2026/08/28/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
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目次
①ある知人の夢:ガラパゴス
「僕、ガラパゴスに行ってみたいんです」
と彼が言っていたことを私はずっと覚えていた。大学生の頃からの夢だったみたい。彼とは何か仕事をしたことがある訳ではなかった。仕事の延長線のプロットとしてお互いが存在して、飲み会という交点で、顔を合わせる関係性だった。感じが良い、智に働いても角が立たない、そんな品がある人だった。
「いつ、ガラパゴス行きますか?」
ある学会で彼に尋ねてみた。これが私の中南米の旅の始まりだった。
②ある旅人の一番:フィッツロイ
「世界一周をして一番の景色はフィッツロイだった。」
と旅をする友人は答えた。ヨーロッパで共に旅した彼はその旅を終えて、そう語った。きっと私以上にいろんなものを観てきたに違いない彼が選んだ1番の場所は、城や遺跡ではなく、自然が作り出した南米の先にあるパタゴニアというエリアの山だった。
③家族の言葉
「なんだか、危なそうだから気をつけてね」
と妹は出発前にいう。だが、何にどう気をつければいいのだろう。外務省のホームページを見ていてもリスクが高いエリアが多いことは分かるけど、気をつけ方は分からなかった。それに旅が始まってしまったら、現地で対処するしかなさそうだなと思う。
④第一の旅程:成田発、メキシコシティー行き。その後、中米経由でガラパゴスを目指す
旅が始まる時に中南米に対するイメージが沸いてこなかった。そもそも旅行代理店に並んでいるのはアジア・ヨーロッパのパンフレットが多い気がして、日頃から旅の選択肢に入り込んでこない。だが、バックパッカーの友達が言うには「南米が一番楽しい」というのだ。一体、日本の真裏に何があるというのだろう。実際に自分で体験する必要があった。
さっそく成田からメキシコシティーの往復便を予約した。さらに黄熱ワクチンも打った。このワクチンはボリビアとガイアナに行く時に必要になるらしい。行くかは今のところ分からないけれど。
出発の1週間前にこれらを行う。いつも準備がギリギリなのは仕方がない。しかし、少し期間が空いただけなのに、繰り返しやっていた荷物のパッキングが下手になっていて驚いた。そんなにすぐに忘れてしまうものなのか、心配になりながらもそれっぽく詰め込む。
ようやく「これでなんとか旅立つことができる」と確信は持てないまでも、どうにかなるだろうというレベルの準備を終えた。最初の旅程はメキシコシティーから中米を経由してガラパゴスを目指す。着いてからどうとでもなるだろう。そう考えて、何があるのか確かめるために旅立ってみた。
日本から14時間、メキシコシティーに到着した。入国審査の際に「VISAを見せろ」と言われる。日本のパスポートはなくても入れるはずなのだけど、日本人があまりこないからなのか、スッとは通してもらえず、日本人アピールとVISAがいらないことを繰り返し説明して、ようやく入国スタンプが押された。
外に出てみると、羽織りはあった方がいい気温だった。宿についてチェックインをする。ここで驚くべきはスタッフの英語レベルが低いこと。中南米のほとんどでスペイン語が使われていることはもちろん知っていたが、ヨーロッパでは経験しなかった言語の壁を感じる。宿のスタッフは日本人の女の子について知りたがっていて、その時は真剣な眼差しで一生懸命に英語を話していた。
同じ宿にたまたま日本人の旅人がいて、受付でスペイン語を流暢に話していそうな様子を目撃したので、「覚えといた方がいいスペイン語ってありますか?」と尋ねると「グラシアスだけ覚えておけば大丈夫すよ笑」と大雑把に返される。質問が質問なので、逆の立場なら自分もそう答えてしまうのかもしれないが、なんとなく不親切さを感じてしまう。
用意された部屋は3階で、エレベーターがないので階段を登る。するとどうだろう、なんか苦しい。旅を再開したばかりだから、そう感じるだけかと思っていたけど、息苦しさに再現性があった。苦しい。調べてみるとメキシコシティーは標高2000メートルを超える位置にあるみたいだ。「そうか高山病みたいな感じなんだな」と、妙に納得感を得た。だって身を持って苦しいのだから。酸素濃度が低い人の苦しさを初めて実感することができた。

部屋でちょっと休んでから、ご飯を食べに行ってみた。レストランでも驚くほど言葉が通じない。しかも、メニューも全く読めない。携帯で翻訳すればいいだろうと思うかもしれないが、それをしたとしてもカタカナで表示される文字が食べ物なのかどうか分からない。
例えば「フリホーレス」。これがなんなのか分からないから注文ができない。香港とかマカオに行った時も言葉は分からなかったけど、類推をすることもできない単語を目の前に、ただ隣の客人の注文しているものを指差ししてジェスチャーするしか注文の方法がなかった。そして届いた食べ物が何なのかも分からないまま、それを食べた。ただ、美味しいことだけは分かった。
ここまできて自分の現状を整理する。つまりこうなる。この土地で自分に足りないもの、それは酸素と言語。生きる上で欠かせないものが自分には欠けている。酸素は1週間程度で馴染むらしい。とにかく水をたくさん飲み、体の代謝を促す必要がある。言語はそうはいかないだろう。少しずつ積み重ねるしかない。自分が通用しない土地がまだあるんだと初日に痛感した。

メキシコに来たからにはタコスを食べたい。逆に他のメキシコ料理を知らない。当たり外れがあるはずだから、できるだけ多くの店に行こうと決めた。
日本で食べるよりもはるかに安い気がする。店によって価格は違うけど200円くらいで食べられるところもありそうだった。肉にも種類があってバラエティ豊かで、楽しい現地のファストフードのような存在であった。
そして3軒目に行った辺りから下痢をした。インドでもお腹を壊さなかったのに、メキシコではアウトだなんて、つい嬉しくなってしまう。だけど、息苦しさと下痢とでしんどい。
そもそもトイレはどこですかと聞くことができない。治安の悪いと呼ばれるメキシコの公共のトイレに行くのが怖い。そもそも数日後に長距離バスで移動するのだ。ということで薬局で下痢止めを買うことにした。もちろんよく分からないので、携帯の翻訳を店員さんに見せて、棚へ案内してもらう。
商品をみるけど、どれが効果があるのか分からない。知っている下痢止めではない。とりあえずペクチーナと書いてあることを手がかりに調べたら、ペクチンという意味で、ジャムを作ったりする時に使うようだ。確かに下痢が治りそうな気がする。直接固めてくれそうだ。
だが、ここで迷いが生じる。本当にこれを買っていいのだろうか。明日には治っているのではないだろうか、そんな感情が湧き出てくる。そこまで長引かないかもしれない。なぜか急にそのような気がしてきてしまって、購入を見送った。
当たり前といえば当たり前だが、治らなかった。そしてどこかの店に行くたびにトイレを探さなくてはならなくなった。だからこの旅で身につけた最初のフレーズは
「¿Dónde está el baño?」(トイレはどこですか?)
になった。なぜかスペイン語は最初に「?」がつくのだが、ともかくこの文章を覚えていなければ中米から抜け出すことは難しかったかもしれない。と同時にたどり着いたトイレから抜け出すことも難しく、結局薬局に戻って薬を買った。
全てが今までとは違う感覚で始まる旅が嬉しい。きっとこんな体験をしたくてこの土地まで来たのだと思う。到着数日、文化が全く違う国々でこれから生き残っていけるのだろうか、そんな気持ちでいっぱいだった。

次回は9月11日(金)メキシコシティー編②となります。
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