2024/02/23/金
寄稿:白衣のバックパッカー放浪記
香港に着いて早くも3日目となった。私は朝から香港ディズニーランドにいた。日本の後輩とドミトリーに宿泊していた台湾の女子大生に、とってもよかったとオススメされたからだ。もちろん女子大生と私の目線が同値ではないと思われたが、
「34歳男性×1人+香港ディズニーランド=新たなる発見」
があると信じて、MTR(Mass Transit Railway)という地下鉄に乗って夢の国に向かった。何の企てもなかった訳ではない。2日目に旺角(Mon Kok)や佐敦(Jordan)に出かけてみたのだが、みんな広東語なのか普通話(中国における標準語)なのかわからないが、とにかく(拙い)英語が伝わる場所が少ないのだ。注文すらロクにできない。というかそもそもメニューに何が書いてあるかよく分からなかった。後にgoogleカメラで読み込んで翻訳するという技を体得するのだが、その時はこの街で暮らしていくためには何らかのインプットをするしかないだろうと思った。
そこで私は香港関係の本を読むことにした。選んだのは「水よ踊れ」という小説だ1)。この小説は、1997年イギリスから中国へと領土返還された前後の香港を舞台に、日本人大学生が強く、自分の意志を見出していく作品で、ネット上で高く評価されていたことが選んだ理由だ。ディズニーランドはおそらく何に乗るにも待ち時間があるだろうから、その間に小説を読みながら、香港の情報をインプットしつつアトラクションを楽しむ計画を立てた。東京ディズニーランドは何回か訪れたことがあり、日本と香港のサービスや接客を比較できるのではないかと考えた。
まず驚いたのはディズニーランドまでのMTR移動だった。荃湾線で尖沙咀(Tsim Sha Tsui)駅から茘景(Lai King)駅まで向かい、東涌線に乗り換える。その後は欣澳(Sunny Bay)駅とディズニーランドだけを結ぶ迪士尼線に乗った。MTRを乗り換えて向かう訳だが、乗り換える電車が常に降りたホームの対面にくるようになっていた。こういう乗り換えのことを対面乗り換えというらしい。表参道駅の銀座線と半蔵門線、大国町の御堂筋線と四つ橋線がそれに当たる。市街地である尖沙咀からディズニーランドまで全く迷うことなくたどり着くことができ、カスタマージャーニーを捉えたデザインを感じる駅のホーム設計にとても驚いた。(ちなみに東京駅から行く時はかなり歩かなくてならない)
さらに驚きは続く。香港ディズニーランドのチケット価格は日付に応じて価格の安いTier1からTier4まで変化する※。この日は平日であったが2番目に高いTier3であった。当然混んでいるものかと思いきやハイパースペースマウンテンという香港版スペースマウンテンが20分待ちであった。香港ディズニーランドアプリで各アトラクションの待ち時間を確認すると、最も長いもので60分程度であった。最近のディズニーランドは分からないが、個人の感覚でいうと120分くらいは待つものだと思っていた。
どんなオペレーションなのかと思い、60分待ちのジェットコースターに乗ることにした。アトラクションの動線に工夫は感じられないが、待機列の後ろの人がすごい押してくる。列の秩序はあるがアトラクションの入口付近は、まるで椅子取りゲームみたいに我先にいく感じであった。ジェットコースターの前まで来ても、乗車に向けて手荷物をどこか別の棚に移したり、メガネを外したりしなくて良い。さらに一番前の席に乗りたい人は別レーンで誘導していた。乗っていて荷物が落ちたりしない設計なのか、荷物が落ちても自己責任かは分からない、ただ体験価値はとても高かった。「細かいことは気にしない、大枠があっていればそれで良いじゃん」そんな感じであった。
香港人がどんな人なのか調べてみると、ある記事が目に止まった2)。読んでみると「典型的な香港人は全ては自分または家族のためで相手に一歩も譲らない、1秒たりともロスしたくない」とのことであった。「エレベーターに乗る香港人がその典型で、乗ったらまず閉じるボタンを押してから行き先階を押す。他に入ってくるものがいなければ成功だ」との記載があった。通りでみんなぐいぐい来る訳だなと思った。なんとなく人を押したりすることに私は抵抗があり、譲ることもしばしばだ。
なぜ、そうなるのか、「水よ踊れ」を読み進める中でその理由の解がそこにはあった。香港人について描かれているシーンがいくつかあり、個人的には歴史的な背景が性格に関係しているように感じた。第二次世界大戦前まで、香港への入国は自由に行われていたが冷戦に入ると中国と香港の国境が制限される。さらに1959年から1961年にかけて中華人民共和国大飢饉という3000万人が餓死、処刑される人為的災害などにより中国からは多くの人々が流入しようとした3)※2。制限された香港への不法移民(大人の場合は人蛇:ヤンセー、子どもは小蛇人:シウヤンセー)が増加した。「水よ踊れ」には、シウヤンセーが今でも消えることがない血豆ができるほど山道を歩き入国する描写があった。
