ヘルスケアの「明日」を語る

メディヴァより、気仙沼のご報告

2011.06.03

5月28日、29日の2日間で、気仙沼の被災地を訪問してきました。主たる目的は、今後メディヴァが復興をお手伝いするにあたり、まずは現地の医療機関の被災状況を把握することでした。気仙沼を選んだのは、プライマリケア学会が支援している先が気仙沼、石巻でその中でも気仙沼の医療機関は比較的統制が取れて、復興に向かって進んでいると聞いたからです。

気仙沼まではすでに電車が開通しています。最初の日は新幹線に乗り、くりこま高原で降りて、そこで気仙沼のはずれにある本吉というところ(旧本吉町、現在は合併して気仙沼市)で老人保健施設(老健)を運営している方の車に乗り、被災地を見てから施設で一泊。次の日は、気仙沼市に入り、避難所になっている体育館の保健室で、被災されながら診療に当たっているMu先生と面談し、その後被害が大きかった気仙沼港と市内を回り、被災した医療機関を調査し、最後に公営墓地にお参りして帰る、という行程でした。

被災地の風景はテレビでも見ていたのですが、現物は更にショッキングでした。くりこま高原の駅は名前にもある通り高原なので、今では地震があったことも分からないとても平和な風景で、霧雨の中、東北の遅い春がとても美しい緑を育んでいました。老健の方の車に乗り込んで、地震の時の話などを伺いながら車で走っていると、突然風景が変わり、道の周りは何もなくなりました。海などは見えないほど遠いのに、水はそこまで上がってきて、全てを押し流して去って行ったとのこと。遠くに、鉄道の陸橋が寸断されているのが見えます。2か月の間に、だいぶ片付けが終わったので、ほんとに何もない沼のような土地が広がっていました。今は沼になってしまった土地に、3月11日までは小泉という町があったとのこと。老健の方が昔の写真を見せてくださいましたが、田園風景の中にまとまった比較的大きな集落が見えます。お互い声を掛け合って生活する、仲の良いコミュニティだったそうです。今は跡形もなく、高台に奇跡的に残った数件の家があるのみです。次の日に見た気仙沼の港と市内の被害は更に甚大で、壊れたものも多かったせいかまだ片づけも完全には済んでいません。3月11日の晩には津波に加え、重油がこぼれ引火し、大火災が起こり、狂く焼け焦げた建物や船が撤去されず、道のすぐ傍に転がっています。それでも、2か月前は道もふさがって通れなかったのが、今では殆どの道が通行できるようにはなっていました。撤去に当たっては、自衛隊の活躍が目覚ましかったそうです。

もともと気仙沼は好きな場所でした。個人的な旅行で、これまでにも数回訪れたことがあります。港に行って、市場を覗き、ふかひれ丼やマンボウの寿司を食べ、シャークミユージアムを見て、大島に渡り、ロープウエーに乗り、海のそばの宿か国民宿舎で一泊する。帰りは、格安で売られている大きなホタテを買い、山の中で食べる、というのがお気に入りのコースだったのですが、今では跡形もありません。ふかひれを取るにも、漁船も漁港もなく、市場も水に沈み、大島のロープウエー乗り場は火災で黒焦げになりました。港のそばの建物は、全て一階の窓ガラスは割れて、中に鉄柱や自販機やありとあらゆるものが流れ込んでいました。この地域は2年間は開発制限が掛かって、開発できないそうですが、仮に出来たとしても、復旧を望むことは絶望的な気持ちにさせられる風景でした。

医療機関でいうと、気仙沼保健所管内に震災前は5の病院(精神病院を除く)と34の診療所(特養付属診療所を除く)がありました。病院のうち被災しなかったのは2か所のみで、残りはとりあえず外来のみ運営しています。451床ある気仙沼市立病院が無事なのは不幸中の幸いですが、市の中心から車で40分も離れた気仙沼市立本吉病院(旧本吉町立病院)は、2階近くまで津波が来て、震災後しばらく経って、2名しかいない常勤の医師が突然辞表を出して姿をくらましました。今では常勤の医師がいない中、徳洲会の支援部隊TMATが週替わりで医師を派遣し、何とか外来機能をつないでいます。

診療所34のうち、被災しなったところは11か所(32%)、残りは被災しました。このうち、医師も死亡した若しくは廃業を決意したところは3か所(9%)、被災後すでに再開したか、移転したものが6か所(18%)、残りの14か所(41%)はまだ普及していません。被災しなかった診療所と早期再開した診療所を合わせても17か所なので、診療所数が一気に半減してしまいました。

まだ再開できていない診療所の中には、外科のMu医師、産科のMo医師、整形のS医師、眼科のT医師等、比較的若手で震災前は大規模な診療所を営んで、市の医療の中核を担っていた先生もいます。これらの先生の診療所も見て回ったのですが、外科のM医師、整形のS医師の診療所は交通至便な港に近い、市の中心部に立地していたこともあり、壊滅的な被害を受けていて、その場で再開は難しいと思われました。

