現場レポート

2024/06/28/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.10/ペナン編

▼前回はこちら
https://mediva.co.jp/report/backpacker/14409/

貿易都市

KLから飛行機で1時間。貿易都市であるペナンに着いた。時刻は朝7時だったにもかかわらず目は覚めきっていた。KLでの出発を考えて朝3時くらいから行動していたこともあるが、新しい空港に着くとドミトリーまでの移動のために足を動かすことになる。眠気を感じるのは体が静止している時で、研修医の時にあった夕方のカンファレンスに出席するために座らされて ー 充分に睡眠を取っていたとしても ー うたた寝したことを思い出した。よく分からないことと静止することの組み合わせは睡眠薬に近い。

一方でよく分からない土地と動作が組み合わさると目はしっかり覚めていく。旅に出ていると聞くとのんびり過ごしていると思う方が多いかと思う。確かに仕事をしていた時に比べてのんびりできる時間はある。しかし、格安航空を組み合わせることが多いため、朝だけはどうしても早い。だいたい1都市、3泊4日。これが私の旅のスケジュール間隔なので、その度に寝れない、あるいは早起きをすることになる。病院で働いていた時と、あるいは体感ではそれよりも多い頻度で当直をしている感じさえあった。当直と飛行機移動は同じ切迫感があるように思う。

読んでいる方の中には機内で寝られるのではないかと思う方もいると思う。しかしそれは交感神経の活動に依存していて、ある意味ではギャンブルと似た運みたいなものの要素がある。寝た方がいいなと分かっていても興奮してしまって全く眠れない時もあるのだ。特に行きたい場所に行く時にはその傾向が顕著な気がしていて、ずっと行ってみたかったペナン行きの飛行機では眠れるはずもなかった。そしてよく分からない土地に着くと自分の拠点を作るためにドミトリーまで移動をしなくてはならない。それは安心して静止していられる場所へいち早く着きたいということなのだと思う。よく分からない土地にそれなりに分かる場所を作ることが本能的に組み込まれていて、死から自分を避けているのだと感じている。

さて私がなぜペナンに行きたかったかというと、それは『深夜特急』という小説の中で貿易船のおじさんが主人公にペナンを勧めていたからというかなり単純な理由だ。ただペナンとネットで検索するとカラフルで綺麗な街並みが切り取られた写真が出てくる。そこは世界遺産のジョージタウンという貿易都市らしい。日本で貿易都市と言えば神戸や横浜のようなキラキラ系の都市を頭に思い浮かべる。しかも食事が「おいしい」らしい。期待で胸が膨らみ、調子に乗って4泊5日のいつもよりも長い日程で組んでみた。それほどに私は期待していた。

空港からタクシーに乗って目的地とは違うところで降ろされた。どうやら10分くらい歩く必要がありそうだ。降り立ったビーチストリートという通りは人がほとんど歩いていない。何やら朝8時なのに閑散とした空気で、街角で屋台がポツンと一軒だけ開店していた。ペナンの人は遅起きなんだろうなと思いながらドミトリーに着いた。チェックインタイムは午後になってからだという。荷物をカウンターに預けて、シャワーを浴びた。共有スペースには宿名のSwing&Pillowsにちなんでかブランコがあった。ブランコに腰掛けてゆらゆらしていると眠気が出てきて、ようやくそれなりに落ち着く場所に着いたと体が認識したようだった。うたた寝から目がぼんやり覚めて、外に出てみる。昼になってもこの通りはおとなしい。宿主に「ずいぶん静かな街ですね」と聞くと、

「あー、ルナニューイヤーだからね」

と答えた。なるほど、旧正月。ベトナムにいた時は覚えていたのに、日にち感覚がなくなっているらしく、そのことに全く気づいていなかった。いつもより長く旅程を取ったのに、どこもかしこも営業していなかったら一体どうやってこの街を楽しんだらいいのだろうか。この時点で想像していた活気のある貿易都市を味わえないかもしれないという可能性が高まっていた。しかしそれ以上は考えず楽しめる楽しみ方をしようと切り替えて過ごすことにした。何せここは来たかった場所の1つなのだ。

