ヘルスケアの「明日」を語る

It All Started in Kamogawa(すべては鴨川で始まった)

2006.06.01

1999年の初めのこと。私は10年間マッキンゼーに勤め、そろそろ辞めて違うことをしようかな、と本気で考え始めていた。マッキンゼーは元々長い間居ようと思って入社した会社ではなかった。ビジネススクールを卒業したのが27歳の時。「コンサルをやっておけば、将来起業するときに役立つかな」という程度の軽い気持ちだった。それが意外と面白く、比較的向いていたのか、気がつくと勤続10年を越えていた。

マッキンゼー時代の担当は「消費財(食品、アパレル、小売等)」で、「どうすれば顧客に受け入れられる商品を作れるか」(そういう商品を出せる企業に、どうやったら変革できるか)というのがメインテーマだった。バブル以降特に、日本の会社はオカシクなっていて、「顧客が求める商品」を出すのではなくて、「自らの都合で出した商品を顧客に押し付ける」ようになっていた。「顧客が真に求めるもの」を提供できるよう、「会社の仕組みをリエンジニアリングする」ことを「顧客志向のリエンジニアリング活動(Customer-based Reengineering)」と呼んでいた。そのテーマ自体は興味深かった。

また、90年代は多くの外資系消費財・小売業が日本市場を見直し、本格参入(再参入)を果たした時期でもあった。ナイキの創業者フィル・ナイトを訪ねてオレゴン州ポートランドで1週間過ごすとか(同行したのは岩崎さん)、コカコーラのアトランタの本社でダフト社長と役員食堂でご飯を食べるだとか、GAP社の伝説的経営者ドレクスラーとの戦略会議、スターバックスの日本参入検討だとか、ちょっと「バブルっぽい」が楽しいイベント?もあった。しかし勤続10年を越え、一生マッキンゼーに居る気は無い以上「そろそろ」かな?という気はあった。大体、大阪人というのは、「出世する」=「お笑い」になる、か「起業する」しかなく、「お笑い」は余り向かないので、「起業」かな、、、という感じである。

では、何をやるか?やってみたいのは「医療」だった。前年に出産したとき、生まれて初めて頻繁に通院し、医療過誤や事故があったわけではないが、「この世界って、顧客志向じゃないな、、、」という気はつくづくしていた。羊水検査のために掛かった大学病院は、カーテンで仕切ったところに一列に妊婦を並べて、順々に医師が診察するようになっていた。出産直前までせっせと通っていた近所の人の良いおじいちゃん先生は、出産病院を紹介する時に、紙切れに一行「異常はありません」とだけ書いて紹介してくれた。(あの大量な検査データや胎児のエコー画像はどこに行ってしまったのか。)紹介先の大病院は、混んでいて、予約をとっても2時間は待たされた。診察後に「次回の診察予定日は出張だから来院できない」旨を伝えると、担当の若い女医さんはカルテを机にバンと投げて「勝手にしなさい。担当は私じゃなくなるわよ」と言い捨てた。(私ですら、ちょっと泣きそうになった。)

「医療」は、何か変な世界だと思った。顧客志向ではないし、他業界の最先端のオペーレーションやノレッジが伝播しているようにも思えない。遅れている、遅れていると言われている銀行ですら、待ち時間の解消に色々なノウハウが導入されているではないか。でも片一方で、門外漢が「変だ」、「変だ」と言っても、その業界には業界特有の事情がある。例えば金融界の護送船団方式のように、医療界にも何か変えられない事情はあるんじゃないだろうか?「変えられる」のか、「変えられない」のか?まずは業界に居る人に話を聞いてみよう、ということになった。当時一緒に仕事をしていた小松さんたちと手分けしながら、あちらこちらでお医者さんや役所の人の話を聞いて回った。その中で、たまたま巡り合ったのが亀田先生方、四人の兄弟だった。

初めは俊忠先生(理事長、一番上のお兄さん)とマッキンゼーのITグループ主催の講演会で名刺交換をさせて頂いた。その時、俊忠先生が言われた一言は「将来日本のクリニックはフランチャイズ化するだろう」という「医師」から今まで聞いたことがない言葉だった。「一度詳しくお話をお伺いしたい」とお願いすると、「では、是非鴨川に遊びにいらっしゃい」と声を掛けてくださった。「鴨川ってどこだっけ??」と地図を調べると、行って帰るのには丸々一日掛かる。「エラく遠いな」と思いながらも数週間後、鴨川に向かった。駅に着くと、みやげ物屋以外、何もない。かなり不安になりながらタクシーに乗ると、5分くらいで着いた。
海辺に面したところに病院風のやや古い建物があり、その横にリゾートホテルのようなタワーがそびえ建っていた。そのリゾートホテルは実はクリニック棟で、入院患者は古い病棟、外来患者は新しいクリニック棟に来院する。(後で聞くと、入院と外来はオペレーションが全く違い、混在すると患者満足度が下がるため、「分離」したそうである。)しかし今まで見たことも無い、快適そうで美しいクリニック棟に感動しながら受付で案内を請うと、俊忠先生はいなかった。(当時、私は四人兄弟だと知らないで、秘書室に「亀田先生とアポを取りたい」と言ったのが良くなかったのかもしれない。)代りに出ていらしたのが、信介先生(三男)と省吾先生(四男)のお二人だった。四人居ること自体を知らない中、訪ねた相手はおらず、全く同じ顔で、しかもしゃべる時にハモる二人の先生方に、私は小パニックになりかけた。名刺を頂いて、席についた段階で既に、どちらが信介先生で、どちらが省吾先生か分からなくなっていた。

