現場レポート

2025/11/14/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.43/ドゥラス編

地中海リゾートを求めて

飛行機でアルバニアの首都ティラナに向かい、そこからバスで海沿いの街であるドゥラスに移動した。事前に購入していたeSIMの電波が入らず圏外になっていることに気づく。バスに乗り込んだはいいが、本当に着くのか不安だ。席に座ると、バスの中にWi-Fiがあるというシールが貼られているのを見つけたが、どうにもつながらない。期待しただけに「なんでよ」という気持ちが広がる。到着したらどうやって宿を探そうか。

現在のアルバニアはヨーロッパ最貧国といわれている。つまり物価が安い。そのため長期滞在には向いているだろうと、1週間アパートを借りて住むことにした。バスが目的地の砂利でできた駐車場に着く。なんだか陰湿な雰囲気だ。とはいえドゥラスは地中海リゾート地のひとつのはずで、治安はそこまで悪くないのだろうと近くのカフェでWi-Fiを借りて場所の当たりを付けて宿へ足を運んだ。

着いた宿はピンク色の壁が目印の家族経営の宿だった。簡単な英語でやり取りをしてチェックインを済ませる。アパートだけあってかなり広い。たまに個室に来ると、やはりホッとする。自分のスペース。これって私にはどうしても必要みたいだなと、旅を通して思う。もちろんドミトリーの居心地が悪いわけではないけれど、偏ると自分の中で凝り固まって悪さをし始める気がする。バランスが大事といえばそれまでだけど、生きるためにはいろいろな側面を週単位で切り替えることが、ある意味で運動になって心をほぐすのかもしれない。

ドゥラスで特別にしたいことがあったわけではない。長めに地中海のそばにいられればそれで良かった。アパートも海沿いをと思って予約したが、立地はいいもののビーチまでは少し距離がある。どう過ごそうか決まっていないと、「旅の疲れを癒す」と言い訳して、ずっとゴロゴロしてしまえる。とりあえずビーチまで走ってみようかと思い立ち、海にも入れるように水着を履いて、駆け出してみた。

ビーチまでは貿易港の横をただ真っ直ぐ伸びるルーガ・パヴァレーシア(訳:独立通り)を走る。線路の横を並走していくが、途中で途切れていて電車が通っていないことを知った。海外でランニングする日が来るなんて思ってもみなかったうえに、走るのなんて何年ぶりだろうか。アルバニア人に紛れられるわけもない、絶対的異国フェイスの自分がこんなことをして悪目立ちしないだろうかと心配になる。その心配が燃料となってスピードが上がるが、エンジンもボディも耐えられない。結局、苦し紛れに歩きながらになってしまった。

さらに着いたビーチは、思っていた地中海とは違っていた。地中海といえば圧倒的な青色。キプロスやマルタのような誰もが感動しそうな水色をイメージしてここまでやって来たのに、海岸は謎の海藻で真っ黒で、野良犬まで彷徨いていた。犬をうまく避けながら、人通りが多そうな場所まで向かい、ビーチシートを1つ確保した。

1人でビーチに行くと心配なのが荷物。スられないかと常に不安になる。いつもは首から下げる防水の携帯ケースにお金・鍵・携帯などの必需品を入れて、身につけたまま海に入る。この作戦でトラブルになったことはないので、今回もいつも通りに海へ入った。まあ悪くはないけど、どうしても汚さと荷物問題が頭をよぎる。正直、毎日来たいと思えるビーチではない。私の思っていた地中海リゾートはどこに行ってしまったのだろうか。

ドゥラスビーチ

アルバニアの医学史

そもそもアルバニアはどんな国なのだろうか。調べてみると、実は1990年まで鎖国していた社会主義国家らしい。さらには宗教活動自体を禁止する無神国家という体制を敷いていた。1991年に正式に開国がなされ、宗教の自由化が認められるようになったという。十字架を掲げたり、コーランを読むだけで逮捕されることもあった。なんだか日本の江戸時代のような体制だ。社会主義国でありながら、ロシアや中国とも断交していたらしい。どうしてそんなことをしていたかというと、「自分の道は自分で作る」というスローガンのもと、国を守ろうとしていたようだ。

