2025/02/17/月
医療・ヘルスケア事業の現場から
【執筆】コンサルタント 宮﨑/【監修】取締役 小松大介
目次
身体拘束は、精神症状の悪化により自傷他害の危険が切迫した患者に対して、患者本人やスタッフ及び他患者の安全を確保するために行う最終的な治療手段で、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下、精神保健福祉法と略記)では、身体拘束とは患者 の生命の保護と重大な身体損傷を防ぐことに重点を置いた「代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限」とされています。
一方で、障害者虐待防止法において虐待とは以下の5つの行為に該当するものとされています。
障害者虐待防止法の中では、身体拘束は身体的虐待に該当するとされています。つまり、患者本人やそのご家族、及び周囲の人間からすれば身体拘束は虐待の一つであり、治療行為の一環として行っている医療従事者との間には認識の相違があると言えると考えられます。
そもそもなぜ身体拘束がいけないのかという理由を、「なんとなく倫理的に問題があるから」という抽象的な理由以外から説明すると、主に身体的弊害(拘縮や筋力低下といった身体機能の低下や褥瘡などの外的弊害)、精神的弊害(患者自身の不安や怒り屈辱といった精神的苦痛、ご家族や医療従事者の罪悪感など)、社会的弊害(医療従事者のモチベーションの低下や社会的な不信感や偏見)の3つの側面があると言われています。
もちろん医療従事者の間でも、これらの弊害は理解されており、あくまで身体拘束はやむを得ない行動制限であり、2004年に医療保護入院等診療料が新設され、その算定要件として行動制限最小化委員会の設置が設けられるなど、出来る限り減らしていくべきであるという認識は共通しています。
一方で、厚生労働省が実施している精神保健医療福祉に関する全国調査である630調査を見ると、ここ10年で身体拘束の患者数はほとんど減少しておらず、むしろ全患者に対する身体拘束実施の割合は増加しています。
出所:630調査(厚生労働省)
このような増加の要因はいくつか言及されています。認知症患者の急増により妄想などの症状から他害の恐れのある患者数が増えたことや、患者の高齢化により車いすやベッドから転落の恐れがある場合に拘束する必要が増えたこと、中でも最も多く訴えられていることは諸外国や一般科に比べて看護師の配置が少ないことです。
もちろん、上記の理由以外にも医学的に身体拘束が必要な場面もあるのは事実ですが、身体拘束を最小化していく必要性があることも、その風潮が年々高まっていることも間違いありません。
直近R6年度の診療報酬改定で虐待の防止及び身体拘束への言及がいくつかあったので紹介したいと思います。
このように、身体拘束及び虐待防止への社会的風潮が高まり、かつ医療現場でも身体拘束最小化や虐待防止の取り組みが促進しているにもかかわらず、なぜ一向に減らないのかという問題を、先に述べた環境的要因とは別の方向でお話ししたいと思います。
社会心理学の用語で、集団場面で起きる心理状態の一つに、傍観者効果というものがあります。
傍観者効果とは、その名の通り自分以外にも他者がいることで率先して行動を起こしにくくなるという状態のことを言います。そのようなことが起こってしまう理由として、次の3つの心理状態が働くためと言われています。
主に傍観者効果は、虐待場面でよくみられる状態ですが、精神科での身体拘束に対する慣れや意識低下などにも傍観者効果がみられることがあります。
そしてこの傍観者効果は、残念ながら傍観者効果そのものをなくすことは難しいと言われており、そのため傍観者効果が起きにくくするシステムを作ることが重要であるとされています。
最後に、弊社支援先で行われている虐待防止や身体拘束最小化へのシステム作りを紹介させていただきます。
凡庸な対応と思えるかもしれませんが、効果は大きいです。
虐待と思われる事例に遭遇した時に誰に相談したらいいのか、そして相談したことで自身が不利になることはないということが常日頃からわかっているという状況を生み出すことは、上記の①や③の防止につながります。
また、どういった行為が虐待にあたるのかを定期的にインプットすることは②の防止にもつながります。
Good Jobレポートは主に医療安全の場面で用いられるもので、ヒヤリハット事例を報告することでそれがアクシデント発生の予防につながることに対して評価し、職場で共有するものです。
