人事ブログ

「なせばなる」、か?(前篇)

「なせばなる」、か?
岩崎克治

突然ですが、「なせばなる、なさねばならぬ何事も」という諺(ことわざ)があります。子供のころにはテレビや普段の会話でよく耳にしたように思います。

私は長い間この言葉について誤解していたようで、あるとき間違いに「ハタ」と気付きました。

間違いというのは、この言葉を「頑張ってやれば何でもできる(はずだ)。そうやって何事も成功させなければならない」というある種の「根性論」や「頑張り」の奨励や強要のようにとらえていたことです。

誤解のポイントは、「なせば成る」の部分を、「(頑張れば)"必ず"成功する」と捉えたことと、「なさねば成らぬ」の「ねば成らぬ」を「そうでなければいけない」="must"と捉えていたこととの2つだと思います。

常識で考えて、「何でもできる」ということは無いと思うのに、「ねばならぬ」(=must)と言っているので、そこには、出来ないことを無理やり出来なくては「ならぬ」、と言っている図式があり、「嫌な言葉だな」と思っていました。

20年ほど前に、この諺を言ったとされる上杉鷹山についての本を読み、ハタと間違いに気付き、同時にこの言葉の重要性に気付きました。目からウロコ、と言ってもいいかもしれません。

では、この言葉の本当の意味はというと、上記の2つの誤解ポイントについて言えば、「なせば成る」は、上手く行くようにやれば(為せば)上手くいく(成る)ということ、「なさねば成らぬ」というのは、上手く行くようにやらなければ(為さねば)上手く行かない(成らぬ)、ということです。

さらに諺には「成らぬは人の為さぬなりけり」という後半部分が存在しますが、それを含めて全体としての意味(私の解釈)は、

「物事は、それが上手くいくやり方で取り組めば上手くいく、
そのように取り組まなければ上手くいかない。そういうものだ。
もし、何かが成功していないのであれば、人が上手くいくようにやっていないからだ。」

ということです。

もしかしたら、「為せば成る」を「必死で頑張れば上手くいくものだ」、「為さねば成らぬ」を「何もしなければ絶対に出来ない」と解釈して、「とにかく何かをやることだ」、「やりもしないであきらめてはいけない」と理解するほうが標準的なのかもしれません。

ただ、私には、為せば「成る」、と言い切っていて、後半部分で「成らぬ」=人が「為さぬ」なのだと言っている意図を考えると、「成る・成らぬ」というのは、為した内容+偶然の成り行きの結果ではなく、しかるべく「為す」ことによって必ず「成る」、ということを言いたいのではないかと思えます。

読んだ本にそう書いてあったのかどうか?今となっては記憶に無く、大きな誤解に気付いた勢いでの拡大解釈かもしれませんが、私はこれを根性論とはまったく逆の、ドライで機械的な物事の捉え方だと解釈しています。

つまり、根性や頑張るかどうかは関係なく、
「上手くいくようなやり方でやれば、当たり前に上手くいく」(ただそれだけなのだ)ということです。

実際のところどうでしょう?もし何かが上手く行ったとして、結果が出てから、それを後付けの理屈で振り返れば、(意識していなかったとしても)上手く行くようなやり方をしたのでしょうから、やはり原理的に不可能なもの以外については、しかるべきやり方でやれば上手く行く、ということは真実だと思います。仮に何か外部要因で邪魔が入ったとしても、それを回避するやり方をしていれば上手く行くでしょうから、そういうことも含めて考えて、やはり真実だなーと思います。自分の解釈の間違いに気付いたときに、その勢いでそれが一気にストーンと腹の中に落ちた、という感じです。

さらに後半の意味は深く、
「成功していないということは、上手くいくようにやっていないからだ」ということは、非常に重要な教訓を含んでいると思います。

世間を見渡し、自分を省みてみると、目の前で物事が成功していないときに、人はどう考えるか?多くの場合には外部環境や状況、他人に原因を求める傾向があります。

自分に原因を求める場合でも、運であるとか、自分がそのことを勉強したことがない、経験したことがない、才能や素質、子供のころの教育など(出来ない必然的な理由がある)、というような話に持っていく傾向があります。

「成らぬは人の為さぬなりけり」というのは、それらを否定、または直接の理由ではないとして、ただ「上手くいくようにやっていない」ことが原因であるという考え方です。

それらを理解したとして、だから何なのか?この諺の何が重要なのか?ということですが、
まずは「為せば成る」ただそれだけ、と思い、結果が出ないイコール(自分の)やり方がしかるべきやり方ではない、と考えることは、人が進歩するためには非常に重要です。また、そう考えることによって、"楽に"やるべきことに集中できるということです。そして上手くいく可能性が高くなるということです。

なぜそれが"楽に"につながるのか?というところは少し説明が必要かもしれません。それは要するに「為せば成る」、ただそれだけだから、他のことを考えたり、取り繕ったり、責任転嫁したり、落ち込んだり、悲壮になっても(最終的に目的を達することに対しては)意味がない、と開き直れるという感覚です。また、同じ「自分が上手くやっていない」ということの受け止め方でも、「(そもそも)自分はダメな人間だ」と思いがちなところを、「ただ、しかるべきやり方をしていない(ので、いまからしかるべきやり方をやるだけ)」と思うのでは、"楽さ"がかなり違ってくるように思います。

そして、「なせば成る」を、少し長い目線で、何かを出来るようになる準備段階まで広げることによって、これはとても希望のある考えになると思います。

つまり、上手くいくようにやれば上手くいくのだから(特殊なものや不確定なものではなく)しかるべく準備を積んでいけば、自分にも出来るのではないか、という楽観や希望にも繋がるということです。昔は「何事も出来る」なんてことは無い、と思っていたのが、しかるべく「為せば」、何事も上手く行く、と反対の話になってしまいました。(後編へ続く
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