さらに遡ると、ドゥラスは紀元前7世紀にギリシャ人が建設した植民都市。そのため医学の神アスクレピウスへの信仰の痕跡が残っている。そこからローマ帝国の支配を受け、公衆衛生が整備された。ギリシャ由来なら医学が相当発展していたのかと思いきや、医学部が設立されたのは1952年と比較的遅かった。ちなみに日本で最初に医学部ができたのは1877年(明治10年)。加賀藩が参勤交代の際に利用していた江戸の屋敷跡に建てられ、現在その場所は東京大学となっている。

鎖国中は国際学会や論文の投稿もできなかっただろう。しかし世界保健機構(WHO)のデータを見ると、1980年代のワクチン接種率はとても高い。技術的には情報が得られず進歩が少なかったかもしれないが、予防医学の観点ではしっかり管理されていたのかもしれない。今でもアルバニアのワクチン接種率は高水準を保っている。

日本も鎖国をしていたけれど、それは教科書のお話で遠すぎて実感できていなかった。現代は情報量が爆発的に増えているので、今もし鎖国体制を取ったら、2年経過しただけでも浦島太郎になってしまうだろう。ただその中でも発展したり、独特の変化を遂げたりできることを、アルバニアから学び取った。

言葉は通じないけれど

生活者として滞在してみると、思った以上に英語が通じない。それは当然のことで、上述の通り鎖国していた影響と、アルバニア語を話すということが理由だ。アルバニア留学などなら多少はアルバニア語を覚えようと思えたかもしれないが、ほぼこの地域でしか使われないこと、さらにアルファベットの上に点々がついていて読めない(ドゥラスも“Durrës”と表記される)ことから、なんとか身振り手振りで生活していた。

コインランドリーに行ったときも、言葉よりも機械の操作方法のほうが理解できる始末で、お金を見せて、そこから利用料金を取ってもらって使用した。スーパーにも行ったが、今度は仕組みが分からず中に入ることもままならなかった。実は店内に入る前にロッカーに手荷物を入れて鍵をかけ、そのあとで入店する仕組みだった。周りの人の動きを観察することでようやく理解し、中に入ることができた。一体、シーボルトはどうやって会話をしていたのだろう。

ここまで読んだ方は「アルバニア、なんか印象悪かったんだろうな」と思うかもしれないが、悪いことばかりではない。ドゥラスは首都だった時期もあり、店が揃っていて、アドリア海(地中海のうちイタリア半島とバルカン半島で囲まれる海)の入口としてイタリアとの交易も盛んだったようだ。なんとなくパスタがアルデンテ寄りだったりする。さらには地中海気候と山々に囲まれた地理的特徴からぶどうの栽培が古く、ワインの生産国でもある。スーパーで1000円ほどで購入したロゼワインがとんでもなく美味しかった。

街中にはワイン専門店がいくつか点在している

とはいえ、さすがに家でワインを飲んでピザやパスタばかり食べていてはいけないと思い、ローカルな食堂に入ってみた。電気が明るくなり切らない店内でよく分からずに注文して出てきたのは、豆腐のようなチーズが乗ったオリーブオイルがけのサラダ。「ギリシャサラダですやん」と思いつつ、なかなかローカルフードに辿り着けずにいると、路面のテーブル席で3人のおじちゃんたちが酒を飲んでいた。「お前も飲んでけ」と言っていそうな雰囲気で参加する。「いいの?」と聞くと「いい」と言っていそう。

私たちは言語を介さずにコミュニケーションしている。原始時代を思わせる「あー」とか「うー」とか言いながら。たぶん飲んだのはアルバニアのラキ。ぶどうの搾りかすを使った蒸留酒で、祝杯で飲むことが多いそうだ。みんなで笑いながら話していたから、とんでもないお祝いの席だったのかもしれない。なんだかんだご馳走になってしまい、部屋へと戻る。言葉は通じなくても感情はお互いにあり、心までは閉ざしてはいけない。かつて鎖国していた国民から、オープンマインドの大切さを学んだ1週間であった。

おじちゃん達にご馳走になったラキ

次回は11月28日(金)、ブドヴァ編となります。

【参考文献】
1)坂井建雄. (2020). 医学全史ー西洋から東洋・日本まで (喜入冬子, Ed.; 初版). 株式会社筑摩書房.
2)WHO Immunization Data portal – European Region. (n.d.). Retrieved November 7, 2025, from https://immunizationdata.who.int/dashboard/regions/european-region/ALB


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