2021/02/22/月

大石佳能子の「ヘルスケアの明日を語る」

病院BCPはマニュアルでは対応できない

一週間前の地震は東京も結構揺れました。東北地方はまだ新幹線も止まっていて大変と聞いています。皆様はご無事でしたでしょうか。被災された地域の皆様が早く日常生活に戻れるよう、心から祈っています。
実はちょうどBCPについてのセミナーを依頼され、今度お話しすることなりました。私はBCPの専門家ではないので、何をしゃべるか、少し困り、本音でいうと他にもっと適任の方がいるはず、という気持ちでした。専門家ではない中で、一般的なことをしゃべっても所詮教科書的になってしまうし、、。と悩んだ末、思いついたのは「実際の被災体験」を語ることです。(過去にもブログに書いたので、ご覧になっているかもしれません。)
5年半前の2015年9月に、当社が再生支援に入っている水海道さくら病院が、鬼怒川の堤防決壊によって浸水しました。地下の厨房は完全に水没し、1階の待合室、外来、透析室、各種検査機器(CT等)は肩の上まで浸水。カルテは紙なので、水で膨れて棚から出せなくなり、、。病院周辺は湖のようになり、DMAT、自衛隊が出動し、数日賭けてヘリとボートで患者さんとスタッフを救助してくれました。
水がようやく引いた後に残されたのは、下水を含めた汚泥にまみれた建物、家具と壊れた機器と水が溜まった地下厨房でした。被害総額は8憶2000万円。 再生中の病院にとっては気の遠くなる金額です。しかしそれから71日後、病棟を 含めた完全再開を果たし、「奇跡の復興」と言われました。
BCP的に振り返ると、事前準備は十分には出来ていなかったと思います。東日本大震災を経ていたので、地震対策として電気、水、食料等はある程度準備して いました。しかし、まさか鬼怒川の堤防が決壊するとは、想定していなかったの で、せっかくの食料、水は地下の厨房に保管されていて、あえなく水没、、。職 員が医事課のコンピューターを階上に上げたので患者情報が助かったことが、不幸中の幸いでした。
しかし、ここからのリカバリーは大したものだったと思います。まずは司令塔 づくり。メディヴァのメンバーが4~5人常駐し、院長、幹部職員と共に対策本部を作りました。スタッフ全員から、課題や気になることを全部出してもらい、 ポストイットに書き、壁に貼り、グルーピングし、解決の優先順位をつけました。即決しなくてはいけないことはその場で決め、アクションに移します。同時に「1か月後には再開する」という目標を立てました。目標の設定は、将来が見通せなくてネガティブになりがちなスタッフのモチベーションを維持しました。
課題は当初想定したものだけではなく、次々と想定外が出てきました。しかし各 課題の進捗を常に全員に共有することによって、皆が同じ目線で動けました。3 日後には仮設テントで外来を再開し、21日間で入院を再開、71日間で全病棟再開を果たしました。
さて、BCP的な観点から見ると、水害を想定して十分に備えていなかったという意味では、必ずしも良いケースではないかもしれません。一方、事前に想定していたとしても、ここまで規模の大きい災害になると、対応しきれない可能性が大です。そうなると、真の意味で事業の継続性に寄与したのは、組織の力です。迅速に決断し行動できる組織体制、一丸となって目標に向かって動ける組織の結束力、全ての情報を共有できる組織風土、医事課のコンピューターを運び上げる等の機転の利く人材、等々。
事前の備え、訓練、マニュアル等はBCPの定石であり、やった方が良いと思いますが、必要条件に過ぎません。それを十分条件にするのは結局組織の力と構成員の力です。非常事態には想定外がつきものです。マニュアル通りに行かないことが多いでしょう。マニュアルが邪魔になることもあるかもしれません。そういう意味では、最大のBCPは人を育てること。それがあって初めて十分条件を充たせるのではないか、と思います。
メディヴァでは最近、コンサルティングのスタイルを変え、メディヴァ側のコンサルタントが調査から提言を全て担うのではなく、出来る限り院内のスタッフに考え方を伝授し、ノウハウ移転するようにしています。このようなコンサルティングの方法も、万が一の時に対応できる人材を育て、組織能力を高めるために役立つのではないかと思っています。