人事ブログ

異文化との遭遇がもたらすもの

もう20年近く前になりますが、前にいた会社は自動車、自動車部品や電子・精密機器メーカーをお客さんとするベンチャー企業でした。創業メンバーはすべて製造業出身でしたから、社風や仕事の進め方も日本の製造業の流れを汲むものでした。

私は創業6年くらいの時点のその会社にマッキンゼーから入社しました。アメリカのサービス業の会社から、日本の製造業の流れを汲む会社に入ったので、かなり違うカルチャーのところへ飛び込んだことになります。

入社してしばらくは戸惑うところがあり、軽めのカルチャーショックだったかもしれません。一番違うと思ったのは、製造業では実際に動く、機能するものを必ず作らなければいけないので、物事を進めたり確認したり決めたりするところの厳密さが高いということです。


自動車メーカーなら、走らないクルマを発売するわけはないので、最後には必ず機能するものを完成させなければなりません。そのために4年かけて2万から3万点ほどの部品がすべて機能して、完成品のクルマが当初予定通りに動くように仕上げなければなりません。

頭で考えて設計しただけですぐにそのようになる訳は無いので、何度も試作品を作って実験し、動くかどうかを確かめます。形、材質、機能などがそれでいいかどうかは、すべて試してみて機能するかどうか確かめられます。

そういう業界で仕事をするためには、何事も最後には正しく機能するかどうかを基準に考えなければなりません。何かトラブルが起こったときも、製造業のQC(クオリティ・コントロール=品質管理)的な枠組みで議論がされていました。それに比べると、いわゆるホワイトカラーというか企画的な仕事は、"ゆるゆる"だなと感じました。

トラブルが起こったときには、まず「問題点は何か?」「現象として定量的に把握出来ているのか?」「それはどれくらい悪いのか?」「原因は何か?」(直接的な原因から深い原因まで突き詰めていく)「対策は何か?」というように議論をしていきます。対策も考えて決めて終わり、ではなくてテストして機能するかどうかを確認してから実行します。

そういったことが日々非常に新鮮でした。
面白いと思ったのは、製造業的カルチャーで育ってきた人でも上のような議論のなかで考えが飛んだり錯綜したりすることも結構あり、例えば「問題点は何?」と聞かれたときに、いきなり「問題は組織が○○なことです」というように話が飛んでしまい、「いやそうじゃなくって、どんな困ったことが起こってるのかっていうこと。組織が問題だというのは、今起きているトラブルの原因のさらにその先の原因のさらに先ぐらいでしょ」みたいな会話があったりしました。どの業界で育った人でも、人というのは頭が先走って枠をはみ出してしまったり、問題の範囲を押し広げ解釈することで楽になろうとするような性質を持っているのかもしれないと思いました。

それでも(それだからこそ?)問題点、現象の把握、原因の把握、原因の掘り下げ、対策の立案、機能するかどうかの確認、対策の実施、といったように整理して把握するというように進めることによって、ピントが外れたり関係ないところにそれていくことを防げて非常に有用だと思いました。

経営コンサルティングの世界でもロジックツリーなどを使いながら論理的に詰めていく手法があって、そこはかなり共通な部分もあるという感想も持ちました。しかし、ツールや根本の考えは同じでも、それを実際に行うときに、どれくらい厳密に行うかと、最後にテストするかどうか、といった現実の運用方法にはかなり差があるという部分のほうが印象に残りました。

もう一つ面白いと思ったのは、製造業の世界でも設計者は(比較的)緩くても大丈夫な部分があって、それがだんだんと試作や生産など"現物"に近づくにつれて厳密性を高めなければならず、設計図を物に具現化していく役割の人たちは「設計者は適当過ぎる。。。」というような不満を持っているように感じました。そして良い設計者はただ設計図を引くだけではなく、試作や生産方法までちゃんと把握して、その製品が最後まで正しく機能して生産まで持っていけるように、全体のプロセスをコントロールすることが出来るということです。このようなことも非常に勉強になりました。

それまで自分がいたカルチャーとは異なるものに触れてとても勉強になり、化学反応的に新しいものが生み出せるように感じました。私が持っていたカルチャーも面白がってもらい、受け入れてもらい、交わることによって何かが生まれたと感じることができました。色々とやっているうちに製造業向けの新しい切り口のコンサルティングが生まれることになったのですが、それも一例です。

このような体験はいま私の土台のうちの一つとなっていますが、私の中にさまざまな比喩も生み出しました。仕事をするときに自分や周りに起こっていることを自動車や機械に例えることが多くあります(ほとんどは心の中です。多くは自戒として使ってます)。

例えば、「これが自動車の開発だったとして、そんなことやってて最後にちゃんと走る自動車が出来るのかな?」というような問いかけであったり、あまりにゆる過ぎて「それじゃあタイヤが3つのクルマを作ってるようなもの。」とか「外身のデザインだけ描いても走る車は作れない」といったような感じです。話が枝葉末節に走っているときに「ヘッドライトの形ばっかりそんなに議論してもしょうがないでしょう」とよぎることもあります。

また、企画系の話をしていて、話が深まらない場合にも「自動車にはエンジンが必要です!」と大真面目にすごいことだと言ってるみたい、と感じることもあります。そんなことは当たり前で、どういうエンジンをどうやって作ったらいいクルマが出来るのかが言えるか、エンジンじゃなくて、他のものでも行けます!というような話が出来ないと意味がない訳です。

厳密さや機能するものを作ることは大切ですが、話をさらに混ぜ返すと、機能するものを一つ一つ積み上げて、大きく複雑な製品を機能させだけではダメで、最後には売れなければ意味がありません。

それは商品企画であり、時代に合わせて大胆に新しい技術を導入する判断だったり、如何にコストを抑えて売れる値段設定にするか、というようなことであったりします。(現実にはヘッドライトの形一つで売れる売れないが分かれたりすることもあり得ます。。。)

きちんと機能する製品を作る部分と、どうやって売れるものを作るかということの両方が高いレベルで組み合わされて初めてビジネスとして大きく成長するということも思いました。
(日本の製造業がここのところ苦戦している原因もそのようなところにあるのだと思います。)

そのような思いから、さきほどとは相反するような比喩も心の中に生まれています。「それで、その商品は誰が何のために欲しがるの?」「技術や部品だけ組み合わせても売れる製品は作れない」というような考えも頭の中にぐるぐる回ります。

メディヴァも異なる業界から医療の世界に飛び込んだ創業メンバーが異文化を持ち込み、新しいものを作ることを試みてきた会社です。しかも、その後も15年以上にわたって、さまざまな業界から新しいメンバーが参加し続けています。このような場はなかなか珍しく、貴重だと思っています。

願わくは、それが医療を良いほうに変化させ、参加しているメンバーの中にも化学反応が起こって変化・向上、ひいては社会に対して何らかのポジティブな変化をもたらしてくれるような会社になれたらと思っています。(岩崎克治)
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