RECRUIT BLOG
2024/08/20/火
働く人たち
今回の「私の経歴書」は、コンサルティング事業部CHチームの原が担当します。
前職は私立医科大学附属病院の医事課、経営戦略室と医療畑にいましたが、2023年10月、32歳のタイミングでメディヴァに入職しました。
なぜメディヴァに転職したのか、また、医療界への想いなど、これからメディヴァへの転職を考えている方々にも参考になるようなお話をしていければと思います。
【目次】
・新卒から大学附属病院へ
ー初めてだらけの医事課業務
ー出会いと本物の文武両道を目指して
・転機
・メディヴァに入職した理由
・医療機関での勤務経験は活かせるか
・現在の業務内容とこれからの目標
私は幼少期より野球を長年続けてきました。プロテストを受けるなど、一応本気で野球に取り組んでいたと自負しています。しかしながら道半ばでプロの道を諦め、就職を考えたとき、仕事をしながら野球の指導ができると、安易な考えで大学職員を目指しました。
ところが、大学職員になったものの就職した先が「医学部の大学」だったため、配属先は希望とは異なる「大学附属病院」となりました。これが私と医療との関りの始まりです。
◇初めてだらけの医事課業務
最初はレジ打ちなど、簡単なことから始まるのかと思っていましたが、いきなり「白本」と呼ばれる分厚い本と、「レセプト」といわれる見た事も聞いた事もない言葉がずらっと並ぶ白本の何倍もある厚さの紙の束を渡され、「これがあなたの仕事です」と言われた時は茫然としました。
面倒見の良い先輩方からご指導いただきながら、(今では流行らないかもしれませんが)「とりあえず3年」を真に受け、なんとか3年を過ごした頃、医学部の野球部があるからみてみないかと声をかけられました。グランドに顔を出すと、そこには医者の卵たちが必死に白球を追いかける姿がありました。
◇出会いと本物の文武両道を目指して
大学と選手たちから監督就任の打診を受け、喜んで引き受けることにしました。
仕事が終わるとグラウンドに行き、選手たちと一緒に汗を流し、試合で勝てば選手たちとともに喜び、負けると一緒に涙を流す中で、自身が野球を行ってきた時とはまた違った感情が生まれました。
私が監督に就任する以前は、当たり前のように毎年留年者がでて、文武両道が疎かになっている状況がありました。しかし、医学部の学生として本分は勉強であることを明示し、テスト期間は練習を完全に禁止、補講等のある留年ギリギリの学生は1か月前から練習禁止、かつ野球部の成績上位者について指導してもらった結果、私が就任して以降、留年者を0にすることができました。大学内でも成績優秀者として表彰される部員が出るほどになりました。
一方で、医学部の学生ならば全員知っている「東医体(東日本医科学生体育大会)」で優勝するなど、「本物の文武両道」を選手たちと実践することができました。「オン」と「オフ」をはっきりさせる指導を徹底したことで、グランド内では監督と選手であっても、グランドから一歩出ると年の近い仲間という関係に変わり、教え子ながら、尊敬できる人間として対等に付き合うようになりました。今思い返すと、このことが自分中心だった私の人生の分岐点になったような気がします。
指導を続ける中で他大学の医師の卵たちとの交流も増え、学生たちが医師となったとき、なにか力になれることはないかと考えるようになりました。
そんな矢先、野球部OBの医師から「それならば医療コンサルタントとしてサポートするのはどうか」とアドバイスをもらいました。これをきっかけに「医療コンサルタントって何するの?」から始まり色々と調べる中で、医事課の知識だけではコンサルタントにはなれないと考え、大学附属病院にいる間に経験しておきたいこととして、いくつか目標を掲げました。
・医事課内のマネジメント⇒「外来部門統括者になる」
・経営戦略室への異動⇒「経営に触れる」
・診療情報管理士や医療経営士などの資格取得⇒「知識をつける」
・病院のマネジメント⇒「経営ノウハウを実行する」
人生できちんと勉強したのはこれが初めてでしたが、勉強とは楽しいものだと今更ながら気づきました。そして4つの目標を全てクリアした結果、法人内4病院1クリニック全ての経営会議に、理事長や経営陣とともに出席し、意見を求められるようになりました。
ただ意見するだけではなく、現場とともに実行することを考え、「経営陣と現場のパイプ役」としての役割を担えるようになったことで、そろそろ次のステップに進もうと思うことができました。
