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2021/01/25/月

働く人たち

熱中時代 熱血編 ~サッカーと私~


はじめまして、コンサルティング事業部の内藤です。

いつもメディヴァ人事ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回の《熱中時代シリーズ》は、サッカー選手を目指した若き日の自分を振り返りながら書かせていただきます。 人生の半分は本格的にサッカーをしていたので、今の自分にとても影響していると思っています。 自分にとっては挫折をしながら苦しんだ経験でもあるのであまり振り返ることはないのですが、この機会に書いていきます。


~サッカーを始めたきっかけ~

私がサッカーを始めたのは小学校低学年の頃でした。 何か習い事をさせたいという親の気持ちもあったのか、サッカー、野球、ラグビーの練習を見学に行きました。 当時の私はぽっちゃりしていたので目的の半分はダイエットだったのかなと思っています。

結果的に、一番仲良しだった友達がいたのでサッカーを選んだことを今も覚えています。 それからは生活の大半がサッカーになっていきました。 学校に行くときは練習着とサッカーシューズを持って通学しました。 土日も練習か試合ですべて埋まってしまいました。 年末年始も初日の出を見るために走って山を登るクラブの催しに毎年かかさず参加していました。

習い始めた途端にこのようなスケジュールになります。スポーツされていた方は分かりますよね?
お陰様でダイエットは成功しました。


~輝いた少年時代~

小学校低学年はお友達と仲良く玉蹴りという感じでしたが、高学年になってくると少しずつ輝きを放つようになります。 市の大会で得点王になったり、選抜チームに選出されたり、他県の代表チームと闘うようになりました。
同世代を代表するような選手達とプレーするようになり、自信もつけて益々熱中していきました。 「いつかはプロになるんだ」とその頃から考えるようになっていました。学校の授業時間を除けばほとんどボールを蹴っていましたし、全く疲れることもなかったと記憶しています。

他にも習い事をしているチームメイトよりも長い時間練習しているので結果が出るのは当然のことでしたが、周りのミスで試合に負けることが腹立たしくて仕方ありませんでした。 ミスする選手のことが理解できず、とても横暴な態度をとっていたと反省しています。

この経験は後の自分に影響してきます。


~誰にも言えなかった挫折の話~

そんなサッカー少年は中学校に進学する頃には既にサッカー界を生きていました。

サッカー界?よく分からない方もいますよね? 日本サッカー協会が定める世代別の育成プログラムがあって、要はピラミッドの頂点が日本代表になっている世界です。


出典)公益社団法人 日本サッカー協会HPより


私もこのプログラムに沿って競争し、世代を代表する選手たちが集まる中学校に推薦入学しました。
さらに、中学時代の後半はJリーグチームの下部組織で過ごし、全国大会の決勝戦でプレーするほどになっていました。(旧国立競技場のピッチに立てたのが良い思い出になっています)

自分自身でも輝かしい結果だと思うのですが、この時には既にサッカーを楽しんでいませんでした。
私のプレーに何度もダメ出しをしてくるチームメイトがいて、試合では監督の采配に応えられなくなっていました。 ポジションを何度も変えられて、試合に出てもまたミスをするのではないかと自信を失っていました。

ミスをする私にダメ出しをしてくるチームメイトが少年時代の私自身と重なります。
こちらの要求に応えるプレーができない選手に対して、横暴な言葉を吐いては苛立っていた自分が、今度はダメ出しをされ続ける立場になったのです。 立場が変わって初めて人の気持ちが分かるようになりました。特に責められる人や上手く立ち回れない人の苦しい気持ちが。

私はこの時期に経験したことがきっかけで、性格が180°変わったんじゃないかなと今では思っています。 勝ち負けよりも「皆が良い状態であること」が大切だと思うようになり、サッカー選手としては終わったなと思いました。

その後、高校にもサッカー特待生として入学して全国大会にも出場するのですが、自分の納得する結果は出なくなっていました。 その影響なのかこの時期の記憶は不鮮明になっています。
何をどうすれば良いのか全く分からないまま、ぼんやりと3年間過ごしてしまいました。


~バーンアウト、そして次の道へ~

私のサッカー熱は高校三年生になる頃にはすっかり冷めてしまっていました。 怪我を理由に練習をサボったことも何度もあります。 (本格的に)サッカーに打ち込むのはこの時に辞めました。

