2025/02/14/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
▼前回はこちら
https://mediva.co.jp/report/backpacker/16003/
目次
バックパッカーが移動せず、1つの場所に長期滞在することを沈没という。どのくらいの期間から長期とするのかの定義はない。ただ居心地がよくて動きたくなくなるーそんな場所があるらしいのだ。どうやらカトマンズが私にとってその場所のようで、飛行機なんかも全部キャンセルしてしまった。元々はバラナシというガンジス川の横にあるヒンドゥー教の聖地に行くつもりだったのだが、Wi-fiも遅いことが予測される暑そうな場所に戻ることを考えるとどうにも心が動かなった。
ヒッピー聖地と呼ばれる場所はインド周辺に集まっている。諸説あるがインド西海岸にあるゴアというリゾート、アフガニスタンのカブール、ネパールのカトマンズを3大聖地と呼ぶことがある。その配置をみているとヒッピー達は自分たちが住んでいる世界とは違うものを求めてまずインドに来たのではないか。そして暑すぎて涼しそうな場所に向かった結果、この3大聖地に辿り着き沈没したのではないか。そう感じられるほど怠惰な人々にとって、過ごしやすい環境がカトマンズにはあった。
カトマンズに来るバックパッカーを分類すると観光目的と登山目的の2つに分けられる。登山目的の人はヒマラヤ麓の街までいき、そこからトレッキングをするか、アタックをするらしい。トレッキングをこれからする人たちはみんな元気で活力に満ちている。トレッキングから帰ってきた人たちはさらに元気で、達成感に満ち溢れていた。
試しに今からエベレストをみる手段があるのかドミトリーの受付で聞いてみる。どうやらトレッキングをするためには15日くらい必要で、流石にそれではVISAが切れてしまう。他の手段をみると、飛行機かヘリコプターで直接行く手段もあるらしい。エベレストの前で5分だけ滞在できる。ただ価格が10万円代で流石にそれはかけすぎな印象がある。5分という短さはそれ以上滞在すると高山病のリスクがあるからだそうだ。
ではどうするか。カトマンズの近くにナガルコットという山があるらしく、エベレストが見えることがあるとのことだ。ではそれでという感じで、翌朝のご来光を望むべくタクシーツアーを予約してもらった。3人までなら7000NRPで変わらない料金とのことで、一緒に行くメンバーをドミトリーで募ってみるが、早起きしてまで朝日をみようという人はなかなかおらず、そのまま翌朝を迎えてしまった。
翌日朝3時30分起床、ドミトリーまでタクシーが迎えに来てくれるとのことだった。1階の共用スペースで待とうと階段を降りると「Hi」と声をかけられる。誰かと思って見てみると同部屋のドイツ人の男女が愛を育んでいた。どうやらカトマンズで実ったらしい。こちらも「Hi」と返事を返す。一瞬、「今から一緒に朝日を見にいくか?」と誘おうかと思ったが、野暮だなと思い踏みとどまった。
ネパール最古の仏教寺院のスワヤンブナート
タクシーの運転手は優しそうな人だった。適度に明るく、嫌味がない。ネパールの人の気質なのかもしれない。辺りは夜だと言われても「そうだ」としか言えないほど暗く、街灯も頼りない、というか前が全く見えない。車のライトも手前しか照らしていないようなのだが、運転手に「見えてるのか」と聞くと「もちろん」とのことだった。猫のように目が明るくなっているのかもしれない。そうでなくては本当に何も見えないのだ。
乗車したタクシーはルパン3世が乗っていそうな小型車でエアバッグはない。スピードは80km/hそこそこは出ていそうだ。その車でクネクネした山道を登って行くのだが、道の曲がり幅と車の曲がり幅が一致していない。車はカーブを曲がるたびに崖からはみ出そうになる。当たり前のようにガードレールがなく、急斜面が窓から見える。「大丈夫か」と聞くと「もちろん」と返事を返してくる。まるでこういう時には「もちろん」と言えばいいと教え込まれているようなスムーズな返事だった。
ナガルコットにたどり着いた時には安堵の気持ちでいっぱいだった。ナガルコットは標高2500mの位置にある展望スポットで、少し息切れがする。普段カトマンズでも階段を登ると息切れしてしまうのに今はさらに高いのだ。ガイドは慣れているからか、足早に登っていく。「ちょっと待って。早い。」と口には出さないけど、なんとか食らいつく。やっと着いた場所は見晴らしが確かにいい。そしてこの展望台には大きな鉄塔が立っている。「お前はあそこを登るんだ」と言われ冷えた鉄の梯子を登ると先客が向かい入れてくれた。
