2024/04/26/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.6/ハノイ編②

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白衣のバックパッカー放浪記 vol.5/ハノイ編①

The Landing Dragon Bay with Indian

辺りは夕暮れになろうとしていた。船内にはテーブルがいくつも並べられ20人くらいの人がいた。私はそこでなぜか鳥が羽を動かすように両手をパタパタさせて踊っていた。一体何をしているのだろう。そもそもこうなったのは9時間前に始まった世界遺産、ハロン湾のクルーズツアーに参加したことがきっかけだ。

朝8時にホステルの近くまで来た送迎バスに乗り込み目的地へと向かった。道中ツアーガイドがある物語を教えてくれた。「東側が海岸となっているベトナムは侵攻を受けやすい土地だ。そこにある日、龍が降り立ち珠玉を海にちりばめ、その宝が無数の島へと変り、国を守った。中国語の名残があり「下りる」が「ハ」、「龍」が「ロン」と発音する。つまりlanding dragon bayだ」と説明した。国境を接しているとこうやって言葉が残るものなんだなと思う。それにしても神秘的な話だ。国防のために龍が一役買っていたこともあり、ベトナムでは龍が特別な生き物らしく(龍が特別でない国はないかもしれないが)、辰年の今年は大いに盛り上がっているらしい。

しばらくするとパーキングエリアのような場所で停車した。一度ここで降りるらしい。同乗していたインド人がバスのナンバープレートを携帯で撮っていた。思わず「賢い」と思った。こういうのが知恵なんだろうなと横目に様子を窺いながら歩いていると、ツアー参加者は牡蠣の殻が無数にぶら下がる小屋に通された※1。「想像していたハロン湾とは違うな」と思いながら行きずりに身を任せていると説明がされた。

「このツアーの一環で必ずここに立ち寄る。ここは真珠の養殖施設だ。中には真珠も売っている、一周したらバスに戻って来い。」

これは明らかに買わせようとしていないかと邪推してしまう。徹底防戦しないといけないなと思いながら中に向かう。真珠の養殖は宝石屋のMIKIMOTOの創設者が開発したらしく、大きなパネルでその紹介がされていた。初めて見る真珠の種付けは繊細な作業でどこに気をつけてやっているのか分からなかった。小さな真珠の子どもを金物を使って開いた牡蠣の中に小さなゾンデのようなもので入れ込んでいた。現在のハロン湾では龍に変わって人が宝を蒔いているようだった。

いよいよ売り場に入る。店内は日本のデパートと同じようにショーケースが並んでいた。どうも見ていると無理売りはしていない様子で邪推してしまったことが恥ずかしくなった。普段からアクセサリーなどを身につけないので、無縁のものだと足早に店外に出ていった。まだ時間がありそうなので周辺をプラプラしながらツアーガイドを探していたが全く見つからない。似たようなバスがたくさんあり、どのバスか分からない。まだ出発はしていないなと思っていたが、やはりちょっと焦る。「私も写真を撮っておくべきだったな」と思いながら今度は先ほどのインド人を探してみると、すぐに見つけることができた。事情を話すと写真を共有してくれた。さらにインド人は3人グループで実は私と宿が同じらしい。ということで3人にくっついてツアーを回ることになった。

真珠の養殖

ハロン湾の鍾乳洞

写真でハロン湾を見たことがある人ならご存知かもしれないが、包丁で真っ直ぐ切ったような岩壁をもつ島々が波の立たない深緑の海に浮かび上がることで水墨画のような景色を作り出している。実はこの島は石灰岩でできていて内部には鍾乳洞が形成されていて、立ち寄れるとのことだった。最初に聞いた時は「鍾乳洞?ハロン湾はこの景色じゃなくて?」という感じだった。船内では先ほどのインド人達と私の4人が同じテーブルに座りながら鍾乳洞へと移動していた。時折甲板に出てお互いの写真を取り合う内に仲良くなっていた。

鍾乳洞がある島に船が着くと動線に従って順番に進んでいった。経路はとんでもない山道で息を切らせながら登った。私にとっては充分登山と言っていいだろう。体感20分くらい登ったところで洞窟の入口が見えてきた。中に入ると言葉を失うほどの絶景が広がっていた。島を外から見ているだけでは想像できないくらい巨大な空間だ。あまりの大きさに人工的に作ったテーマパークのような印象を持った。私は人工的に見えるものが天然だと知ると感動する生き物なのかもしれない。天井は波で侵食され滑らかな丸みを帯びている。先ほどまで見ていたハロン湾の景観より綺麗だと思う程だ。インド人と互いに「beautiful」と言葉を共有しながら鍾乳洞をぐるっと一周して下山した。