医療コンサルティング会社について調べる中で、メディヴァを知りました。
知人から、メディヴァは面白いこと(コミュニティホスピタル事業)を始めていると聞き、今まで学んできたことを活かせる場所、誰かのために役立てることができる場所なのではないかと考えました。
前職では、大学附属病院という大きな組織にいましたが、医療を学ぶうちに、日本の医療機関の7割は200床以下の中小病院で、そのほとんどが赤字経営という事実を知り驚愕しました。メディヴァではそのような中小病院を「仕組み」で再生し、日本の医療を支える礎を築く取り組み(コミュニティホスピタル事業)を行っている最中であり、まさに「日本の医療のために」という壮大な「誰かのために」を実現できる場だと感じたことが入職の決め手となりました。
コンサルティング会社とは一言で言っても、結局言うだけ言って実行しない(できない?)ことも多いと感じていましたが、メディヴァでなら、自分たちが推進力となって現場を動かし、より実践的に経営改善していくことができる点も魅力でした。
もともと抱いていた「教え子の力になりたい」という思いについては、メディヴァが構築する「仕組み」をベースに、コンサルタントとして現場に入り、実行支援することこそが一番求められるものだと考えました。
メディヴァでは、他業種からの転職者も多く、そのような方々も活躍できる土台、環境がそろっていることが強みです。しかしながら、私自身は一応医療機関で10年勤めてきたこともあり、他業種からの方々よりもアドバンテージがあるのも事実だと感じています。
医療機関からコンサルタントに転職するのは、ハードルが高いと聞きます。実際、何社か医療コンサルティング会社に転職活動をして、面接官の方から「医療機関からコンサルタントに転職する人は少ない」と言われました。
しかし実際入ってみると、医療機関出身者ならではの視点も大切だと実感しています。例えば、医療法(診療科の標榜規制等)や診療報酬(施設基準等)など、医療業界にいなければ馴染みがないこと、また、医療業界ならではのコミュニケーション(慣習や風習を察知する)が最初からとれることなどが強みになります。
一方で、医療現場のスタッフとのコミュニケーションにおいて、以前は同じ病院の「中の人(医師も職員も同じ職員)」として接していたのが、今はコンサルタントとして外部からきた人(第三者感)になってしまう点にはジレンマも感じます。実行支援メンバーとして『現場よりも現場の人間になる』ことの重要性は、メディヴァに入って身についた(まだまだ足りませんが)ことの一つです。上司に言われた言葉で、○○病院ではなく「当院」と呼ぶというのは、他人事から自分事として捉えることについて、気づきをもらった瞬間でした。
医療機関からの転職を考える上で、自院だけでなくもっと広い視野で医療業界をみて、感じ、変革を起こしたいと考えていた私にとっては、これ以上ない環境だと思っています。
現在私はメディヴァでコミュニティホスピタル事業(総合診療を軸として、超急性期以外のすべての医療とケアをワンストップで提供する。医療者が本来やるべき仕事に集中し、成長しながらいきいきと働ける環境をつくる。病気だけではなく、患者さんの人生を診て、「治し、支える医療」を提供する)に携わっています。
医事部門センター化構想の責任者として、入院、外来、訪問診療の主にレセプト業務をセンターで行える仕組み作りを行ったり、病院の現場に入り、医師を始め職員の方々とともに、病院がより良い方向に進むように日々PDCAを回しています。
今後の目標は、メディヴァの強みである、多岐に渡る医療コンサルティングのノウハウを吸収し、現場にあったアウトプットを出せるコンサルタントになることですが、それにはまだまだ力不足です。ただ知識をつけるだけでなく、病院の一職員になりきること(信頼されること)、傾聴力やマネジメントスキルなども意識していきたいと思います。
最後になりますが、私がメディヴァに入職できたのは、メディヴァという医療コンサルティング会社で、成し遂げたいことが明確だったからだと思います。
実際入社した今、メディヴァは『日本の医療を良くしたい』という願いを本気で叶えることができる場所だと感じています。そして、自分の『無人島』を創っていける環境がメディヴァにはあると心から思っています。
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