でもとりあえず意を決し、お話をしてみると極めて親切で、館内を案内して下さった。館内は、「12代続いた医師の家系」である亀田ファミリーの経験の結集でもあり、亀田4兄弟の新しい発想で作った「日本の医療界へのアンチテーゼ」でもあった。当時はまだ「患者満足度」という言葉も殆ど膾炙されることがなく、診療報酬に反映されることを過分不過分なく実行するのが日本の医療経営であったが、亀田総合病院は違った。クリニック棟の建設、電子カルテ・システムの構築、千人を越える患者を裁いても殆ど待たせないオペレーション、最新の設備、アメリカまでヘッドハントして連れて来た医師団、プライバシーへの配慮、患者とスタッフが分けられた裏導線等々、診療報酬に反映されることは関係なしで、「より高度な医療」、「より高い患者満足度」をひたすら追求している姿勢が随所に見て取れた。驚いた旨を伝えると、先生方は笑って「だって、日本のなかで、アメリカと(距離的に)一番近いのは鴨川」とおっしゃった。

今まで、あちらこちらで「医療界は何故こうなの?」という問いを繰り返して来た時、皆口を揃えて「診療報酬がそうなっているから」、「病院経営とはこういうものだから」という「出来ない理由」の返事をもらうことが多かった。しかし、亀田総合病院を見ると「何だ。やれば出来るじゃないの」と思い、「実証」することの強さを感じた。
その後のやりとりの中で、私は自分たちがやりたいことを説明し、協力をお願いした。またまた驚いたことに、先生方は趣旨に賛成してくださり、「ノウハウを提供しよう」とおっしゃって下さった。医療界の門外漢である私達にとって亀田グループのノウハウほどありがたいものはない。その見返りとして私達が提供できるものがあるか、自分達自身ですら分かっていなかったにも関わらず、いろいろなことを教えて頂けたことは、今思い返してみても驚くべきことだったと思う。その後、何度も鴨川にはお邪魔させて頂いた。

用賀アーバンクリニックの立上げ前には、野間口先生、遠矢先生を研修で受け入れて頂き、半日は給料を頂いて医師としてのアルバイト、残りの半日は各科をラウンドしてスーパーローテートの研修を組んで頂いた。同じく開院前に、小松さんと私は事務研修をして頂いた。(研修中、晟嶺は、亀田グループの保育園「亀の子」に入園した。)そもそも用賀アーバンクリニックのコンセプトである「プラタナス」、「オープンカルテ(インターネットカルテ)」は信介先生の発案だった。クリニックの設計図は、信介先生がコピー用紙の裏に書いたものを、亀田クリニックの設計士さんが図面に落とした。場所選定にも付き合って頂いた。真夏の暑い中、目黒世田谷を信介先生、小松さんと一緒に物件を探してウロウロ歩いたのは忘れない。立上げ当初、貴重な医療事務の人材を鴨川から派遣して頂いた(そもそもレセコンは鴨川のレセコンとオンラインで繋ぎ、間借りしていた)。PPMの概念も教えていただいた。

用賀アーバンが初めて新聞に載ったのは、鴨川まで取材に来た朝日新聞の記者を、無理やり用賀まで引っ張ってきて下さったお陰である。他にも色々お世話になって、書ききれない。メディヴァの設立時には、半分の出資も引き受けて頂いた。亀田4兄弟の不文律があり、4人で等分出資し、信介・省吾先生は取締役も引き受けて下さった。いずれの日か、メディヴァ株がもっと値上がれば、少しはお返しが出来るかもしれない。ただ、先生方に対しての一番のお返しは、亀田先生方が鴨川でやられている医療変革へのDNAを、メディヴァが正しく受け継ぎ、日本の医療界に伝播していくことではないか、と感じている。それでこそ、MEDIVA(Medical Innovation and Value)の存在意義がある。開院当時、小倉病院に居た梅田院長を野間口先生たちと訪ねた時、「あなた達は宗教ですか?」と聞かれたが、そういう意味では「宗教」なのかもしれない。

最後に。この仕事をして行き詰まった時に、鴨川を訪れると、必ず元気を貰って帰って来る。それは亀田先生方が、医療界の色々な不可能に果敢チャレンジして、粘った末必ず「勝っている」のを拝見できるためでもあり、提唱されている「メディテイメント(メディカル・エンターテイメント)」等の患者さんも医療者も楽しくなるコンセプトのためでもある。またそもそも、一緒に酒を飲んで楽しい人たちだから、でもある。理由が何であれ、鴨川に来れば、必ず新しい発想があり、新しいチャレンジがあり、新しいものが実現している。今回は、医療界、金融界の殆どの人たちが「絶対不可能!」と言っていたKタワー(新病棟)の建築を実現させている。しかも、今まで日本になかった病棟が出来ている。

「不可能」と言われるものも、信念を持って実現するパワーが、私達にも力を与えてくれる。プラタナスとメディヴァが「宗教」だとしたら(笑)、鴨川は「メッカ」であり、新入社員、職員には必ず一度は訪れて欲しい場所だ。