とりあえずチェックインまで時間があるので、もう少し散策をすることにした。お腹も空いているからラクサという麺類でも食べようと、検索で出てきた有名店に出かけることにした。ペナンの街はゴミが落ちていなくて整った街のように見えた。いくつもの小さな建物に有限公司と書かれた看板が掲げられていた。有限会社ではなく、株式会社という意味の中国語らしい。中国では大半の企業がこの有限公司として建てられるらしい。つまり私がいるこの場所は中国系の人が多く住んでいる地区で、文字通り正月休みのようだった。

ラクサ屋はマレー系のため営業しているようで、少し安心する。ペナンにはマレー系、中国系、インド系の人が住んでいて、同じ場所でも旧正月を休む人と休まない人がいるらしい。

オーダーをして、テーブルに青色のお椀がサーブされた。何となくココナッツベースのカレー味の麺類を想像していたが、一口スープを啜ってみると濃いエビ味のスープだった。日本で言えば「えびそば一幻」のような感じだろうか。麺は小麦っぽい色だ。地元で食べるブランチとしては最適なように思われる麺をスルスル吸っていると、あっという間になくなってしまった。東南アジアのご飯の量はどこも私の体にはちょうどいい。腹ごしらえを済ませて、また歩いてみる。KLに比べると少し気温が低そうだが、それでも暑いことに違いはない。汗をかきながら、足をただ動かして進んでいると大きなタワーが目に入った。

ペナンロードフェイマスラクサのラクサ

ペナンの海峡

ふらっとタワーに立ち寄ってみる。淡路島の倍くらいの大きさの島*1に地上249mのタワーが立っている。タワーにはいつも行く定食屋がいつもの場所にあるように、屋上展望台が用意されていた。エレベーターで屋上まで上るとマレー半島とペナン島で作られた巨大な水路が目下に広がった。鳴門海峡のような渦潮ができるような感じはない。船も海もゆっくりと流れていた。対岸にはマレー半島の町、バターワースが広がっている。展望台からはどちらが島なのか分からないくらいだ。商船もまた旧正月のためか心なしか少なく、バターワースとジョージタウンを行き来する小さな船が海峡を往復していた。

2つの陸地の間を海が流れているだけなのに地図帳の中に飛び込んでいるような感覚になる。本や動画でみたものを実際に自分でみること、それ自体が旅の醍醐味の1つであるように思う。「知っていると思っていたこと」が「実は全然分かっていなかった」という体験をよくする。「写真でいいかな、あの場所は」と思ってしまうことが多い私だが、そうやって気持ちを済ませてしまって、諦めることが多かったように思う。自分で実際に旅に出てみると、どんな場所であっても自分にしか感じられない感覚が必ずあると確信している。

私の同僚が掲げていた座右の銘で私が時々拝借する言葉がある。

幸せのために生きる

とても力強い言葉だ。働いているとついつい忘れてしまっている感覚だなと思う。「いいな」とか「これ楽しそうだな」と思う気持ちを実際に感じられるのは自分自身だけの可能性があって、自分が幸せになるための方法が詰まっていると思う。

そして周りの人は何ひとつネガティヴなことは言わずに、応援して欲しいなと思う。旧正月の閑散としたペナンでさえも何かしら感じることがあったのだから、自分の今いる場所から動いてみることはやっぱり大切なように思う。だから私もこのタワーから動いてみよう。まずはドミトリーにチェックインをしに行かなくては。

コムタにあるタワーからみたペナン海峡

いつもお読みいただき、ありがとうございます。6月に学会に行った時に「読んでるよー」と声をかけていただくことが多く、とても嬉しかったです。
更新は毎月第2、4(金)12時、次回は7月12日、内容はペナン編②になります。


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