現場レポート

2025/04/11/金

寄稿:白衣のバックパッカー放浪記

白衣のバックパッカー放浪記 vol.29/ワルシャワ編


ワルシャワへ直行

観光客がポーランドに行く時、クラカウ(クラクフ)は外せない。シャンデリアが輝くヴィエリチカ岩塩坑や少し遠出すればアウシュビッツ収容所がある。東南アジアを旅していた時にポーランド人におすすめされたのもクラカウで「ここだけは外せない」と言われていた。それでも、私が真っ直ぐにワルシャワへ向かったのは日程とバスの都合だった。ポーランドには滞在できても2日だったにもかかわらず、予約を間違えて1泊しかできなくなってしまった。さらに、次に向かうリトアニアの首都ヴィリニュスへはワルシャワから行くしかなかったから、どうやってもクラカウには立ち寄ることができない。「少しばかりはやり残しがあった方が旅らしいとさえ感じる」と自分に言い聞かせた。

ということでプラハフローレンツのバス停から夜行バスに乗ってワルシャワへ直行することにした。でもワルシャワってそもそも何があるんだろうか。正直、ワルシャワ条約機構くらいしか名前を聞いたことがない。「ワルシャワに旅行に行きたくて」と言ってる人も聞いたことがない。そう言えばポーランド人の同級生がいたのを思い出す。「いろいろ聞いておけば良かった」などと、当時全く気にしていなかったポーランドが急に気になり始める。旅程の持つ強制力は絶大で、飛び込み台の上で背中を押されて空中でただ落下しているような趣がある。きっとこういう時「be supposed to」を使うんだろう。「行き当たりばったりに飛び込むしかなさそう」を超えてもう飛び込んでしまっている。

プラハの治安がいいとは言えど、流石に街灯がないエリアを歩くのは緊張する。足早にバス停へ向かい、夜行バスを時間まで待つ。トイレを使うにもお金がかかるので、気軽に飲水することはできない。バスさえ来てしまえばバス内のトイレは使える(ことが多い)ので水を飲み出すタイミングが重要だ。ミュンヘンからのバスが遅延したから何時に来るのかと思っていたが予想外にバスは時刻通りにやってきた。またも黄緑色のFLIX BUSに10時間乗って明日の朝8時55分にワルシャワバスステーションウェストに着く。「ウェスト」が気になるがどうにかなるだろう。バスに乗り込んで、次に起きたらきっとワルシャワだ。

ワルシャワ上陸

バスが予定通りステーションウェストに着いた。見た限り近くにイーストはなさそうだ。てっきり中心地でバスを降ろされたかと思っていたが、電車でさらに移動が必要みたいだった。駅員からチケットを購入し、何番線から何時の電車に乗れと説明を受けた。「分かった、ありがとう」と笑顔で返事をしたけれど、改修中の駅は工事中で入り組み、どこからホームに行くのか全く分からず、改札もない。仕方なく人が歩いている方についていき、道行く人にチケットを見せてあっているか確かめながら何とか目的地のWarszawa Śródmieście(ワルシャワ・シルドミエシチェ:ワルシャワ中心地という意味らしい)駅にたどり着いた。

まず駅名が読めないことに気が付く。ポーランド語の文字の上に付く点はアキュートアクセントという発音記号的なものらしい。人生で上に点がつくアルファベットを見慣れていないこともあり、なんと発音するかも分からない。発音が類推できるためにはある程度、その言語のことを知らないとならない。AI翻訳が発達して、音声がそれを読んでくれたとしてもコミュニケーションを取るためには不十分で、「少なからず読める、言える」みたいなことはできなければならないように思う。

ワルシャワ・シルドミエシチェ、見渡す限りビルはここだけ

とりあえずドミトリーにチェックインして、シャワーを浴びようとバスルームに入ると石鹸がない。そんなことは今までなかったので驚く。同時にもう服を脱いでしまっている上に、夜行バスで疲れてしまっていて、ここから再び服を着て石鹸を買いにいく体力もなく、ひとまずお湯で体を流す。汗さえ落ちればかなり気持ちは違うものだ。何だかんだ夜行バスは疲れることがある。1泊しかないが、少し寝て立て直すことにした。

起きてからまずは石鹸を買おうと薬局に行くことにした。店内にはプラハにあったセルフメディケーション用のパンフレットなどはない。現地人の話では風邪は薬局に行くのに対して、腰痛・皮疹・どこかの腫れといった症状が出た時には家庭医にかかるとのことだった。日本で言うところのマイナー科の症状が出た時に受診するとのことだったが、聞いた人が若かったからかもしれない。高血圧や糖尿病といった慢性疾患で受診する人もいるとは思う。

