現場レポート

2024/08/23/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.14/ルアンプラバーン編

ラオスにいったい何があるというんですか?

村上春樹の紀行文集である「ラオスにいったい何があるというんですか」という言葉を借りれば、ラオスに馴染み深い日本人は少ないと思う*1。日本からの直行便はなく、どこかの空港で必ず乗り換えなくてはならない。場合によっては乗り継ぎも含めると24時間かかることもある。人口744万人の4つの国(タイ、中国、ベトナム、カンボジア)に囲まれた細長い国ではチベットから始まるメコン川が縦断し、大量の水を南シナ海へ運んでいく姿をみることができる。NYタイムズが毎年発表している行くべき場所(年によって52ヶ所だったり、53ヶ所だったりする)では2008年に1位に輝いている。

私はそのラオスの京都とでも言うべき場所であるルアンプラバーン*2を訪れた。ルアンプラバーンはラオスの北側に位置する街全体が世界遺産の古都だ。無数に寺院があり、ラオス仏教の礎を作った場所とされている。朝5時には幼稚園児から高齢者くらいの年齢の僧侶達がオレンジ色の布を纏い托鉢を行う。ラオスの一大観光地だからか、看板の表記も英語のものが多くてラーオ語を話せなくても観光自体はできてしまうだろう。東南アジアを周遊している私としては外せない場所の1つであったし、どうせ行くなら見どころのある場所がいいだろうという単純さもあってルアンプラバーン行きを決めたのであった。でもいったい何があるのかはさっぱり見当もついていなかった。

プーケットからタイのドンムアン国際空港へ行き、乗り継ぎでルアンプラバーン国際空港に向かった。空港はとても小ぢんまりしていて、ここが国際空港なのかという空港だった。サイズで言えば石垣空港に近いだろうか。そこからさらにタクシーで滞在予定の宿へと向かった。ドミトリーは小道を入ったところにあって、ドライバーも私も多分ここだろうという道の前で止まり、そこから歩いていくと民家に紛れてそっと、それでいてこの土地には馴染んでいない欧米人が多い建物があった。いつも通りパスポートを見せてチェックインを済ませる。ドミトリーはフィリピン出身の男性がマネジャーをやっていて、英語が通じる場所だった。いつもと違ったのは部屋の構成で2段ベッドが1つとシングルベッドが1つある3人ひと組の部屋だったことだ。ドミトリーと言えば2段ベッドがズラッと並んでいる場所だと思っていたから少し奇妙な感じがした。

ルアンプラバーン国際空港

日本人ですか?

部屋のシングルベッドには70歳の日本人男性が寝込んでいた。いったいどうして、それも1人でこの古都のしかもドミトリーにいるのだろうか。この場所では絶対に聞き得ない熊本弁でこのおっちゃんは「日本人ですか?」と聞いてきた。こちらが返事をする間も与えず続けて「少しへばってしまって寝込んでいるんです。気にしないでください」とも。もちろん気にしない訳にはいかないので、バイタルを測って、問診をして軽度の熱中症の診断をした。とりあえず部屋を涼しくして、水分摂取をしながら休んでもらうことにした。その間に今日中に行っておきたい場所があった。プーシーの丘というメコン川に沈む夕陽が見られる景勝地だ。日没まであと1時間もないから、私は足早にドミトリーを出た。地図を見ながら、よく分からない土地を進み目的地の入口に着いた。丘というだけあって、夕陽が見える頂上まではかなり歩かなくてはならないらしい。金色の仏教像を横目にぜえぜえ言いながら何とか登り切った。

プーシーの丘の上はたくさんの観光客でごった返していた。皆がレンズのベクトルを夕陽に合わせて、撮影を行っていた。もちろん私もその中の1人になっていた。観光をしているとたまに景色を見に来たのか写真を撮りに来たのか分からなくなることがある。でも景色を鮮明に思い出すために写真が役に立つことがあるから撮影自体は止められない。夕陽がメコン川の向こうに沈んでいく姿を眺めていると不意に「日本人ですか?」とまた声を掛けられた。今度は少し間があったので「そうです」と答えることができた。松井さんは40代男性で転職を機に24年ぶりにバックパックをしているそうだ。ラオスの南側からここまで上がってきたらしい。人が良さそうでーそれでいてガツガツした感じはなかったので、そのまま夕食を一緒に食べることにした。

2人でルアンプラバーンの街を少し歩いて、こぢんまりとしたレストランに入った。地元の人がやっているレストランで、中学生くらいの女の子が店のやりくりをしていた。私はカオソーイという麺類を注文し、松井さんは今となっては思い出せない何かを注文していた。松井さんの会話のテンポは普段から人と接する仕事をしている人の速度だった。聞くと大学の教員をやっているとのことで納得した。話しやすかったので、会話に花も咲く中でお互いに沢木耕太郎が好きだということが分かり、さらに意気投合した。そうして次の日も一緒にクアンシーの滝という名所に行くことになった。食事を終えてお互いの帰路が同じところまで歩いて連絡先を交換してそれぞれT字路で別れた。

