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2021/08/10/火

働く人たち

私の経歴書-(11)-


「私の経歴書」シリーズですが、今回はコンサルティング事業部の佐藤が担当します。
私は主に健診センターの運営や、医療機関のコンサルティングに携わっています。

私は35歳でメディヴァに入りました。 入職するまでは会社に色々とご迷惑をかけたトンデモ社員だったと思います。 こんな人生でも何とか仕事出来ているという事で、 同じような年齢で入社を検討されている方の参考になれば幸いです。
※この記事には一部、筆者の体験に基づく東日本大震災に関する記述が含まれます。


■前職と育った環境

私は元々放射線技師でした。 幼いころからの教育で、「手に職を持て」と言われていたので、動機は大分不純なのですが、 「食いっぱぐれる事が無さそう」という理由で放射線技師になりました。

元々、すでに亡くなった父が獣医師をしており、「お前もなるか?」と言われていたのですが、 父は躁うつ病を繰り返していて、躁状態の時は母に暴言を吐いたり、 兄に暴力を振るったり、いきなり他人に金を貸して来たり(逆ではなかったのが救い苦笑)と大変な状況で、 父の言う事は聞かない方が良いかも、とずっと思っていました。

うつ状態になると仕事も行けなくなり、1年間ずっと寝込んでいたりして、 子供ながら中々大変な親だなと思いながら育っていました。 ぼんやりですが、手に職を持ちつつ、少しでも人様の役に立つ仕事が出来ればいいなと考えていました。

■放射線技師時代

新卒で社会保険系列の総合病院に就職し、放射線技師時代は色々な仕事を経験させてもらっていました。 当直があるので、基本的に必要なモダリティはすべて撮影や操作できるように教えられます。 未成年なのに酔っぱらって頭から血を流して夜中に運ばれてきて、 CT,MRIを撮影することがよくあったのですが、 毎回やるせない気持ちになりながら仕事をしていました。

やりがいがあったのは放射線治療です。 がんの患者さんで治癒を目的としたものや、ステージ4以上で疼痛緩和を目的としたものもあるのですが、 その患者さんに適した線量計算、シミュレーションをおこない、実際に良くなる方も多いので、 「感謝される」という仕事にはやりがいを持っていました。

一方で、月に1度のMTGで病院の収支報告があるのですが、毎回数百万~数千万の赤字、 年度では億単位の赤字が続いていて、「この病院大丈夫かな」と思っていました。
しかし不思議なことにスタッフに悲壮感はないし、危機感もないのです。 なぜかと言うと給与は出ていましたし、賞与の増減はありますが、 基本的に借り入れをしながら出ないことはないので、 「まぁ何とかなるんでしょう」と多くのスタッフは考えていたことと思います。

また一方で、ここをもっと改善すれば必ず良くなるはずというのがあるのに、 大病院としての意思決定の遅さなどに悶々とする日々が続いていました。 特にコスト削減に関しては、大きい病院ほどインパクトが出るというのは日々感じていたことでした。
ただ当時の上司には本当恵まれていて、自分のやりたいことをサポートしてくださったり、 社会人としてのイロハを教えてくださった事には、今でも本当に感謝しています。

■東日本大震災

そんな中、自分の人生のターニングポイントにもなった「3.11東日本大震災」が起こりました。 2011年3月11日の14時46分に長く続く大きな揺れを感じ、その40分後に津波が到来しました。
海からは直線数キロの病院だったので、横の川に津波が押し寄せ、家が流れてきたのは鮮明に覚えています。 病院は津波にはギリギリ飲まれなかったのですが、災害拠点病院としての機能を失い、 多くの患者を外の病院へ転院させることになりました。
当時は停電がずっと続いていて、ラジオの情報だけだったのですが、 病院からすぐ近くの海岸に「200~300の遺体がある」と報道されていて、 あまり現実とはかけ離れた世界でした。 近くの石油コンビナートが炎上していて、 夜の唯一の光として煌々と照らして綺麗だったのは脳裏に焼き付いています。
震災から1週間くらいして、家と車を流された友人と、その家・車を探す旅に出たのですが、 住宅地が本当にまっさらになっていて津波の痕跡がすさまじく残っていました。 ガソリンスタンドに家が何件も突っ込んでいるのですが、 スタンドはびくともしていなくて、凄いと思ったことがあります。 またキリンビール工場や輸出する自動車置き場が近かったので、 その周りはタンクに突っ込んだ車が大量にあったり、すさまじかったです。

それからずっと休みの日は災害ボランティアを数か月行っていたのですが、 家の解体や掃除をする中で家の中で遺体を発見したり、 これは本当に大変な事が起こったと色々な感情を抑えながら生きていました。 当時亡くなった方の多くは、津波が来るのに逃げずに自分の家を守りたいと考えた方が多かったようです。 そんな人たちに逃げるように声掛けして、最後まで家を回り、 結局流されて亡くなってしまった消防隊の人たちも多くいたと聞きました。