これを虐待に対するヒヤリハットでも行った事例ですが、こうした報告のしやすい環境づくりというのは、上記の③の予防に効果的です。こうした事案を共有し続けることで①や②の抑制にもつながっていきます。
これは、傍観者効果に対する対策ではないですが、そもそもの「身体拘束に代わる方法」のうちの一つとして注目されています。
認知症マフとは物としては、ニット生地で編まれた筒状のものですが、認知症患者の方がその中に手を入れることで不安を和らげたり、手の保温による筋緊張の軽減や副交感神経を優位にすることで落ち着きを与える効果があるとされています。認知症の方が興奮状態になることで他害の恐れがある場合、それが続くと身体拘束の選択肢が出てしまいますが、それを身体拘束以外の代替手段で根本的に解決させるという意味では興味深い取り組みです。
先にも述べましたが、医療現場からの声として人手不足による影響が語られることがあります。人手不足はどの医療機関も慢性的に抱える悩みの一つであろうかと思いますが、人手不足により不安状態だったり攻撃的だったりする患者に割く時間がなかなか取れない。さらに人手不足のためにスタッフの教育にまで手が回らず、少ない人員でも対応するノウハウを組織として獲得できないといった悪循環に陥ることがあります。
そういった悪循環を解消するために、弊社支援先では患者の症状や心理状態、ADLの状態によって、その状態の悪い患者をある程度特定の病棟に集中させ、その病棟に看護師の配置を集中させるという工夫をされています。
同じ入院料の病棟であればある程度配置に強弱をつけることができますので、重点的なケアが必要な病棟に多く人員を配置することで、労働力的にもスタッフの心理的にも余裕が生まれ、身体拘束といった手段をとる前に、患者に応じた不安の解消が可能となり、そうすることでスタッフ教育にも時間をとることができ、患者の対応のレベルも組織としてあがっていくようになり、結果身体拘束を最小化することができています。
患者の高齢化に伴い、認知症やせん妄などの精神症状を伴う患者への対応がどの病院でも課題となってきています。大きな総合病院では、すぐに精神科医のコンサルテーションを受けられる環境にありますが、多くの中小病院では患者の精神症状に困りながらも自院で対応せざるをえず、結果身体拘束へつながってしまうケースもみられます。
そうした状況を介以前すべく、弊社支援先病院では、院内でのリエゾンチームではなく、地域内の中小規模病院同士でリエゾンチームを組もうという取り組みを行っています。つまり、精神科病院の精神科医が、一般科病院で患者の精神症状に関する見立てや医師からのコンサルテーションを行い、看護師には認知症患者等への対応をレクチャーするというものです。
これにより、適切な精神症状への対応が可能となり、看護師の負担も軽減されたという結果となりました。直接的に身体拘束の最小化を狙ったものではありませんが、間接的に身体拘束最小化に大きく貢献している事例かと思われます。
虐待防止や身体拘束最小化については、悪い意味での社会的注目を受けやすいテーマです。一方で、必要最低限度の身体拘束を実施せざるを得ない場面があるのも事実と思います。
とはいえ、倫理的にも医学的にも、診療報酬という意味では経営的にも取り組んでいく必要のあるテーマであると考えられますし、本稿がその一助となりましたら幸いです。
執筆者
K.Miyazaki
大阪府出身。学習院大学文学部心理学科卒業、東京国際大学大学院修了。精神科病院、クリニックにて臨床心理士として患者の心理療法に従事。その後、治験施設支援の企業にて、治験での心理検査から提案営業、社内のメンタルヘルスの体制構築にも携わる。
2020年4月よりメディヴァに参画。現在、精神科病院でのハンズオン支援を中心に担当。
監修者
小松 大介
神奈川県出身。東京大学教養学部卒業/総合文化研究科広域科学専攻修了。 人工知能やカオスの分野を手がける。マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントとしてデータベース・マーケティングとビジネス・プロセス・リデザインを専門とした後、(株)メディヴァを創業。取締役就任。 コンサルティング事業部長。200箇所以上のクリニック新規開業・経営支援、300箇以上の病院コンサルティング、50箇所以上の介護施設のコンサルティング経験を生かし、コンサルティング部門のリーダーをつとめる。近年は、病院の経営再生をテーマに、医療機関(大規模病院から中小規模病院、急性期・回復期・療養・精神各種)の再生実務にも取り組んでいる。主な著書に、「診療所経営の教科書」「病院経営の教科書」「医業承継の教科書」(医事新報社)、「医業経営を“最適化“させる38メソッド」(医学通信社)他