラムと呼ばれる路面電車に乗れば行きたい場所には大方着くことでき、その様子は広島市内に少し似ている感じがあった。
宿(相変わらずドミトリー)に到着して気づいたことがある。外から建物に入る時には必ずドアを押して入るようになっていることだ。もちろん全ての建物を回った訳ではないけど、人にぶつからないような配慮になっているのかもしれない。とにかく街並みが綺麗でそんな細やかな配慮がされているからかプラハをかなり気に入ってしまい、「もし自分がプラハに住むとしたらどういう医療を受けることになるのか」という問いが生まれた。
とりあえずドミトリーのスタッフに「風邪を引いたらどこに行くか」を聞いてみると皆口を揃えて「薬局にいく」と答えた。試しに薬局に行くとDr.MAXという会社が作った各症状と対応について書かれたパンフレットが置かれている。チェコ語なので内容は理解仕切れないが、図から読み取るに疾患の鑑別や、どういう場合に病院に行くかが書かれていそうだ。薬局がプライマリ・ケアを担っていることが分かる。
では病院に行くための保険はどうなっているかというと、外国人がチェコに長期滞在する場合には国営企業のVZPが運営する保険に加入するらしく、2021年から90日以上チェコに滞在する場合には加入が必須になっているとのことだ1)。保険料は所得に対して一定の割合で支払われ、それ以外の費用はかからず、保険範囲のことであれば入院なども含めて原則無料で医療を受けることができるらしい。もちろん最初に行く医師は家庭医で、ゲートキープがなされている2)。保険にさえしっかり入っていればとりあえず体に何かあっても住めそうだなということが分かり、ますます住んでもいいのではないかという気になってきた。人は街に対しても一目惚れできるらしい。
街を歩いていると地面がゴツゴツしていることに気が付く。ポリ塩化ビニルでできたサンダルを履いているから余計に地面の形状がダイレクトに足の裏に伝わってくる。街の至る所が“THE中世ヨーロッパ”な石畳になっていて、整っているけどゴツゴツした路上を歩く。ところどころ石畳の修復を行っている。石畳を掘り起こし、新しい石を敷き詰めていく。試しに作業をしている男性に話しかけてみた。
彼はポーランド人でイギリスに移住した後、ポーランドに帰ることにした。ところがポーランドに戻った際に「ここは私がいるべき場所ではない」と感じてタイに1年住んだ後、ヨーロッパが恋しくなりプラハに移り住んでいるらしい。なぜプラハかというと観光収入が多く、周辺より労働賃金が高いことが理由らしい。そのためプラハには多くの移民が出稼ぎにきて、定住しているとのことだ。移民事情としてはロシアがウクライナに侵攻したことが契機となりウクライナからの移民が現在は最多となっているとのことだ。また非EU加盟国であっても日本を含む9ヶ国は労働許可証なく、働くことができるらしい3)。これまたプラハに住みたい日本人にとっては追い風のようだ。
ちなみにこの石畳修復の仕事は大変だけど儲かると彼は教えてくれた。家賃は日本円で18万くらいだが、この仕事でなんとか成り立っているとのことだった。彼は最後に1つの石を私に渡し、修復させてくれた。自分が入れた石がチェコに残るのは少し嬉しいことであると同時にこれ自体が観光ビジネスのシードなのではないかと思った。いつの日か観光客が石畳を修復するツアーができるかもしれない。
ここまでで私がプラハに住む場合にはVZPの保険に加入すれば医療が受けられ、労働できることが分かった。医と職はクリアできそうで残るは食事が美味しいかどうか、それで住めるかどうかが決まる。ご存知の方も多いだろうが、チェコは世界で最も一人あたりのビール消費量が多い国で、およそ日本人の6倍のビールを飲む4)。そして内陸だから魚ではなく肉料理が多い。特に牛肉を使ったビーフタルタルが有名で洋風ユッケ的な味わいらしい。早速、ビールとタルタルを体に取り込むためにレストランへ出かけた。
お店にはビール樽とビール樽のように大きい人たちが並んでいた。背は小さいが体が大きな私が店内では子どものようなサイズ感になっていた。早速ビールを注文して飲んでみる。思ったよりも冷えていて飲みやすい。ハイネケンのように薄いビールが好きな私にとっては少し濃い感じもするけれど、動き回った後に飲むものとしてはこれ以上のものもないように思われる。飲み終わるとどこからともなく店員が勝手にビールを注いでくる。どうやらわんこそばのようにグラスにコースターで蓋をしないと永遠に注がれるようだ。隣の人に何倍飲んだか聞くと今10杯目とのことだ。流石にそこまで飲めない。そもそも昔からビールだと酔いが早く回ってしまい、せいぜい飲めても3杯が限界だろう。
待っているとビーフタルタルが運ばれてくる。「カリカリに焼いた付け合わせのパンにニンニクを擦りつけて、その上にタルタルを乗せて食べるんだ」と周りの客がレクチャーしてくれる。言われた通りにやると「早く、早く」と私が食べることを急かす。それに従って口に入れると「どうだ?」と感想を求められる。「ボーノ」となぜかイタリア語が口から出てきた。本当に美味しい時はイタリア語が出てくるらしい。
タルタルを口に入れてビールでマリアージュする。確かに美味しい。あっという間に付け合わせのパンがなくなっていく。ビールも気が付くと注がれている。どうやら食事もフィットしていそうだ。「あれ、またカトマンズの時のようにプラハに沈没してしまうのでは……」
―お酒が回ってきて判断ができない。明日のことは起きたら決めることにして店を出た。
次回は4月11日(金)となります。お楽しみに!
【参考文献】
1)90日以上の長期滞在に必要な保険の変更点について | チェコ共和国大使館. (n.d.). Retrieved March 25, 2025, from https://mzv.gov.cz/tokyo/ja/x2005_07_07_5/x2021_08_07.html
2)奈良信雄. (2021). 世界の医学部を巡って(7) Ⅰ ヨーロッパ編 チェコ共和国. モダンメディア67巻3号. https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/P48-57.pdf
3)プラハの外国人人口、非EU労働者で急増. (n.d.). Retrieved March 25, 2025, from https://etias.jp/%E8%A8%98%E4%BA%8B/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%80%81%E9%9D%9Eeu%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E3%81%A7%E6%80%A5%E5%A2%974)2022年 世界主要国のビール消費量 | 2023年 | キリンホールディングス. (n.d.). Retrieved March 25, 2025, from https://www.kirinholdings.com/jp/newsroom/release/2023/1222_04.html
白衣のバックパッカーのSNS: