2024/03/22/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.4/マカオ編②

▼前編はこちら
白衣のバックパッカー放浪記 vol.3/マカオ編①

越境未遂

私は混乱した。先ほどのカップルと同様に連行され、別の建物に連れていかれた。入国審査場を出たすぐ傍にあるこの建物でVISAを取れとのことだった。1人だけ日本語が話せるスタッフがいて、何とか事情(と呼べるものではないが)を説明し、カップルにも助けてもらいながら交渉して、VISA取得の審査をしてもらえることとなった。

渡された用紙に名前、生年月日、入国目的を記載する。渡航目的の欄には「business」などのチェックボックスはあるが「travel」の欄はなく、「放浪と食事」などまかり通る雰囲気はなかった。だからといって嘘をついて「business」としてもそれを証明することはできないし、さらなるトラブルになっても嫌だったので真正面からその他の欄に一縷の望みをかけて「travel」と書いた。証明写真を1枚とって書類と一緒に提出した。

待ち時間に調べてみると、中国のVISA状況はコロナ禍を経て変わっていたようだった。日本人は入国制限がされていて2名以上の団体ツアーで、限られた地区(広州はいけるが、ベトナムへ陸路で行くために通る必要がある南寧は含まれていなかった)のみ入国が許される状況であった※1。何となく予兆はあった。見ていた南寧関係の情報が古かった。違和感は感じていたけど、まず広州にしっかりたどり着くこと、そのことで頭が占拠されていてそこまで気が回っていなかった。完全なリサーチ不足だ。予定していた「1人で南寧から大陸伝いにベトナムへ行く」という条件自体が、日本人VISA取得条件のフローチャート序盤で弾かれそうだった。

2時間ほど待ったが、VISAは取れなかった。もし入国したいなら中国大使館へ行けとのことだった。一体、大使館でVISAを審査したらどのくらいの時間かかるのだろうか。そもそも入国の条件を超えられそうな理由が微塵もない。さらには何か揉め事になって日本に送還されればベトナムまで辿り着けないかもしれない。とりあえずマカオに戻る他に選択肢はなかった。「どうやってマカオに戻るんですか?」審査員に聞くと、「来た道を戻ってください」とのこと。

「なぜそっちにいくのか?」と言う視線

「あっちだ!あっち!」と案内してくれる親切な人々

「柵で区切られて1人ずつしか進めない通路」を

 

珠海へ向かうたくさんの人を掻き分けながら私だけがマカオへ再入国した。

本来は一方通行の珠海方面への看板

本当の放浪

なんで戻って来たん?という顔を入国審査員にされながらマカオへ再入国した。「ここでマカオに入れなかったら私はどこにいていいのだろう」と不安になったが入国できたことでひとまず小さな安心を得られた。とはいえ入国できないという事実はこんなにも人を否定するものなのか。誰が決めた訳でもないはずなのに私は自分が日本人というグループにいることを初めて、はっきりと自覚した。

今まで海外旅行に行って、どこから来たのかと聞かれて「日本です」と答えたり、帰国して食べる日本食が美味しいと感じることで「私は日本人なんだなぁ〜」くらいの緩さで自分のことを捉えていた。こんなにも自分が日本人であることをマカオで痛感するなんて思ってもなかった。私は本当に放浪することになってしまった。当然今日の宿はない。携帯でざっと調べると1泊10,000円くらいのgreenerly innと言うホテルが目に留まった。ここにしようとホテルを押さえて足早に向かった。荷物を一度手放して楽になりたい、少しでも安らぎたい、そんな心境だった。

現地の食堂

ホテルに着いて少し気が楽になったからか、お腹が空いたので私は現地の食堂を探すことにした。greenerly inn周辺はロイヤルホテルマカオがあった地区に比べると古い建物が建ち並んでいて、現地の人が多そうな印象だ。散歩しながら店を漁っていると、人で賑わっている良さそうな中華料理屋を見つけた。とりあえずここに入ろうと決めて注文をしようとするが、何が美味しいのか全く分からない。相席になった初老の男性にGoogle翻訳で聞いてみると、これとこれが美味しいからこれを頼めば大丈夫だとのことであった。おそらく鳥と豚の何かだ。「俺もこれを頼むから」と多分言っていそうだ。

とりあえず初老の男性に言われた通りの注文をして待っていると、お湯の入った桶(お風呂で見るような桶)と箸と湯呑みと皿が渡された。これをどうするのか周りをみていると近くのおじさんがそのお湯で渡されたものを洗っている。なるほど煮沸消毒のようなものかと納得し同じ動作を真似てみる。「洗杯」と呼ばれる広東など南の地方で行われている行為らしく、衛生状態があまりよくない時代にお茶やお湯で自分の食器や箸を洗う風習だけが今も残っているらしい。

「洗杯」に使う桶とお湯

待っていると海南鶏飯の鳥の部分と揚げたチャーシューのような食べ物が運ばれてきた。お腹が空いていたからパクパクと食べていると、初老の男性が何やら口から出している。観察していると鶏皮を口から出してテーブルの上に積み重ねていた。周りの人々もあらゆる皮ー鳥も豚もピーマンの薄皮もーを直接、どんどん積み上げていた。これを日本でやったら多分汚いと騒ぐ人で溢れかえるだろう。文化とは不思議なもので周りの人がやっていると私自身も躊躇わずにテーブルに積み重ねることができる。人の行為が文化を作り、文化が人の行為を作っていることが感じられた。

なぜ鶏皮を食べないのか調べてみたがはっきりとした回答は見つけられなかった。「皮の衛生状態が悪い」とか「脂質が多いから体に悪い」などウェブ上に情報は書いてあるけど事実かどうか分からない。

試しにマカオの疫学について調べてみる。脂質異常症の人数は分からなかったが心疾患の死亡者数が書いてあった。2023年で816人1)。人口は68万3700人2)なので人口10万人あたりの粗死亡率を計算すると119.3だ。2022年の日本の心疾患の粗死亡率は190だから確かに少ないかもなと思ったりした3)。(実際にはマカオの心疾患にどんなものが含まれているか分からないのと鶏皮が全てではないため単純な比較はできない)そしてその後、原因は分からないけど少しお腹が痛くなった。

セナド広場と赤い龍のモニュメント

マカオの結び

少し話が飛ぶけれど、マカオはポルトガル領だった時の名残でポルトガル料理も食べられる。香港、マカオで中華料理に飽きた時にオリーブオイルベースのポルトガル料理を食べると気分が相当に転換される。店の中で「八角」の匂いがしないこともあってか、ここが中国ではない感じがした。街を歩けば世界遺産のセナド広場に旧正月の赤い龍のモニュメントが飾ってある。異国の文化同士が混ざり合い、中国と香港を結ぶ国際都市、それがマカオのようだ。マカオを肌で感じ終え、私は次の国ベトナムへ移動しようとした。今度はめちゃくちゃ予習して。

続く)
果たしてベトナムには入国できたのか。

次回更新は4月12日(金)12時予定です。

※1 2024年3月16日現在

【参考文献】
1)澳門特別行政區政府 統計暨普查局. (2024.3.7). Time Series Database — Statistics and Census Service. Retrieved March 16, 2024, from https://www.dsec.gov.mo/ts/#!/step2/PredefinedReport/en-US/4
2)澳門特別行政區政府 統計暨普查局. (n.d.). Time Series Database — Statistics and Census Service. Retrieved March 16, 2024, from https://www.dsec.gov.mo/ts/#!/step2/KeyIndicator/en-US/240
3)厚生労働省. (2023, June 2). 令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況. Retrieved March 16, 2024, from https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai22/dl/gaikyouR4.pdf


白衣のバックパッカーのSNS