外科のMu医師は年末には外来診療を再開したいと述べていましたが、新たに土地を確保し、建物を建て、器材をそろえ、再開するのはかなり経済的に厳しいのではないか、と推測されます。今回被災した多くの医師は、前の診療所開設時の負債が残っていて、それに加えて今回新たに借金をすることになります。

都心であれば、外来設備が最小限に抑えられる「在宅医療」での開業というオプションもありますが、気仙沼は在宅医療が全く根付いてない地域だったそうです。お年寄りは大家族の中で暮らし、月に一度は付き添われて外来診療を受けるのが一般的で、医師に家まで来てもらうというのはなじみがありません。以前、岩手で仕事をした時も同じようなことを言われましたので、東北地方は共通なのかもしれませんが「家に人を入れる」というのを嫌うようです。また在宅医療は、経営的には月2回の訪問診療と、24時間365日の管理に付随する「在宅時医学総合管理料」(4200点)という包括的な点数でもっているのですが、気仙沼ではそれが取れるお年寄り(取らせてくれるお年寄り)が極端に少なく、その結果、経営的に成り立つには診なくてはいけない数が1.5倍~2倍になるにもかかわらず、地域が広く効率が極めて悪いとのこと。気仙沼で診療をするとすれば、患者さんの心情的にも、経営的にも外来が必須のようです。

一方産科の方は、Mo医師の産科診療所は、外見的にはほとんど被害を受けていないように見えましたが、近寄ると1階の天井に近い柱に水のあと見え、玄関の張り紙には「外来、分娩、手術の設備が被災したため、当分の間は休診する」旨が記されていました。気仙沼でお産を扱っていたのは、Mo産婦人科医院(13床)の他は、E産婦人科医院(3床)と市立病院のみです。市立病院はその後訪問したのですが、「産科は混合病棟で行っているので、何床と決まっているわけではない。市内の診療所が被災したので運営が大変」とのこと。病院の看板には産科医師3名の名前が記載されていましたが(常勤、非常勤は不明)、正常、異常を問わず全ての分娩を市立病院で受けることは極めて大きな負荷になると思われます。

病院と診療所の大半が被災し、再開できていないものが約半数、再開したものも規模機能を縮小してようやく運営しているという状況を目の当たりにする中で、この土地はお年寄りや、妊産婦、子供が安心して住む場所に戻すことができるのだろうか、という大きな不安を感じざるを得ませんでした。

特に、市内より40分の離れた市立本吉病院が被災し、未だ常勤医が確保できていない状況は単に本吉地域に住む1万人の住民の健康だけでなく、市内全域に大きなリスクをもたらしているようです。というのも、この地域は診療所も高齢化して震災以前にすべて閉院してしまったため、入院が再開できず、在宅医療に頼った場合も、市の中心部から往診するしかありません。夜間に片道40分かけた往診を行うことは、医師の疲弊から考えると殆ど不可能に近く、本吉地域の医療体制をどうするかが今後市全体の医療体制を決める大きな要因になると思われました。

被災前、本吉病院は38床の内科病院でしたので、当然赤字で市の財政に大きな負担をかけていました。元も状態に戻すために、2名以上の常勤医を確保し、入院を再開しても財政的には大きな負担になりますし、医療資源の効率的な活用方策ではありません。まずは1名の医師を確保し、市内の医師と連携しながら、パイロット的に「東北型ではない在宅医療」を提供することが第一ステップではないかと思われました。

2日間の最後に、気仙沼の港より、山道を10分ほど走った鹿折公営墓地に行きました。ここは被災して亡くなった方々の火葬が間に合わず、一先ず土葬にした場所です。緑の中に開けた土地があり、150柱くらいの杭が立っていました。お名前がないものも多く、未だ身元が不明なご遺体とのことでした。市の職員が新たなご遺体を埋めているのか、火葬するために掘り出しているのか、墓地の一角で静かに作業をされていました。突然の津波で命を奪われた方々は、無念だったでしょう。喪服を着て、お供えのお団子を抱えた年老いた遺族の方々が道を上ってこられていました。ご遺体がここに残る限り、ご遺族も気仙沼の地に住み続けたいに違いない。そのためにも、できる限り早く、住民の方々が安心して住める場所にしたい、そう思いながら、手をあわせました。次回この墓地を訪れることがあれば、良い報告を持って来れますように。

参考データ:
平成23年2月末
気仙沼市概要 総人口 74,247人、世帯数26,601人

同年5月26日
気仙沼市の被害状況 
・死者957人、行方不明者503人、
・避難者(61か所)3862人、仮設住宅(予定含む)1880戸


執筆者:大石佳能子(株式会社メディヴァ代表取締役)