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2024/04/15/月

寄稿:メディヴァの歴史

無人島に街をつくれ ー 先駆者列伝24:荒療治も辞さず地域医療を守る

マスコミ用語には、定義はあいまいでも雰囲気をうまく伝える言い回しが少なくない。その一つに「倒産」がある。経営が行き詰まって借りた金が約束通りに返済できない、つまり事業を続けるにあたって不可欠な信用を失った先に待っている状況を指している。法律用語ではないが、しばしば耳にする。

立派な法律用語の「破産」と語感が似ていることもあり、倒産すなわち組織解体の印象を持つ人も少なくないが、絶望の淵から立ち直り隆々と事業を続けている例は幾らでもある。少子高齢化のなかで競争が一段と厳しくなった医療の世界でも無縁ではないが、その立て直しにあたる実戦部隊を抱えているのもメディヴァの強みといえる。開業支援や経営指導を手掛けるコンサルティング会社ならいくらでもあるが、再生案件をやっているのはほとんどない。

部隊のリーダー格は前回も登場した小松大介取締役で、「駆け込み寺」の大住職といった役どころか。事業計画の見直しや減量策で無駄をそぎ落とし、遊休資産を売却するだけではとうてい立て直せない案件も少なくない。病院の商品そのものである「医療サービス」とそれを提供する組織体制を作り変えるとあって、かなりの力仕事が求められる。

経営が行き詰った病院は資金、つまりキャッシュが枯渇している。まずは、手元に現金を確保しなくてはならない。そのために、例えば保険医療という特性から診療報酬債権のノンバンクへの売却という手法がある。実際に請求した診療報酬が入金するまでに2カ月ほどかかるので、3%程度の手数料で取りあえず70%分を立て替えてもらい、残りの30%は後払いで受け取る。時間を稼ぐに過ぎないが、資金繰りの効果は大きい。

さらにメインバンクとの交渉次第だが、医療機関が抱える債務の条件を変更してもらうデット・デット・スワップ(DDS)や債権の一部放棄を求めることもある。貸し手はそんなに甘くないものの、医療機関は地域社会の重要なインフラであり、地元の銀行や信用金庫などにとっては経営破綻の引き金を引くのは避けたいところだ。そもそも事業性を甘く見て返済不可能な金額を貸していることもあり、この場合は貸し手責任もあろう。事業計画をもとに再建の道筋を説明し、金融面での協力を求める難交渉は多くの修羅場をくぐったメディヴァだからこそできる。

裁判所の下での再建手続きを取ることもある。世間でよく耳にする会社更生法は株式会社が対象で、医療法人では使えない。このため、民事再生法の適用を申請する。医療機関の民事再生案件はメディヴァが業界で一番多く取り扱っている。コロナ前だけでも、メディヴァのチームは民事再生申し立てを7、8件手掛けたほか、他社の申し立て案件へのスポンサーとしての関与も5、6件あった。

理屈はこの辺りにして実例を見てみよう。以前手掛けた民事再生の代表的な仕事に、地域に根をおろした総合病院の立て直しがあった。

支援を求めて来た医療法人は創業家一族がオーナーで、以前からの総合病院(約200床)に加えて二つ目の病院(約400床)も抱えていた。この第二病院は拡大路線を取り、急性期、救急患者も積極的に受け入れていたが、大学病院や公立のがんセンターにしかないような高額な医療機器を入れるなど、過剰投資が目立った。しかも肝心の医師数が不十分なうえ、職員を効率的に働かせるノウハウも足りなかった。

メインの総合病院の業績も芳しくないなか、第二病院の運営スタッフとオーナー側が不仲となっていたこともあり医療法人の経営は一気に傾く。創業家の依頼で経営支援に入ってきたメディヴァは当初、第二病院側からは一族の回し者と警戒されたが、再建に向けた調整にあたり、先方のオーナー批判にも耳を傾ける姿勢を見せたことで話ができる関係を築けた。

資産の売却や要員体制の見直しといった手順を踏んでも、再建の道筋は見えてこない。地元の金融機関からの出向者も受け入れていたが、打つ手が限られる中で資金が逼迫するようでは追加融資どころではない。企業再生支援機構に相談して、金融機関の債権カットと創業家の退陣をセットにした打開策をまとめようとしたが、オーナー一族の拒絶でうまくいかなかった。最終的には患者や従業員のことも考え、民事再生法の適用以外に道はないという判断になった。裁判所のもとで貸し手の債権カットなどの荒療治を講じ、再建につなげるというものだ。近年、急増している倒産の一類型である。