ちなみに年1回の健診もあるようだが、入っている保険プランによるので絶対にある訳ではないと言っていた。家庭医がゲートキープをして必要があれば振り分けを行う、概ねチェコと同じような制度に感じる。日本ではあまり聞き馴染みのない家庭医が実際にシステムとして生活の中に溶け込んでいる様子に少し羨ましさを感じたが、ひとまずトラベラー用の石鹸を買って観光地に出かけてみることにした。何せ時間が限られているのだ。

ワルシャワ旧市街

せっかく来たのだから世界遺産はないかと調べてみると、あるではないかと言わんばかりにワルシャワ旧市街が見つかった。第二次世界大戦で瓦礫と化した町並みを復元した場所で、再建された街で初めて世界遺産に登録されたようだ1)。少しばかり距離があったので電動スクーターで移動した。自転車用の道が歩道と完全に分離されているから日本の道よりも走りやすい。時折携帯で位置を確認しながら目的地に向かった。

旧市街に着くとカラフルな町並みが広がっていた。まるでディズニーランドのような建物が立ち並んでいて、今まで見たワルシャワの中で一番活気ある場所となっていた。どうやら観光地で間違いなさそうだ。広場には出店も出ていて、なんだかお祭りのような雰囲気だ。ただその中で一番目を引いたのはウクライナの国旗を掲げた青年たちだ。遠くで観察していると多分募金を集めている。遠目で見ていたはずなのに青年がどんどん近づいてきて、話しかけられる。昔から街でよく声をかけられる性質が私にはある。案の定、募金の依頼だった。

どうしてここで募金をしているのか聞けば「ウクライナとポーランドは仲良しだからさ」とのこと。確かに街にはウクライナの国旗が所々飾ってある。「ロシアはどこと仲がいいのか」と聞けば「チェコさ」とのことだった。「ウクライナの人はポーランドに来て、ロシアの人はチェコに行くのさ。どちらにせよ戦いを止めたいからお金がいるんだよ」と恐らく言っている。戦争で壊れた街を訪れた人から戦争を止めるためのお金を集めるのは何となく理があるような気がしてしまう。

でも一体どのように集めたお金は使用されるのだろうか。戦争を止めるための資金って何だろう。もちろん答えはすぐには出ないが、今いる国の横で戦争が起きていることは肌に感じる。お金を出していいのかとても悩ましかったが、色々話をしてくれたことに対して少しばかりチップを渡した。

ワルシャワ旧市街

ユニクロはどこに行ってもユニクロ

宿に帰る途中にショッピングモールがあったので立ち寄ってみた。どう考えてもみたことがある赤い正方形のマーク、そうユニクロがワルシャワにはあった。試しに覗いてみると、棚に乗っている商品が作る空間と雰囲気は日本で感じるものと全く同じだ。会計までの道のりも全く同じ。ものすごいユーザーエクスペリエンスの横展開だ。正直、ワルシャワ中心部はビル群が立ち並ぶ摩天楼ではないが、これから発展していきそうな場所だ。そんな場所に出店していること自体もすごいし、ポーランドの人がユニクロを買っているところをみるのも嬉しい。

何となくアジアが恋しくなって夜ご飯は近くにあったベトナム料理屋に入った。ブンチャー2000円という、下手するとベトナムの5倍の値段。ブンチャーの味はどこに行ってもブンチャーだ。払う、もちろん払うけど高い。でもきっとワルシャワで食べるブンチャーにはそれくらいの価値があるんだろう。宿に帰って支度をしたら明日からはバルト三国。一泊で堪能できたとは言い切れない。でも一端は垣間見れたような気がしたワルシャワであった。

次回は4月25日(金)、バルト三国編となります。

【注釈】
※耳鼻科、眼科、整形外科、皮膚科、精神科、放射線科、泌尿器科を指す言葉

【参考文献】
1)ワルシャワ歴史地区|ポーランド 世界遺産|阪急交通社. (n.d.). Retrieved April 8, 2025, from https://www.hankyu-travel.com/heritage/central_eur/warsaw.php

【放浪記で出てきた乗り物】
長距離移動バス FLIX BUS:https://global.flixbus.com/
電動スクーター LIME:https://www.li.me/ja-jp/


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