私の進路にほとんど口出ししなかった両親もこの時ばかりは辞めないように説得しようと必死でした。サッカー部の監督からは、学校の廊下に呼び出されて腕を掴まれながら「逃げるなよ?」と怒鳴られたのを覚えています。 まるで漫画の世界です。

しかし、バーンアウトした気持ちはそう簡単には戻らず、そのまま3年生の夏に引退することを決めました。 チームが高校最後の大会を目指して練習する中、やることがなくなった私は途方に暮れていました。 本当にこの時期が一番苦しかったのを覚えています。やることがないんです。
あんなに熱中してきたサッカーを辞め、エネルギーを向けるものがなくなっていました。 受験勉強の波にも乗り遅れて、本当にマズいなと思っていました。 学校に行っても家に帰っても自分の居場所がないような感覚でした。 そして、真剣に進路を考えようと内省をするようになりました。

それまで経験したことや自分が心から向き合えることは何か振り返ってみた時、1つだけ自分に向いているかもしれないと思うことが見つかりました。 怪我した選手のケアです。それは、言い換えれば「仲間に伴走すること」です。

自分自身がダメ出しをされ続けた経験が影響して、人の喜怒哀楽やちょっとした発言がとても気になるようになり、不調を口に出さない選手がいたらすぐに分かるようになっていました。
そして、何をするわけでもなく、ただ、伴走する。テーピングしたり、アイシングの準備をしたり、コンディショニングトレーニングを手伝ったり、話を聞いたり。

それが相手にとって良かったのかは分かりません。 自分が自然体でいられることを見つけただけだと思っています。


~ゆっくり、いそげ~

この内省の後、私は理学療法士の養成校に進学することに決めました。 誰かの役に立ちたいという想いで進んだ道でしたが、理学療法士になる過程で出会った「ゆっくり、いそげ」という言葉が今でも自分の在りたい姿の指針になっています。

言葉としては「目的地への到達を急ぐのであればあるほど、むしろ目の前のこと、足元のことを1つ1つ丁寧に進めたほうがいい」という意味で使われます。「急がばまわれ」とも言えるこの言葉を私が大切にしようと思った理由とメディヴァへ入社することを決めた理由には共通点があります。

初めてこの言葉を意識したのは学生として病院での臨床実習をしている時でした。
サッカー選手も受診するような整形外科のある病院で、怪我からの復帰を目指しリハビリを行う姿を見ていました。選手たちは皆、競技復帰を目指していますが、リハビリをする上でのポイントは「復帰を急がないこと」でした。特に手術後は「こんなことをやっていて競技のパフォーマンスに繋がるのか」とも思えるほど気の遠くなるようなリハビリメニューで、復帰間近になっても練習時間の制限や入念なケアは欠かせないというものでした。
その姿はまさに「ゆっくり、いそげ」を体現していました。

その後、このようなスポーツ選手のリハビリから高齢患者のリハビリまで幅広く見ることになるのですが、「ゆっくり、いそげ」という考え方はどの分野でも当てはまるものでした。
そして、患者のリハビリだけではなく、課題を抱える医療現場や仕組みそのものを変える時にも同じことが言えるのではないかと感じています。

メディヴァのホームページを初めて開いた時に「メディヴァが目指すのは、患者視点の医療変革です」というメッセージが出てきました。医療現場を変えることの難しさは過去の経験から私自身も感じており、目標とはいえ随分と大きなことを掲げているなと思ったのを覚えています。

ですが、そこから会社の歴史や事業内容・業務内容について話を聞く中で、あのサッカー選手のリハビリのような、地道で小さな努力の積み重ねで医療業界における変革や価値創造を実現してきた会社なのだと知りました。その姿勢はまさに「ゆっくりいそげ」という言葉通りだと思い、私自身が医療職を志した頃の初心に帰り、入社を決めました。

メディヴァに舞い込んでくる相談は、自分の存在がとても小さく感じるような国や業界そのものが抱える課題などもあり、また、とても優秀な人たちに囲まれて仕事をするので、自分自身のレベルに悲しくなることも正直あります。それでも焦らずに「ゆっくり、いそげ」という言葉通り、目の前の仕事を積み重ねていけたらと思います。

子供の頃からサッカーしかやってこなかった私ですが、もしサッカーをしていなかったら、全く違う自分になっていたと思います。 もがき苦しんだ『熱中時代』は、自分を成長させてくれたと信じています。 最後までご覧いただきありがとうございました。