しばらくするとさらに5人が加わる。「この鉄塔は壊れないのか」と心配していると、ネパール人の若者が「ここは金曜や土曜は満員になるから、このくらいの人数では壊れない」と同じく心配していた欧米人に説明した。説明は続く。「ヒマラヤからの朝日は天候がものをいう。その日行ってみないと見れるかどうかは分からない。昨日は見れなかった。」
今日は霞がかかっているが、ヒマラヤ山脈がゴツゴツと向こう側に見えている。エベレストも見えるはずなのだが、見ることはできない。一体、あの高さまで何万年かかったのか。そもそも今立っている場所が2000m級なのに、この場所よりもはるかに高い。一瞬ではないだろう、その時間を経ればこんなにも高く積み上げることができるのか。そう思わせる山脈が横に横に伸びていた。
山々を見ていると日の出の瞬間は急に訪れた。眩しく赤く染まる太陽が山の裾から姿を表した。太陽が燃えていることが分かる色。瞬く間に欠片だった太陽が丸くなる。こんなに真っ直ぐに太陽を直視していていいのか分からないけど、ただ見惚れていた。あの星は燃えているーそう分かる景色だった。世の中には写真に(携帯電話だけど)うつせない景色があるのだと感じる。この寒さとか、視覚だけではない感覚器全部で味わう観光がここにはあった。朝が早かったのでドミトリーに帰ってから爆睡した。まだまだ沈没は続く。
ナガルコットから見た朝日
14時くらいに目が覚めると、お腹が痒いことに気が付く。見てみると数日前にできた虫刺されが悪化して水疱ができている。このまま放置して、さらに悪化してもいけないのでどうにかしなくてはと思い、カトマンズの医療について調べてみると抗生剤、睡眠剤、麻薬以外は処方なしで薬局で購入できるという記事を見つけた。さらに抗菌薬は法律上は処方箋がいるが、なくても買えてしまうらしい1)。「ということはステロイドが買えるかも」と思って、近くの薬局に向かうことにした。
タミル地区の坂道を降りて、繁華街に行き薬局を目指す。1軒目は生薬専門で購入できず、2軒目の街から少し外れた坂の上にある薬局にたどり着いた。薬局は路面店になっていてお土産を買うように薬を買うことができる。英語でステロイド軟膏をくださいというと、意外にもスムーズに購入することができた。皮膚科に行った時に処方してもらうようなチューブに入ったステロイドが渡された。日本でも最近はステロイド軟膏は買えるみたいだけど、渡されたチューブからはプライマリーケアを薬局が担っていそうな雰囲気が漂っている。どうやら医師が行う仕事と薬剤師がする仕事は国によって境界線が違うようだ。ドミトリーに戻ってコソコソと下腹部に人差し指に取った軟膏を塗りつけた。治ってくれることを願う。
同じ宿のインド系アメリカ人と仲良くなった。2人とも日中にルーフトップでコーヒーを飲みながらパソコンに向かっているから、よく出会い自然と会話をする仲になり、一緒にモモを食べにいくことになった。彼はリモートワーカーらしい。そう言えば日本人のリモートワーカーにドミトリーで出会うことは少ない。もう少し日本人のリモートワーカーが増えても良いのではないかと思ってしまう。そのほうが生き方の選択肢が増えることは想像に易い。
「君もプログラミングをやったら良いよ、とても簡単さ」とリモートワークでの実作業の容易さを教えてくれる。彼は数年前からリモートワークをしながら世界各国を回っているとのことだった。アメリカの有名大学を卒業し、情報工学を学んでいたら彼にとっては簡単なものでも私にとってもそれが同義とは限らない。ただバックパッカーが沈没しても仕事が命綱となって堕ち切ることを止めてくれるように思う。
日本で頂いた仕事や約束がなければ今の私にとって帰国する理由はなく、仕事こそが怠惰な心を正してくれるツールになっている。沈没した旅人はどうやって浮上するか、それは「そろそろ移動した方が良いかもしれないな」という潮時を感じられるかと、「移動しなくてはいけない理由があるか」だと思う。数日後にデリー・羽田便の期日が迫ってきている。そろそろ出なくては。カトマンズから旅立つ日を決めてデリーに戻ることにした。
チベット料理のモモと言う餃子にチリソースを絡めたもの
次回は2月28日(金)、内容はデリー・アグラ編です。お楽しみに
【参考文献】