島内の鍾乳洞

ツアーも終わりに差し掛かり、港へ戻る段になると私たちは少しくたびれた感じで船の席に着いた。ツアーガイドが携帯をbluetoothに繋いで船内に音楽をかけ始めた。2曲ぐらいかかったところでインド人が「俺もかけたい曲がある」ということでKala Chashmaというインドでは知らない人がいないという曲をかけ始めた。そして音楽がかかると3人とも船内の踊り場に出て踊り始めた。「Atsu、お前も来い」とは言われていないけど、明らかに手招きをしている。ということでまたもや3人に加わり踊り始めた。

一度ダンスが始まると船内はお祭りだった。5歳くらいのインド人兄弟はマイクを握りしめ歌い出し、韓国人の女の子はキレキレのカンナムスタイルを踊っている。順番にこれだ、これだという感じで曲をかけては踊り、歌い、終いにはインド民謡のような曲がかけられ、冒頭の鳥のような動きで踊っていた。このエネルギーがインド人なのかもしれない、圧倒的陽キャだ。でも不思議なもので一度踊り出すと周りの目は気にならなくなり、他の客からは私も陽キャに映っていたかもしれない。

ツアーから帰り宿に着くと21時になっていた。「これからナイトマーケット行くんだけど、よかったら来るか?」と今度はちゃんと誘われたが断った。付いていけば翌朝になっていそうだったから。何せまだまだハノイには行きたいところがあるし、今日は休憩した方がいいと確信していた。

ブンチャーがうまい 2

ハノイではたくさんの場所に行った。ベトナム指導者のホー・チ・ミンが眠る廟、旧市街に無数にあるカフェ巡り、ベトナム仏教のメッカの香寺など挙げれば切りがない。しかし私が医療者の端くれとして忘れられないのはハノイ国立小児病院だ。最初はかなりよこしまな理由で向かった。この病院に学生時代研修で行った後輩がこの病院のブンチャーが一番美味しいというのだ。少し不謹慎かも知れないと思いつつも行かない訳にもいかないので、Grabでバイク※2を呼んで昼時に向かった。「ここで合ってる?」と不安になるような場所で降ろされて、少し歩いてみるが、どこが入口か分からない。

ちょっと歩いたところで、なんとか病院っぽい入口を見つけた。そこにはGENERAL OUTPATIENT CLINICと書いてある建物があり、さらに奥に大きな病院を見つけることができた。クリニックの中に入ると受診から帰宅または入院までのフローが書いてあった。それを読んでみると、まず外来を受診して必要であれば奥の大学病院のように巨大な病院へ移るようだ。もちろん診療所を併設している病院は日本にもいくつもあるけれど、この大きさで分けている病院を実際に見るのは始めてだった。まるで数学でいうところの多項式のような設計だ。次数が違うものは同じにはできないけど、同じ式内に共存はできる。ただし扱う時は別々にという感じがした。無秩序なハノイの中でこの施設だけは理路整然としていた。

ハノイ国立病院の一般外来

もう少し歩くと今度はTROPICAL MEDICINEと書かれた建物が見えてきた。日本語では言えば熱帯医学、蚊やダニなどによる病気だ。今まで病院に行くことを怖いと思ったことはなかったが、感染症がうつるかもしれないと思うとちょっと怖い。なんせまだ旅を始めたばかりなのだ。しかし患者さんの中にはこんな気持ちになっている人がいるんだろうと実感した。医療をしていると自分が経験したことがない病気や苦しみを想像して、患者さんのケアに当たることがある。考えてみるとなんと複雑なことをしているのだろうかと改めて気づくことができた。

それから人に道を訊くことで食堂にはすんなり着くことができた。お目当てのブンチャーを店のスタッフに注文すると

「今日はない」

とのことだった。目的は果たせなかったけど、他国の病院を見ることで自分がしていた仕事を見つめ直すことができた。口はまだブンチャーを欲しがっている。私は旧市街へと踵を返した。

続く)

次回はベトナム中部のあの都市での出来事になります。
更新は毎月第2、4(金)12時、次回は5月10日になります。

【注釈】
※1 ツアーガイドがオイスターと言っていたためここでは牡蠣と書いていますが、あこや貝かもしれません。
※2 Grabは配車アプリ、車よりもバイクの方が安くて早いためバイクを使うことが多いです。

執筆:溝江 篤
編集:神野真実、半澤仁美


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