1979年に改革開放が起きると「単程証」という中国から香港への片道入境許可証が発行されるようになった。入境可能人数は徐々に増えていくが1980年代は75人/日だけであった。何とかしてより良い生活を求めて狭き門に入り込もうとする人々が頭に浮かぶ。
さらに調べていくとタッチベース政策という驚きの政策も出てきた。この政策は不法移民に対して香港政府がとったもので、中国国境付近で不法入国があった場合には中国に送還するが、香港中心部までたどり着いた者へは居住権が付与されるというものだ4)。中には5時間泳いで入国する人もいたという。まさに、命がけの椅子取りゲームの生き残りが香港人であった。
香港の人口は戦前の1931年に85万人程度だったが1971年には400万人を超えて、香港返還があった1997年には650万人となった5)6)。いかに多くの人が人生をかけて入国したのかを感じる数字だ。香港の面積は東京都の半分くらいの1,110㎢、2023年の東京都の人口が979万人と考えると人口密度が高そうなイメージが沸く7)。
自分や家族が生き延びるためだけに生きる。
そんな経験が時間を節約し、誰よりも先に行こうとする香港人の血肉や遺伝子となって受け継がれているのかもしれない。そのことがアトラクションに乗るまでの待ち時間を短縮させ、結果として今こうして私をたくさんのアトラクションに乗せてくれていたのかもしれないと思う。私は今後、エレベーターの扉が閉じられても、我先に行こうとする人がいても苛立つことはないだろう。それは新しいコンテクストや価値観を知ることができたから。最初は痛いだけかなと思った「34歳男性×1人+香港ディズニーランド」は新しい発見を私に与える機会となった。
このあと2日間を香港で過ごしマカオに向かうのだが、私はそこでまた今までにない経験をすることになる。
続く)
次回からはマカオ編です。更新は3月8日(金)12時予定です。
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※1 香港ディズニーランドへの12歳以上64歳の入場価格は
Tier1:639香港ドル(12079円)
Tier2:719香港ドル(13591円)
Tier3:799香港ドル(15103円)
Tier4:879香港ドル(16616円)
円換算レートは2024/01/26時点
※2 飢餓人数は報告によって異なりますが、この記事では文献3)を引用しています。
【参考文献】
1)岩井圭也. (2021). 水よ踊れ. 新潮社.
2)Kelly Lam. (2017). 典型的香港人の本性 – 香港ポスト | 香港日本語新聞. Retrieved January 26, 2024, from https://www.hkpost.com.hk/20170608_588/
3)Smil, V. (1999). China’s great famine: 40 years later. BMJ : British Medical Journal, 319(7225), 1619. https://doi.org/10.1136/BMJ.319.7225.1619
4)愛みち子. 中国からの不法移民-香港への密航を中心に-. Retrieved January 26, 2024, from http://iccs.aichi-u.ac.jp/archives/200912/001/4b286a12371ba.pdf
5)谷垣真理子. (2001). 「経済の発展・衰退・再生に関する研究会」報告書. https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk051/zk051j.pdf
6)A Graphic Guide on Hong Kong’s Development (1967-2007). (2008). Censer and Statistics Department Hong Kong Special Administrative Region People’s Republic of China. https://www.statistics.gov.hk/pub/B1010005012008XXXXB1300.pdf
7)外務省. (2022). 香港基礎データ|外務省. https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hongkong/data.html