幸い私の家族は無事だったのですが、家や車だけでなく、家族を失った友人がいたりと、 たった1日で人生はこんなにも変化してしまうのか、 外的要因にあまりにも左右されてしまうのは本当に辛いと感じていました。 でも周りの友人含め、「何とかなるよ」というポジティブな考えの人が多く、本当に励まされたと同時に、 環境に合わせる事が出来る人間は本当に強いなと改めて感じました。

■転機

病院で頑張って働いていても経営は良くならず、震災の影響もあり、 一層傾くようになりました。(結果病院は買収されました) やはり素人が経営していて、特に意思決定をする医師自体が 忙しく働いているところに大きな問題を感じていました。 第三者機関としてのアドバイザリーが無ければ、経営はうまく行かないのではないかと考えていました。

震災がきっかけで自分の人生を再度見直す機会となり、 本当にやるべき仕事は何なのか、やりたい仕事は何なのか考えるようになりました。 ただできる事は全くありませんでしたので、まずは勉強をせねばと思い、 経営を本格的に学ぶために大学を再受験して上京しました。
昼間は巡回健診など放射線技師としての仕事をフレックス制で働き、 夕方から学校に行くというなかなかハードな日々でしたが、 充実していてやりがいがあったので、結局大学院まで行くことになりました。
ここでも上司に恵まれましたので、色々な環境を与えてくれたことには本当に感謝しています。

■メディヴァへの就職と事故の話

前述したように以前から病院の課題を解決したいという思いがあり、 第三者としてのアプローチが出来るコンサルティングをしてみたいと考えていた折に、 メディヴァという会社に出会いました。 医療の一部分だけ、もしくはシステムに特化したコンサルティングではなく、 ハンズオンで介入できそうだというところに魅力を感じました。

ところが2018年4月にメディヴァの就職がきまっていたその2月に、バイクで事故を起こしました。 後ろから車に追突されたのですが、右足の開放粉砕骨折で全治半年と言われ、入職が結局11月となりました。 入院時、最初の2か月はあまりに開放骨折が酷かったので、 創外固定というのを行って、2か月ベッドに寝たきりでした。 自分で何もできないので、おむつ交換など看護師さんには大変お世話になりました。。。

当時は足切断ギリギリと言われましたが、10回ほど手術をして何とか歩けるようになり、 リハビリもしながら日常生活に戻れるようになりました。 急性期病院から地域包括ケア病院に転院して、ひたすらリハビリを行う日々を続けていました。

入職を打ち切らず、ずっと待ってくださっていた会社には本当に感謝しています。 定期的に連絡をくださったり、出来る仕事を与えて下さったりと、 入職していないにも関わらず大変にお手数をかけてしまい、恐縮しています。 また大変な中ずっとお見舞いや、身の回りの世話をしてくれた妻にも本当に感謝しています。

■入職後とこれからのはなし

入職してからはやりがいのある仕事に携わらせて頂き、裁量権の高い仕事をさせて頂いています。 コンサルティングだけではなく現場運営もさせて頂いているので、日々色々なことが勉強になっています。 医療は兎にも角にも現場がすべてで、命です。医療従事者はプライドもありますし、 やりがいを求めて働く方が多いので、些細なことでもトラブルにならないように注意しています。

一方でせっかくコンサルティングという仕事をしているので、 現場任せになることなく、近視眼的な観点ではなく大局を見据えて行動できるように、日々葛藤しています。 自分に求められていることは何なのか、何が出来て何が出来ていないのか、どこをもっと伸ばせるのか、 伸ばす必要があるのかなど、こんな年になりながら成長できる機会を与えて頂けるのは感謝です。

今入職に迷っている方や、自分の人生でもやもやしている方も多くいるかと思います。 私も波瀾万丈な人生を過ごしていますが、一つだけ言えるとしたら、 「やらないよりかはやった方が良い」という事です。 私も医療業界に長年身を置いていますが、新卒の時は現在のような仕事をしているとは想像もしませんでしたし、 何が自分にとってのやりがいに繋がるかは、やってみないと分からないことも多いです。 また出来なくてもやってみると意外とできたりします。 失敗を沢山したとしても、それはすべて経験値となってプラス要因となり得ると思います。

短い人生のうち、本当にやりがいのある仕事が出来る方はどれくらいいるでしょうか。 多分死ぬ間際に自分の人生を振り返る時に、たとえ失敗したとしても何か挑戦したことが大きな糧となって、 結果やって良かったと思うようになると考えています。

・・・と、散々人様に迷惑をかけてきた人間が、偉そうに言える立場ではありませんが、 私の経験が少しでもお役に立てれば、少しでも前に踏み出す勇気となれば、それはとてもとても嬉しいことです。