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2020/01/31/金

コラム

全教科よくできましたの男


いまでもふと思い出す昔の出来事があります。
小学1年生のときです。私は学年途中の夏休みに転校して、新しい学校で2、3学期を過ごしました。

担任は優しい感じの若い女の先生でした。 1年生とはいえ通知表はあります。よくできました、できました、がんばりましょう、の3段階。2学期の成績は覚えていないのですが3学期は全教科の全項目が「よくできました」でした。これは私にとって衝撃で「自分はそんなに出来るのか!」とビックリしたのを覚えています。それまで自分に対してそんなことを一度も思ったことはありませんでした。

それ以来、私は心の中で自分のことを「全教科よくできましたの男」と認識しました(笑)。これは大変な自信になりました。何か難しそうなことをやるときにも「自分はよくできましたの男だから、出来るはずだ」と思い積極的にチャレンジするようになったと思います。

2年生では担任の先生は厳しい雰囲気の女性になり、生活面でも勉強面でもあまり評価が高くなくけっこう叱られていました。ともすれば「自分はダメなのか?」と思いそうになりましたが、そのときも「全教科よくできましたの男」というのが支えになりました。

3年生になり男の先生に担任が変わりました。人と比べてできるかできないかではなく、自分で考えたことやチャレンジしたことを褒めてくれる先生でした。そして、チャレンジしたときにはどんなことでも褒めてくれました。工作や作文、自由研究発表。。どんなものが出来ても、どんな結果でも褒めてくれました。闇雲にではなく的確に褒めるところを見つけてくれた気がします。どんなことにも褒められる部分はあります。

この先生は母親向けに読書会や勉強会を開いていましたが、「叱るより褒めよう」「知的好奇心がどうのこうの」といったタイトルの本が家におかれるようになりました。(この先生のことは以前にも書きました→「人を育てるということ」)

そして、5年生か6年生か中1だったか正確には忘れましたが、近所の同級生で小1のときに同じクラスだったH君から衝撃の事実を聞きました。彼は私のように転校生ではなく昔から地元に住んでいて、そういう子のお母さんはたいてい事情通です。

H君が言うには「1年〇組の3学期は、担任の先生が寿退職するのでご祝儀としてクラス全員が全教科・全項目よくできましただった」ということです。当時お母さんたちの間では有名な話しだったのかもしれません。今なら、そんないい加減な通知表はダメだと問題になったかもしれません。でも多分そうはならなかったと思います。50年近く前ですし町は全体にのんびりとしておおらかな雰囲気でした。私の耳に全く入らなかったことは確かです。

私はそのとき自分はとてつもなくラッキーだったと思いました
衝撃ではありましたが、すでに私の心の中には秘めた自信が宿っており、それが揺らぐことはなく、へえーーー。そうなんだと思っただけでした。同時に、思いこみのパワーというのはすごいもんだと思いました。最初は嘘や勘違いだったとしても、そこから自信をもっていろいろなことに取り組むことで、時間とともに本当に良くなっていくということがあるのだとそのときに思いました。

自分が特に優れているとは思いませんが、それから自分なりにチャレンジして自分なりには成果を出してきたように思います。今でも私の一番好きな言葉は「チャレンジ」です。もともと滅茶苦茶チャレンジする性格でもないので、どちらかというとチャレンジに憧れて、自分なりにはチャレンジする、というタイプの人間です。

今になって、もし1年生の3学期がああでなかったら、3年生のときに違う担任の先生だったら。。。自分の人生が変わっていただろうと想像して恐ろしくなったりもします。

でも、最近になって少し自分や世の中を客観的に見るようになり親として2人の子供を見てきて冷静に考えると、自分が特別にラッキーだった訳ではないとも思います。小学6年、中学3年、高校3年あたりの12年間のなかでは誰にでもプラスの出会いと、そうでもない出会いと、マイナスの出会いと、普通の確率分布的にどれもあるのではないかということです。その中で多少のマイナスは受け流し、良いことだけを受け取って、自分はできると思い込めば、だれでもラッキーと思える状況になるのではないかということです。

さらに考えてみると、褒められたり背中を押してもらったときに「自分は出来る」「出来るかも」と肯定的に思い込めるかどうか?ということには個人差があると思います。はじめの時点でそれなりに「肯定的に思いこむ能力」を持っていなければ始まらないのかもしれません。

この最初のタネのような能力はどこからくるのか?一番気になるのはそれが先天的なものなのか?後天的なものなのか?ということです。 経験的にはおそらく物心つくまでの環境的な要素が大きいように思います。物心つく前とは言っても、それは生まれ持ったものではなく後天的なものだと思います。ですから、大人になった後に育てていくことも可能だと信じています。知らずに環境から身に付けた場合より時間や手間はかかるかもしれませんが。

そして私自身もまだまだ思いこむパワーを強くして、もっとチャレンジしたいと思っています。ただ、この年になってみると自分だけでなく周りの人たちのために貢献したいという思いも湧いてきます。誰かのために、タネづくり、肯定的な思いこみづくり、背中を押して自信を深めることなど、思いこむパワーを出来る限り普及させていくことに努めたいと思います。(岩崎克治)