プーシーの丘からの夕陽とメコン川

クアンシーの奇妙な家族

宿の部屋に戻るとおっちゃんは少し元気になっていた。言葉に力が湧いている感じだった。少しおっちゃんに興味が湧いてきた私は旅の動機とライフレビューを聞いてみた。どうやら友人に勧められたという理由で妻を熊本においてルアンプラバーンまで来たらしい。しかも英語など全く話せないから、身振り手振りと事前に立てた計画に従ってドミトリーを渡り歩き、次はチェンマイに行くとのことだった。自衛隊のミサイルで自軍を援護する追撃隊という部隊で長年勤務していたらしい。エクセルを使って作成した予定表には何時にどこで何をするかが訓練予定のようにびっしり詰め込まれていた。

私はおっちゃんに明日の予定を聞かれ素直に答えるか迷った。何せ熱中症だったのだからしばらくは暑いところには出ない方がいいと考えたからだ1)。さらに言えば、長年戦うことをしてきたおっちゃんにとって、苦しい状況を乗り越えることに価値観を置いていそうな感じがしたので、予定を言えば「私も行く」と言い出しそうだったからだ。それでも嘘も良くないかなと「クアンシーの滝に行きます。さっき日本の方と会ってその人と一緒に」と正直に言うと、案の定、もぞもぞしながら「私も行こうかなと、どうしようかな」と言い始めた。この感じは迷っていない。もうおっちゃんの中では行くことが決まっている、そんな雰囲気だった。医師の端くれとして一応状況をインフォームド・コンセントした訳だが、進軍止まらず、ツアーの受付をしに部屋を出て行った。そうして翌日、おっちゃん(父)、松井さん(兄)、私(弟)の即席日本人家族が形成され、3人でクアンシーの滝に向かうことになった。

クアンシーの滝の一部

人生100年時代というけれど

ルアンプラバーンの街から車で1時間くらいのところにクアンシーの滝はある。日本人家族のような私たちはツアーの送迎車に乗り込み、時に舗装されていない道に揺られながら進んで行った。クアンシーの滝はなぜそんなに青色なのか分からない綺麗な水が滝から注ぎ込まれていた。滝の上流にはプールのように水が溜まった場所があり、私たちはそこを目指した。険しい道をおっちゃんはぐんぐん鍛え抜かれた足腰で進んでいた。上流に着くと何人もの人が泳いでいた。その中で際立っていたのは80歳のイギリス人女性で、冷たい水の中を悠々と泳いでいた。大丈夫か聞くと「余裕よ」と答えていた。父と兄は水のあまりの冷たさに遠慮し、私だけが水を堪能した。

ある研究では2007年に生まれた日本人のうち半数が107歳より長く生きると推計されているらしい2)。肉体の老化にはもちろん個体差があって、加山雄三と桂歌丸が同い年であることを考えると想像がつきやすいと聞いたことがある気がする。おっちゃんは元々体を鍛えているからなのか、個体差なのかは置いておくが、イギリス人女性は杖もつかずに歩き、そして悠々と平泳をしていた。そもそもこの崖みたいな道を登ってきている。

生涯学習ももちろん長生きする上では大切だけど、それよりも30代の私が描く70代、80代の私は全くピンピン頭も体も動く感じがしない。80歳の人の祖父がいたとしたら間違いなく「動かないように」と周りが止めてしまうことが想像できる。イギリス人女性が泳ぐ姿からはどのように高齢者に接すると、いや周りが可能性を下げてしまっていることがあるのかもしれないなと感じさせられた。もちろんこのイギリス人女性がオリンピックメダリストかどうかとかは聞いていないから、めっちゃ丈夫なだけかもしれない。でも周りがどう扱うかってすごく影響するんだろうなと思った。プールから上がると父が元気そうにしていた。30代を肉体的にどう過ごすか、もしかしたらそれが歳をとってからも元気でいられる方法なのかもしれない。

次回は9月13日(金) どこを書くのが面白いか、内容は悩んでいます。次回もお楽しみに。

執筆:溝江 篤
編集:神野真実、半澤仁美

【参考文献】

  1. Armstrong, L. E., Casa, D. J., Millard-Stafford, M., Moran, D. S., Pyne, S. W., & Roberts, W. O. (2007). American College of Sports Medicine position stand. Exertional heat illness during training and competition. Medicine and Science in Sports and Exercise, 39(3), 556–572. https://doi.org/10.1249/MSS.0B013E31802FA199
  2. 「人生100年時代」に向けて|厚生労働省. (n.d.). Retrieved August 19, 2024, from https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000207430.html

【注釈】
*1:この本文と本での使い方に差があります。
*2:日本ではラーオ語に近いルアンパバーンと表記されることもあります。


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