最大の難所は、当事者に民事再生法に基づく手続きの申請を認めさせることという。地元では「病院倒産」が大々的に報じられるだけに、関係者の受けるショックは大きい。信用を失ったことで、現金決済しかできなくなる。政治家も輩出するほどの地元の名士である一族にとって不名誉なことはこの上ない。この案件を担当した柿木哲也執行役員や小松さんらは金融機関、当事者それぞれの言い分や愚痴も聞き、最終的に申請を呑ませた。

申し立て段階での負債は総額80億円を超えていた。民事再生の手続きのなかで力を入れたのは病院スタッフからの理解の取り付けだった。潰れたことによる将来への不安は大きく、ここぞとばかり文句を言ってくる人もいる。

ただ、医療機関ならではの利点もあった。患者、取引先、スタッフの多くが病院に残ってくれたことだ。経営の悪化を肌で感じていた職員らは職場の改善に希望を持てるようになり、患者の目からは、病院は表面上動いているのでさほどの不都合は感じない。取引先は地域に欠かせないインフラということで簡単に見捨てようとはしない。

数千万円の大口債権者は一部をカットしたが、100万円程度の小口債権者にはすべて支払った。出入りの八百屋や文房具屋などで、説明したうえで現金取引に移せた。民事再生法のもとでは、債権者数、債権額それぞれの過半数の賛成がなければ再建計画は動き出さない。小口債権者も手続きのうえでは重要な存在という面もあった。

再建スキームは重荷となっていた第二病院を売却して返済の一部に充て、本院単体の再建に集中するというものである。メディヴァの仕事は、第二病院を受け継ぐスポンサーやつなぎ資金を提供してくれる金融機関探しから、詳細な再建計画の策定、混乱期の運営など幅広い。債権者からの問い合わせに対応するほか、不安を抱く従業員の相談窓口を務め、時には労使交渉にも立ち会った。

第二病院の引き受け手については全国規模で探すことにした。周辺地域だけではなかなか候補が見つからないとの判断からで5法人が手を挙げてくれた。医師派遣などで関係の深い地元大学が、病院が県外資本の手に落ちることを嫌ったこともあり、最終的に大学とつながりを持ち地元に経営基盤のある医療法人に買ってもらうことで落ち着いた。

民事再生手続きの申請、つまり倒産が明らかになってから8か月、再生計画が裁判所から認可された。ようやく再建に踏み出せた。その後、本院の経営は安定し、第二病院は名称を変え、新オーナーのもとで運営されている。地域の医療は守られたことになる。

再生に動き出した当初は大変感謝されたが、3か月も経つとその空気も薄れて日常に戻った。メディヴァによる運営支援も終結した。この間に病院再生チームが受け取ったのは、月額報酬とフィナンシャルアドバイザー報酬だけである。当時を振り返り小松さんは「投入した労力を考えると、もっと貰うべきだったかも」と率直な感想を漏らしている。一方、報酬では代えられないノウハウと達成感が残った。

いま、九州エリア統括支店長として福岡を拠点に活動している柿木さんは、地方の医療機関を再生する意義の大きさを強く感じている。多くの患者と地元の雇用を支えている医療機関の存在は大きく、地域のライフラインを途切れさせるわけにはいかない。「そのために汗をかくわけで、苦労は報われる。しんどくてストレスも大きいが」という。

その後、別な地域の病院再生にも取り組んだ。銀行融資を受けて新規開院して2年ほどしか経っていない。しかし、日ごとに金がなくなる状態で、1円も返済しない段階で行き詰った。法人の破綻処理をし、病院は売却した。法人は消えたが、病院そのものは残った。病院再生の実績が新たな依頼を呼び込んでいるのは確かだ。

新型コロナの非常事態のなかで、政府や自治体は地域医療を継続させるために制度融資や補助金、診療報酬の加算などで医療機関の経営を支えた。そうした支えが次々となくなるなかで、経営に行き詰る病院が増えるのは避けられそうにない。医療の提供者として、また雇用主として地域コミュニティに不可欠な病院をどう残すのか。病院再生をめぐるメディヴァの出番は今後確実に増えるだろう。

(つづく)